曇りなき眼で見定めブログ

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おすすめの記事

 当ブログは論理学を中心とした哲学・数学・計算機科学の勉強記録と、アニメの批評・感想を中心に書いております。おすすめの記事は以下です。

 

 

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 アニメにもジェンダーフェミニズムを考えるうえで示唆に富んだ作品はたくさんありますよ、という記事です。いろいろな作品を紹介しています。本当の目的はアニメ一般に対する「前時代的」という批判への反論です。私の調べが進むにつれてアップデートされていきます。

 

 

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 アニメーションおよびアニメの技術面や、アニメを見るという経験にフォーカスを当て、「アニメとは何か?」というテーマを哲学的に考えます。アニメが好きな方、哲学に興味がある方におすすめです。

 

 

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 藤井聡太先生の脳内には将棋盤がないという説を、様々なインタビューや棋士の証言をもとに検証しています。

 

 

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 マンガ『チェンソーマン』第43話に出てくるロシア語の歌を翻訳しています。元ネタはなんなのかもちょいと考察しています。

 

あとはカテゴリーから見てみてください。

「直観主義型理論(ITT, Intuitionistic Type Theory)」勉強会ノート其ノ弐拾四「宇宙」

 暫定版。

 あんまりわからないのでわかった点だけ箇条書きする。

 

  • これまでに導入した型はすべて有限の型である。何故なら型構築演算の反復(iteration)は有限回しかできないから。言語の表現力を上げるには宇宙(universe)を導入して超限の型(transfinite types)を入れる必要がある。
  • すべての集合の集合は作れない。何故ならそれ自体も集合になってしまい完全に規定できないので。だが圏論などですべての集合の集合は必要になる。
  • (よくわからないが)宇宙の作り方は、型構築の操作を可能的に超限回反復して閉包を得ること。その方法にはラッセル流とタルスキ流の二通りの方法がある。
  • ラッセル流は普通にUという型を導入する。型構築演算はUのカノニカルな要素を得る演算でもある。これは分岐型理論と似ている。タルスキ流はタルスキ真理論に由来するらしいけれどよくわからない。
  • U自体はUの要素ではない。もしそうだとすると矛盾が発生する(ジラールのパラドクス)。
  • ペアノの第四公理 (\forall x \in {\mathbb N})\lnot I({\mathbb N}, 0, x') \; true が証明できる。ペアノの第四公理というのは、0は何ものの後者でもない、というやつ。

フェミニストと闘うための理論武装講座その1 大原則編

 甲「理論武装で攻め勝ったと思うな バカタレ!」

 

 皆さんも日々多く目にしていることだろうが、インターネッツ上でフェミニストと思われる人たちのご活躍が著しい。そしてだんだんとフェミニストというのはマンガやアニメなどいわゆる二次元の表現やポスターやお笑い芸人にいちゃもんをつける人たち、なんかいつも怒っているわけのわからない人たち、みたいに見られるようになってきていると思う*1

 これでは健全な議論ができない。トゥイッターなんかはメディアの特性上、言ったら言いっぱなし、自分の味方に向けてのみ演説する、といったことができてしまい、議論にならなかったりする。フェミニストもアンチフェミニストも内輪で敵への皮肉を言って終了、みたいなことはよくある。そういうのは歯痒い*2

 というわけで、フェミニストに対してしっかりと言論で対抗する方途を考えましょうや。適当に罵って嘲って(あるいは署名して(これはありか))終りではなく、最近流行りの「論破」で対抗するのである。そのために私はいろいろ勉強してきていて、そうして得た武器を皆さんに授けたい。

 今回は大原則編なのであんまり細かいところには立ち入らない。目次にあるような5つの原則のみです。その2、その3と続いていく予定なので徐々にやっていきます。

原則1・女性差別は歴史的に存在する(がしかし)

 女性差別は確かにある(あった、あってきた)というのは大大大原則である。ただし、いろいろと細かい問題はある。

 まず、何をもって「差別」というかは難しい。哲学的な難しい議論に陥ってしまうかもしれない。とりあえず歴史的に男女の権利や機会の不平等は確かにあった(ある、あってきた)ということは確認しておきたい。

 参政権を例にとってみる。日本で普通選挙が実現したのは1925年のことである。「普通選挙」というのは誰でも投票できる選挙ということだろうが(正確な定義は知らない)、しかし選挙権が与えられたのは男だけであった。女性の参政権(投票も立候補も)が一般に認められたのは(例外は以前からあったようだが)戦後になってからである(日本国憲法で認められているが、日本国憲法施行のちょっと前かららしい。Wikipedia情報)。この20年のギャップは女性に対する差別であろう。

 さて問題は、現在もこうした差別あるいは不平等があるのかどうかである。確かに参政権は平等になった。しかし日本の女性議員の数はいまだに少ない。この原因はもちろんもっと大きく漠然とした社会構造のほうにあることになる。選挙の仕組み上は誰でも議員になれるので。(現代の)フェミニストの多くが問題にしているのは、この漠然とした社会構造なのである。

 もう一つ、2018年、東京医科大学やその他の大学医学部で入試の得点が男女で調整されていたのが明らかになるという事件があった。女子は一律に減点されて男子が合格しやすくなっていたのである。これも差別あるいは不平等である。こんなことが現代でもあるのだなあという衝撃もあろう。

 さて、参政権が男にしか認められなかったのは、当時としてはそれなりの合理性もあったのではないかと思われる。男は働いて闘って、女はそれを支えるもの、という価値観があり、なので*3男に大きめの権利が与えられていたのであろう。しかし先述のとおり問題はこの「合理性」が生れてしまう背景である。医大の入試の件も、女は結婚したら職を辞してしまうことが多いので医師養成機関としては男子を優遇するという理屈があるらしい*4。やはりここでも、女性のキャリア形成に難があるという社会構造も問題とすべきである。筆者は某超一流大学の哲学の院生なのだが、女子の院生は非常に少ない。もちろん入試の不正などない(はずである)。機会は平等でも価値観やキャリア形成の問題として「女が学問に打ち込むなんて」みたいなのがあってはいかんのである。

 原則1で私が言いたいのは、フェミニストは社会制度だけでなくそうした制度の背景や制度で救いきれない社会の根本の価値観を問題にしていてしばしばその議論が抽象的になりすぎる、ということである。例えば「女性議員を増やせ」と言ったところで、女性にも平等に参政権が与えられているわけだから立候補して投票すればいいだけ、となってしまう。なってしまうがそうではなくて、という部分でフェミニストは家父長性だとかマルクス主義だとか難しい議論を出してきてしまい、なんだか現実から乖離した感じが出てしまう。ここを丁寧に理解して反論するのが建設的であろう。

原則2・現代フェミニズムはかなり複雑である

 そうした結果、現代のフェミニズムは話がどんどん複雑になってきている。

 ミニスカートはフェミニストが広めた、みたいな話を聴いたことがないだろうか。これはたぶん正しい(よくは知らないが、どうもそうらしい)。にもかかわらず現在では萌えキャラの露出過多な衣装デザインに文句を言うフェミニストは多い。これは矛盾しているのではなかろうか。

 実はフェミニズムにも第一派とか第二派とか第三波とか*5いろいろあって、それぞれの中にも細かい分派がある。現在はおそらく第四波である。衣装の問題でも、これらの細かい運動のうち別々のものが顕在化した結果と思うとよいのではなかろうか。この点に関しては本シリーズその2やその他の回でやや詳しく扱う予定。

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 ↑こういうのがあった。確かに表面上はフェミニズムは当初の目的の逆を行っているように見えるかもしれないが、長く複雑な運動の末にそうなったということは理解しておくべきかと思う。それでも逆行してしまっているかもしれないのでそうなったら批判しよう。

原則3・フェミニストといってもピンキリである

 昨今の様々なネット炎上事例*6は、トゥイッター上の影響力のあるフェミニスト、いわゆるツイフェミの人たちによるものが大きい。ただし「ツイフェミ」なる言い方はなんだか侮辱的なのであまり使わないようにする。さて問題はこうしたトゥイッター上のフェミニストにまともなフェミニストはいるのか、という問題である*7

 トゥイッター上で有名な人というのはただ単純に有名なだけである場合も多い。フォロワーを稼ぐためにあえて過激なことを言ったり妙に聴えの良いことを言ったりしているだけで、議論のできる人ではないかもしれない。インターネッツといえども肩書きで人を判断することは私は重要だと思う。博士号を持っているとか、ちゃんとしたメディアで言論活動を行っているとか。ただし博士号を持っていても珍妙なことを言う人はいるし、大手メディアがトゥイッターで有名だというだけで執筆を依頼することもあるのであんまり役に立たない術かもしれないが。

 とにかく、そもそもただ声が大きいだけで一流ではない人というのはどの界隈にもいて、フェミニストにもそういう人はもちろんたくさんいるのである。この見極めをして不毛な議論を避けるべきである。

原則4・知識と冷静さを身につけよう

 先ほど「現実との乖離」ということを述べた。あまりにも抽象的すぎてダメなフェミニストの議論というのは、そもそも現状認識において誤っているものである。例えばマンガやアニメの作品を批判する際に基本的なデータを間違って認識していておかしな解釈をしてしまったり。正しい知識を持つことは何よりも議論の大前提である。

 正しい知識がないならば調べればよい。大事なのは「これって飛躍した解釈では?」というのをよく考えて察知することかと思う。そういう冷静さを持ちましょうや。

原則5・ルールとマナーを守って楽しく議論しよう

 冷静さという点でもう少し。とかくトゥイッターというのは頭に血が上りやすいメディアである。なので私はトゥイッターでは無難なことばかり書いている。こういう熱のこもった文章はブログに書く。ブログだと言葉が尽くせるので。

 まあ「キーッ!」とならずに時間を置いたり時間をかけたりしてよく考えて自分の意見を述べることである。それが議論のルール、マナーである。こんなものは当り前だけれど、何故かフェミニズムの議論になるとこういった態度をとれない人は多い。

 気をつけましょう。

*1:そしてフェミニストには社会学者が多いことから社会学者全般が「社会学者(笑)」と見なされてしまってもいるようだ。

*2:芳賀ゆい

*3:何が「なので」なのかと問われると困るのだが

*4:というのは建前で本音は他にあるのかもしれないが。

*5:コロナウィルスのように

*6:ネット炎上に関してはこちらの記事も参照→『ネット炎上の研究』読書メモ - 曇りなき眼で見定めブログ

*7:ぶっちゃけ私はまともなフェミニストというのはそれほど多くないと思っているのだが、それはさておき。

【感想】前衛的アニメ映画「リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様」を観てきました

 なんかそこそこおもしろかった。

 驚いたことに、あんまりテニスをしていなかった。マフィアとの追いかけっこが主だった。私は『新テニスの王子様』は読んでいないけど『テニスの王子様』は(だいぶ昔に)読んでいて、けっこう試合ばかりやっている印象がある。

 今作はアメリカでの話なので青学とかイケメン選手たちがそもそもあんまり出てこない。竜崎とのお話である。私はよく知らないが、ミュージカルが好きなファンはそれでいいのだろうか、とか思っていたらクライマックスで無理矢理に総登場して笑ってしもうた。この無理矢理感がテニプリの良いところだと思う。幸村と手塚に繋がるところも無理矢理で良い(私はDecide版というのを観たが、Glory版だと違うのかも)。

 あのテニスボールはなんなのだろう。というか最初のところでボールを打ったのは誰だったのか? けっこう謎を残したまま終っている。あとドレッドのお姉ちゃんはなぜ足にラケットを付けたのか!? これが本作最大の謎である。

 とにかく、フルCGで、ミュージカルで、あんまりテニスをやらずテニス部メンバーも出てこない、という新しさ、冒険精神はおおいに評価したく、それなりにおもしろかったです。

 新海誠先生も褒めていたけど、このとおりだと思う。

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【なぜか多い⁉︎】ネット上にある証明論的意味論の日本語文献まとめ

 日本で証明論的意味論(PTS, Proof-Theoretic Semantics)を研究している人、やたらと多くないだろうか!? という感じがしているが、どうもそうでもないらしい。後述する大西先生の講義によると、大西先生の博論以降の10年弱でも研究の進展はそれほどないとか。京大周辺に特に多い気がするが、京大周辺の方々が執筆や情報公開に積極的で検索にかかりやすいということなのかもしれない。

 それで、検索したら出てくるいろいろな証明論的意味論の文献を収集して見たり読んだりしてみたのでここに記録する。

大西琢朗「証明論的意味論と双側面説」

 大西琢朗「証明論的意味論と双側面説

 大西先生の博論で、証明論的意味論に関する日本語文献ではもっとも詳しいものであろう。私はまったく通読できていないのだが、これを解説した講義動画がYouTubeにある。それを見た。


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 双側面説というのを詳しく扱っている点がポイント。これが私にはけっこう難しかった……。

矢田部俊介「証明論的意味論入門」

 矢田部俊介「証明論的意味論入門

 矢田部先生は論理の哲学・哲学的論理学の日本一の論客である(こうやって書くとなんだか馬鹿にしているように受け取られかねないが本当である)。

 これは京都大学の講義資料となっていて、証明論の基礎から解説されている。自然演繹とシーケント計算(推件計算)と。構造規則についても詳しい説明なんかもある。(私はすべてをちゃんと読んではいません。)

 関連した内容の講義動画がYouTubeにある。 


www.youtube.com

 

鈴木佑京「証明論的意味論への招待/あるいは/哲学はなぜ論理を語るのか」

 名古屋大学の数学・ロジック同人サークル"The Dark Side of Forcing"の同人誌vol.6より。公開していたHPが見れなくなっていたようなのだが、探せば見つかる。

 哲学の門外漢(数学者、数学徒)に向けて哲学の議論を披露するというていで書かれている。ソーカル事件なんかにも触れている。哲学者が論理や数学を使うのは、ソーカルに批判されたようなメタファーや装飾としてではなく、哲学的アイデアを論理や数学を使って具現化しているのだ、というおもしろいことが述べられている。証明論的意味論は言語の使用説を論理・数学で具現化したものだと。

 局所的ピークの簡約と調和についてわかりやすい説明がある。

伊藤遼「証明論的意味論とその課題」

 伊藤遼「証明論的意味論とその課題

 ダメットの議論がまとめられている。ダメットを読んでいない私には良いまとめかどうかわからないが、ダメットを知らない私でもなるほどと思える良い論文である。反転原理、保存的拡大、tonk、調和など重要な概念がわかりやすく述べられている。

 近年の証明論的意味論の議論は検証主義的意味理論よりも自然演繹の推論規則を調和という観点から拡張して正当化することに傾いていると指摘されている。

 マーティン=レーフの名前も一瞬だけ出てくる。

豊岡正庸「証明論的意味論における原子ベースと完全性の連関」

 豊岡正庸「証明論的意味論における原子ベースと完全性の連関

 言っていいのかわからないが、私の研究室の先輩である。わずか一年の先輩であるがこのような素晴しい論文を書いておられ、たいへん尊敬している。

 大西動画ではあまりしっかりとは扱われていなかった原始ベースについてのサーベイである。正直いって私にはけっこう難しい論文で、あまりわかっていない。ただし前半に証明論的意味論の要点が短く纏まっていて勉強になる。

豊岡正庸「異なる論理の共存と証明論的意味論における調和概念について」

 豊岡正庸「異なる論理の共存と証明論的意味論における調和概念について

 直観主義論理の結合子と古典論理の結合子をひとつの体系のなかで共存させよう、という内容である。証明能力という観点で見てしまうとたいしておもしろくない結論しか出ないが、しかしこれに証明論的意味論の調和概念を使う(ために規則を操作する)といろいろと違いが出てくるらしい。

まとめ

 証明論的意味論とは何か!? というのがこれまでずっとわからずモヤっとしていたのだが、少しわかった気がする。モデルを使わずにどうやって意味が与えられるのか? と思っていたが、大西先生によると証明論を使ってモデルっぽいことをやるのだとか。あとは導入則は意味を与えているものと考え、除去則も反転原理でそのようにみなせると考えるとか、なるほどとなりつつある。

【感想】『アーヤと魔女』を観てきましたよ

 けっこうおもしろかった也。

 だいぶ前から予告を何度も劇場で観ていて、正直いってそれほどおもしろくなさそうだと思っていた。CGの動きがまだまだ硬い感じで、髪の毛なんかも微妙だと思った。宮崎吾朗監督にしても、『コクリコ坂』はそんなに悪くなかったけど全体としてはあまり良い印象はない。

 なのだけれど今作はおもしろかった。21世紀のジブリらしい洋児童文学アニメだが、主人公のアーヤはけっこう計算高く人を欺く。「アーヤ」という名前も「操る」から来ているし。私は頭が固く要領が悪いことが悩みなので、こういう適当な嘘でその場を切り抜けられるような人が憧れである(なんか「日曜日よりの使者」みたいだが)。とにかく良い性格をした良い主人公だった。ミミズを壁の穴に入れるところとかなかなか感動した。CGもとおして見るとそんなに悪くなかった。

 しかしアーヤの操る技術みたいなのがいまいち伝わってこない感じはあった。もっと徐々に絆されていくのかと思ったらけっこうコロッといっていた。エンディングのマンガ(誰が描いているのかわからなかった……)は本編の後のお話なのかもしれないが絆されていく過程の部分のところのような気もする。ぶっちゃけあのエンディングのマンガが本編よりもおもしろかったかもしれない。てことはもうちょっと尺があるとよかったのかも。もしくはテレビシリーズとかにして、なおかつアーヤのいたずらなんかももっとこまごまとたくさん見られるとよかったのかも。

 まあでもおもしろかったですよ。

「くしゃみ→誰かが噂をしているor風邪」の哲学(アニメ「Free!」より)

 アニメ「Free!」を見ている。もうすぐ新しい劇場作品をやるのだが私はぜんぜん知らないので、大急ぎで勉強している。

 第3話(第1期ね)冒頭で遙がくしゃみをする。遙は、くしゃみが出るのは誰かが噂しているときだ、と言う。マンガやアニメでよくある話である。さらに渚が、噂しているのは凛だと言う。それに対して真琴が「いや、ふつうに風邪だよね。まだ四月なのにプールで泳いだりしたから」と言う。

 この真琴の反論がなんか変な感じがするのである。

 まず、噂とくしゃみに相関や因果があろうはずがない。先ほど「マンガやアニメでよくある話である」と書いたが、マンガやアニメでよくあるのは、誰かが噂をして噂された人が別の場所でくしゃみをするという演出である。今回のシーンはくしゃみをしているだけで噂はしていない。なのでこのシーンのリアリティのレベルは高そうで(リアリティのレベルってなんだって話だが)、よくあるマンガやアニメと違って噂とくしゃみに相関や因果など認める必要がなさそうである。

 何が変なのかというと、にもかかわらず真琴の反論が「噂とくしゃみに相関や因果があろうはずがない」ということではなく「寒いのにプールに入ったから」となっている点である。なんだが噂とくしゃみに相関や因果があるとある程度認めたうえでそれよりも寒いのにプールに入ったことのほうが原因として妥当だと訴えているように聴えるのである。

 これって何なのだろう??

 科学哲学っぽいことを言おうとしたけれどうまく表せない。反証の仕方がポイントをえているかどうか、みたいな。議論学というか。

 とにかく「Free!」はおもしろいです。

【感想】『岬のマヨイガ』なるアニメ映画を観てきたった

 なかなかキマッているアニメであった。

 手短に感想を。

 特に熱い感想とかはなく。あまり良い映画作品ではないという印象である。とにかくなんだかよくわからない話だった。予告をチラッと見ただけでほとんど何も知らずに観にいったので、「これって妖怪とかでてくるんだよね?」となった。妖怪(ふしぎっと)がなかなか出てこなくてなんの話なのかよくわからないまま進んでいく。そして最終的に妖怪たちがなんだったのかよくわからない。マヨイガとかババアの正体とか虐待とか震災とかもなんだったのかよくわらない。いったい脚本家は誰だと思ってクレジットを見てみると、吉田玲子氏というけっこう実績のある人で驚いた次第。

 せめてババアでなく綺麗なおネエちゃんとかだったらよかったかもな〜と思うのだが、児童文学だし、ワシなんてターゲットじゃないのだろう。しかしじゃあターゲットはどういう層なのだろう。女子の中学生だか高校生だかの二人連れの客がいたが、あの子らはこれを見てどう思ったのか気になる。

 で、じゃあ駄作かというとそんなことはない。目を見張る部分がある。作画好きならば誰もが瞠目しただろうけど、あの昔話のシーケンスである。どうも大平晋也氏ほか超絶アニメーターが担当しているっぽい。ここだけでも見る価値はあるので難しい作品である。YouTubeで公開しているがあれは一部で、他にもある。

 というわけで難しい作品でした。