曇りなき眼で見定めブログ

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反資本主義映画ならぬポスト資本主義映画の『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』を観てきた!(+ひさびさの杉田俊介批判)

 なかなかおもしろかった!

 恥かしながら始めて見た「すみっコぐらし」。ちいかわみたいなもんかと思ってたらちいかわより古いらしい。そして見たらちいかわみたいなもんだった。

 アニメはなかなか独特な作りだった。手の動きなんかを見ると3コマっぽいのだが、胴体の動きはCGを使っているようでヌルっとしている。全体的にどうやって作っているのかわからない。感触としては『星のカービィ』に近い感じで、カービィのかわいさに通じるキャラクター表現であった。喋らない代りに足音がポコポコいうのもかわいい。

 小さい子どもも観にきていてところどころ笑っていたので良かった。私は子どもがちゃんと子ども向けアニメを観て喜んでいると安心してしまう。それくらい子ども向けアニメの文化は瀕死なのである。

 

 で、それはさておき、杉田俊介先生がまたわけのわからんツイートをしていた。

『映画すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』。革命の映画、(反資本主義ではなく)ポスト資本主義の映画だった。何よりも使えなくなりいらなくなり無能化したゴミ=廃墟は、能力主義の中で疎外されバーンアウトした労働者たちよりも、いまや資本主義そのものである…

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月11日

最近『反逆の神話』を読んだのでこういう左派ジンブン系の適当な社会論がいっそうバカらしく思える。まず杉田先生のいう革命とか反資本主義とかポスト資本主義ってなんなのだろう。なんとなく生産とか消費を皮肉的に描いていたら革命的・ポスト資本主義映画なのだろうか。だとすると本作はそうなる。しかしそれだと革命というには浅いしもっと革命的な映画はあると思う。本作は特別そこまで言うような深刻な映画ではなかったと思う。また反資本主義とポスト資本主義の違いもわからない。経済学ではそういう議論があるのかも。後半の廃墟が資本主義そのものってのはさらによくわからない。廃墟好きはむしろ旧共産圏に惹かれるが(旧共産圏こそ共産主義の敗北=資本主義の象徴なのかもしれない)。

しかし、もう使えなくなった資本主義の終わりをちゃんと哀悼し、これまでの労苦を労ろう、ゴミになった資本主義をも(リサイクル/リノベーションというより)社会的に組み直そう、そこではすべての使えないもの、古くなって役に立たないもの、いらなくなったものたちもまた天国の中に産まれ直すだろう…

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月11日

 こういう左派ジンブン系の間ではなんか知らんが資本主義はもう終ったことになっておる。そんなこともないだろうに。また↓の記事でもさんざん指摘したが、杉田先生のヒヒョウは、作品の主張を解説しているのか杉田先生自身の主張なのかわからなくなるという特徴がある。それがこのツイートでも炸裂している。まあ私の観た感じでは本作は資本主義云々という主張は持っていないので、杉田先生が前から考えてたことを述べてるだけなのだろう。それを意図的にかどうかわからんが作品が言っているかのようにするのは良くない。

cut-elimination.hatenablog.com

そしてこの映画そのものが、資本主義の失われた可能性に対する幻燈的で幼年期的でノスタルジー的な夢のようでもあり(重層的なメタジャンル性)、未来に来たるべきすみっコ=ごみ=無能な者たちの不可能なユートピアであるようにも明らかに意図的に作られている…

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月11日

 「重層的なメタジャンル性」のような、意味もわからないし主張にどう論理的に貢献するかもわからない体言止め、というのも杉田先生の特徴である。それによって、「明らかに意図的に作られている」というその「意図」の内容がそもそも杉田先生の文章から読み取れず、意図的かどうかよくわからない。私の観た感じでは反資本主義? ポスト資本主義? の意図はそれほど感じなかったが。

資本主義の他に道はない、世界の終わりより資本主義の終わりを想像することが難しい、と大多数の人々が信じ込んでいるさなかに、突然、いや資本主義はもう死んでるでしょ、とっくに死んでるのにゾンビのようにホラーのように生きているふりをしているだけでしょ、と突き付けられることのショック。

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月11日

 また体言止めだがそれはさておき。たぶん杉田先生はショックを受けていない。自分の主張を補強してくれる材料として映画を観にいっているので、映画から何か衝撃を受けたりはしないと思う。

すみっコ映画の無人工場のホラーな不気味さ(そもそも「人」はいないのだけど)、1990年代前半のドラえもん映画あじがあった。『アニマル惑星』とか『ブリキの迷宮』の。資本と技術の自動化と暴走、その外部はない、という主題も響きあっていた(ドラえもんやすみっコはそもそもそれらの産物なのだから)

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月13日

おもちゃ工場はハイパーメリトクラシー/ポストフォーディズムを組み込んでいて、くま工場長が勧誘に来た時、全員の長所をならべて、ほめて、ポジティブさを引き出す。無能な労働者なんて誰もいないんだと。長所が無さそうでも「青い!」「さくさく!」とかも無理矢理ほめる。

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月13日

誰も置き去りにせず、無能な者もほめてのばし、遊びと労働が一体化し、キャラと機械が融和した透明な明るさに満ちたポスト労働論的なユートピアが、そのまま、生産性と能力主義と機械化によって疎外されたディストピアへとシームレスに反転していく序盤のぞっとするような感じ

杉田俊介 (@sssugita) 2023年11月13日

 などなど。

 本作が反資本主義だかポスト資本主義だかなのだが、どうだろう。チャップリンの『モダンタイムス』を思わせるシーンがあってフォーディズムを戯画化しているとは思う。しかし需要がないのに作りまくったりとか、資本主義の負の面というより資本主義からの逸脱に対するしっぺ返しが話の核になっている気がする。つまり、めちゃくちゃ単純化すると、資本主義は良いものだから適切に資本主義に沿って生きていきましょう、と言っている映画にも思える。最後に工場はちゃんと別の商業施設になったわけで、なにも革命は起きていない。