曇りなき眼で見定めブログ

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宇野常寛『ゼロ年代の想像力』徹底批判シリーズその13(最終回) 宇野常寛、そして(アニメ)批評界隈への提言

 宇野常寛ゼロ年代の想像力

 ↓これの続き

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 個別で書きたいことは書き尽くしたので、まとめる。宇野先生への提言集の形で。もう10年以上前の本にこだわるのはおかしいと思われるかもしれない。しかし、宇野先生に(悪)影響を受ける批評家および批評家志望は後を絶たない。よってそうした人への提言も含めて。

アニメをただのサンプルのように扱うのをやめよ

 これは藤津亮太先生に触発された。藤津先生の『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』の序文で、多くのアニメ批評はアニメをサンプルのように見ていると述べている。私も同意する。アニメというジャンルや作品への愛が欠けていると思う。

お前の大理論など知らん、作品の奴隷たれ

 なぜサンプルと見てしまうかというと、ダメな批評家たちは作品の分析などより自分が考えた「大きな理論」を述べたいからである。作品など「大きな理論」の補強材料でしかない。

 バカタレ。

 批評家など所詮は作品の奴隷じゃ。もっと作品と真摯に向き合え。私が本シリーズでなんども指摘した、宇野先生は作品の詳細な分析をしていないというのは、こういう気持ちからなのである。

 ↓こちらの「てらまっと」氏も漫画を「大きな理論」のサンプルと思っている例。

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 ↓映画を見るたび強引に資本主義批判と結びつける杉田俊介も。

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作品を見て自己を変革せよ

 大きな理論のサンプルとしてしか見ない人は、作品を見て自己を変革するということがない。常に「俺様の見せてほしい作品を見せろ」というスタンスでいて、それに合致するものを褒めてそうでないものを批判するだけなのである。

 たわけ。

 アニメや作品を見て本当に感動するという経験のないやつ、自分の想像を超えたものを見るという体験を欲していないやつ、アニメや作品を見るのなんてやめちまえ。

気持ちの悪いナルシスティックな文体をやめよ

 宇野先生といえば「そう、〇〇なのだ」という鼻につく文体が多い。こういうところにも「作品よりも批評家のボクを見て」というナルシシズムを感じる。てらまっと氏や杉田先生にも感じる。お前なんか知らん。作品の魅力を教えろ!

アイマスクをはずせ!

 アイマスク系批評については何度か書いている。まるで上映中・再生中アイマスクでもしてたんかというくらい画面上のことを無視した批評のことである。

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映像作品の批評として最悪だと思う。こういう批評をする人はジャンルとしてのアニメが嫌いで、話題作りとかそういうののためにアニメ批評をしとるのだろう。

閉じこもるな! 論争しよう!

 ここで取り上げた人物たちを私は再三ブログで批判しているが、反応をいただけたことがない。3人ともエゴサしてるっぽいのに。

 宇野先生が述べていたように「敵」「味方」で思考するのは良くないが、仲間内というか教団内で閉じこもって褒め合うだけなのもよくない。もっとワシみたいなのとの「誤配」も楽しもうや。

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