曇りなき眼で見定めブログ

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アニメをとおしてジェンダーやフェミニズムを考えたい人が見るべきアニメはこいつらだ!(徐々にアップデートしていく予定)

 相変らずフェミニストとアンチとの論争というか叩き合いがそこかしこ*1で起っているようで、よくないことに、アニメ文化は悪しきものであるとか、そういうことを言うフェミニストは頭のオカシイ連中であるとか、極端な分断みたいな感じになっていたりする*2。私として気になるのは、日本のアニメやアニメ周辺の文化がジェンダー論的に「遅れている」と見なされている風潮である。ジェンダー論的にフェミニズム的に「正しい」かどうかで作品を評価する人を見るとそう感じる。むしろアニメを見ることでそういうことをより深く考えるきっかけになる、みたいな感じになったほうがよりよい鑑賞体験になると思う。

 というわけでなんかそういう知見が得られそうな作品を集めていくのだけれど、噂は聴くけど見ていない作品とかアニメは見たけど原作は見ていないからアニメならではのことが言えないとかそういう作品ばかりになってしまいました。見たり読んだりするたびにアップデートしていく所存。

必見の監督

 ジェンダー論やフェミニズムを専攻していて日本文化を論ずる人ならば絶対に見ておくべきアニメ監督が二人いる。それが幾原邦彦さん(1964〜)と高畑勲先生(1935〜2018)である。幾原さんは1990年代から監督として活動しはじめ、自ら(あるいはチームで)原作を手掛けたオリジナル作品を多く作っており、国内外で高く評価されている。高畑先生は言わずと知れた日本アニメ史に残る巨匠であるが、若い方はもうすでにピンとこないかもしれないのであとでちゃんと解説する。スタジオジブリの創設者の一人である。

 彼らはジェンダーフェミニズムに強い関心を持っている(持っていた)と思われ、作品から監督の思想を考えるのも良いし、その受容史・影響史を調べるのもおもしろいだろう。けれども私としては、なにより彼らの作品から性の多様性とか新鮮な女性像とかを学びとっていく姿勢が必要かと思う。

幾原邦彦監督作品

 幾原邦彦さんはもともと東映動画(現・東映アニメーション)の演出家で、1993年の「美少女戦士セーラームーンR」が初監督作品となる*3セーラームーンシリーズはもともと佐藤順一さんが監督だったが、「R」の途中のちびうさが出てくるあたりから幾原さんに交代する。セーラームーンを「SuperS」まで担当したのち、1997年にオリジナル作品の「少女革命ウテナ」を監督する。これ以降の作品はすべてオリジナルである。「ウテナ」劇場版ののちは長く沈黙していたが*4、2011年の「輪るピングドラム」を皮切りに「ユリ熊嵐」「さらざんまい」というかなりアクの強いアニメを作っている。

 宝塚や寺山修司に影響を受けた絢爛豪華かつアングラな世界観、シュールなギャグ、珍妙なキャラクター、ひと目で幾原作品とわかるような個性を持った監督であり、当人のルックスやファッションもヴィジュアル系みたいでカッコイイ。そして多くの作品で多様な性、ジェンダーをモチーフとしており、特にセーラームーンウテナが日本のサブカルチャージェンダー観に与えた影響は大きいものと思われる。

セーラームーンS(1994〜95年、テレビシリーズ)

 セーラームーンの第3期シリーズである「セーラームーンS」には、セーラーウラヌスセーラーネプチューンという新戦士が登場する。本名はそれぞれ天王はるかと冥王みちるという。はるかはふだんは男装をしており、一人称も「僕」である。今ではキャラクターの属性としてよくあるが、当時は珍しかったはずである。また、はるかとみちるはどうも恋愛関係にあって交際しているっぽいのだが、直接的な描写はない。しかし友情以上の感情を互いに抱いていることは明らかで、こういうのも先駆的と思われる。彼女らはいつからかは知らないが「百合界のカリスマ」と呼ばれるようになった。

 後半ではセーラーサターン土萠ほたるが登場する。黒髪でおかっぱっぽい髪型、和風で清楚、病弱でありながら実は世界を滅ぼすほどの強大な力を秘めている、と萌え要素てんこもりである。実は彼女の名前こそが「萌え」の語源とも言われている。

 セーラームーンSはこのように女性キャラクターの幅を著しく拡げた作品と思われる。これで何かに「目覚めた」人も多いのではないだろうか。ちなみに原作は未読です。すみません。読んだら追記します。このままだと原作成分と幾原テイストの違いがわからないので。

セーラームーンSuperS(1995〜96年、テレビシリーズ)

 こちらはまだほとんど未見です。すみません。

 注目ポイントとしては、フィッシュアイという敵キャラが出てきて、これがいちおう男キャラということだがおそらく性自認が女で、けれども男性声優が女声を出している。これがけっこう画期的で、リアルタイムで女キャラだと思っていた人が多いらしい。ちなみにCVは石田彰さん。石田彰さんの女声がすごいのである。

少女革命ウテナ(1997年、テレビシリーズ)

 この作品は文字通り革命である。話のほとんどが意味不明なのであるが、とにかくすごい。

 主人公の天上ウテナは女子高生であるが男装している。しかし心が男というわけではない。髪も長い。気が強い性格だが、言葉遣いは男言葉というほどではない。でも一人称は「僕」である。男になりたいとか男のふりをしているわけではなく、単に「王子様になりたい」というのがウテナのモチベーションである。そんで姫宮アンシーというヒロインを巡って生徒会の人と決闘する。姫宮は「薔薇の花嫁」で、「世界を革命する力」があるとかないとか。前半のストーリーはこんな感じである。

 何を言ってるのかわからないかもしれないが、そういうアニメなのである。男性性とか女性性に囚われないのが幾原作品の特徴といえる。また、そうした物語のなかで同性愛とか近親愛とかはたまた略奪愛とか、多様な形の愛が提示される。そんで薔薇の花嫁というワードがけっこう深い象徴的意味を持っていたりして、王子様とお姫様とかそういう物語へのアンチテーゼなのだなというのが後半になんとなくわかってくる。なのでディズニープリンセス的なのが好きな人がどう思うかとかは興味がある。ディズニーを題材にジェンダーを論じている人は、ぜひ「ウテナ」との比較とかもお願いしたい。

 詩的で謎めいた様々なキーワード、影絵や演劇的装飾を用いた実験的な舞台設定に演出、シュールなギャグ、そしてウテナの新鮮なキャラクター性など、魅力が満載の作品である。「エヴァンゲリオン」が大ヒットしていた当時の、オリジナルアニメの勢いが窺える。

 なお、テレビシリーズを再構成した劇場版があるのだが、こちらはさらに話をかけて難解かつ前衛的である。

 

 他の監督作品の「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」「さらざんまい」もこうしたモチーフを大なり小なり継承している*5

高畑勲監督作品

 高畑勲は、日本のアニメの草創期から携わってきたパイオニアの一人であり、「アルプスの少女ハイジ」や「火垂るの墓」といった誰もが知っている名作の監督でもある。東映動画で演出家となり「太陽の王子ホルスの大冒険」を撮るも、制作の遅れと興業不振の責任をとって降格したりスタジオを出て「ルパン三世」や「パンダコパンダ」を作ったりする。東映動画の後輩である宮崎駿とはお互いを認め合っており、「ハイジ」や「母をたずねて三千里」では駿を右腕の如く重用した。駿が監督作品「天空の城ラピュタ」を制作する頃に鈴木敏夫らとともにスタジオジブリを設立、それ以降は高畑先生もジブリで監督作品を作っていた。

 特にインタビューなどでも語っておられないと思うのだが*6、高畑先生はフェミニズムにかなり関心があったと思われる。しかしそれは特別なにかそうなるきっかけがあったからではないかもしれない。高畑先生という人は非常に教養の深い方であり、作品のテーマの掘り下げのためにものすごく勉強をする。作品やそれを届けるべき社会と向き合ううちに自然と作品の傾向がそうなっていったとしても不思議ではない。

太陽の王子ホルスの大冒険(1968年、劇場作品)

 いわゆる東映長編の一本。朝ドラの「なつぞら」でこの作品の制作時の実話をもとにした話が展開された。高畑先生のほか、森康二大塚康生、奥山玲子、小田部羊一、井岡雅宏、宮崎駿といった日本のアニメの礎を築いた人々が参加した本格的作品で、アニメ史に興味があるならば必見である*7

 ストーリーは北欧神話アイヌの伝承がベースにあるらしい。ホルスという英雄的な少年がグルンワルドという悪魔と闘う話なのだが、民衆の反発にあったりして見ていてけっこうイライラする。しかしこういうところが高畑イズムである。

 本記事において特筆すべきは、グルンワルドの妹のヒルダという少女のキャラクター性である。実は本作は、後で取り上げる「雪の女王」というソ連製アニメの影響を強く受けていると思われる。ヒルダは名前からして「雪の女王」のゲルダを基にしているっぽいし、他にもクリーチャーの造型に影響が窺える。「雪の女王」の少女ゲルダは、カイという少年を救う決意をして冒険する。そういう自ら選択して闘う少女みたいなのが「ホルス」のゲルダのキャラクターにも現れており、さらに後のジブリ作品にも引き続き影響していったと思われる。

アルプスの少女ハイジ(1974年、テレビシリーズ)

 言わずと知れたテレビアニメ史上の傑作であるが、ちゃんと通して見たことのある人は意外と少ないのではないかと思う。私もちゃんと見たのは最近である。ヨハンナ・シュピリという作家の19世紀の文学作品が原作であるが、未読。ざっと見たところそこそこ原作に忠実に作られているようだが、原作は長い中編か短い長編という程度の長さのところを全52話にしているわけだから、かなりディティールを足している。その徹底した生活描写、自然描写、人物描写のリアリティーが本作の最大の特徴である。場面設定・画面構成という珍しい役職を設けてそれを宮崎駿に担当させている点や「キャラクターデザイン」という役職を初めて導入した点など制作上の画期的な点もいろいろあるのだが、まあそれはまたの機会に論ずるとして、とにかく駿の功績による空間のリアリティー小田部羊一さんデザインによる普遍的なかわいらしさのあるキャラクターは素晴しく、日本アニメの現状を見るに当時のような水準のテレビアニメはもう二度と作られることはないのだろうなあと思う。

 話を戻そう。本作を現代の視点から見ると、そのジェンダー感覚のバランスの良さに驚いてしまうのである。47年前の作品であるが、ジェンダー・ロールとか男尊女卑的なセリフがまったくない。ペーターが女の子であるハイジとつるんでいることを村の子にバカにされたりするのだが、それが子どもらしい見栄からくるもので、特に女性蔑視とかは感じない。

 高畑先生はこれ以降断続的に、女の子や女性を主人公として、自由や自律やそれに伴う苦悩をテーマとした作品を作る。「ハイジ」の第1話でハイジが厚着した服を脱いで野を駆けていくシーンがあるのだが、これは「かぐや姫の物語」でも反復される。他にもいろいろあるのだが、詳細はまた別の記事で。

 一つだけ「ハイジ」に関して特筆すべきことを記しておく。ハイジは両親を亡くして母の妹のデーテに預けられる。このデーテがハイジをアルムおんじに引き渡すのが第1話である。このデーテのキャラクターが実にいい。デーテはフランクフルトに奉公口が見つかってハイジが邪魔になったからハイジをおんじに預けるのだが、ハイジを嫌っているわけではなく、あとで再登場してゼーゼマン家(クララの家)に連れていく。けれどもこれはゼーゼーマンという資産家に気に入られたくてという側面も確実にある。ハイジの視点で見るとデーテはかなり勝手な人間なのだが、デーテにはデーテの人生もある。この人物造形のリアリティーが高畑作品の特徴で、「火垂るの墓」のおばさんとかにも受け継がれている。

赤毛のアン(1979年、テレビシリーズ)

 こちらも原作は女性作家による文学作品で、かなりジェンダー論的な観点からの批評や研究もあると思う。

 まだちょっとしか見ていない。ちょっと見ただけで言えることとしたら、やはり高畑作品らしい人間の仕草や感情の豊かさがあると思う。また本作の作画監督はのちにジブリ作画の中核を担う近藤喜文さんで*8、彼が覚醒した作品でもある。本作の仕草や感情表現の巧みさは、近藤さんの功績が大きいものと思われる。

おもひでぽろぽろ(1991年、劇場作品)

 ジブリ制作の劇場作品で、金曜ロードショーで何度も放送されている。のわりにはかなりシビアな大人の女性のお話である。いまではあまり言われない「婚期を逃す」ことに関する話なので。主人公と同じくらいの年齢の現代の女性がこれをどう見るのかとか、もっと議論が盛り上ってもいいように思う。とにかく、かなりアニメ史上の異色作であろう。高畑先生ぐらいしかこういうのは作れないでしょう。

 原作マンガは未読。原作とアニメ映画ではかなり違うらしい。

 細かい話を一点。本作には「電脳コイル」などの監督である磯光雄さんがアニメーターとして参加している。原画担当シーンは小学生パートのドッヂボールのところとテレビ内の「ひょっこりひょうたん島」のところなど。金曜ロードショーなんかで見る際にはぜひ注視していただきたい。この数年前からすでに磯さんは若き天才アニメーターとして業界内で注目を集めていたらしく、彼の生み出した様々な技法や思想は現代の若手にまで多大な影響を与えている。けれども素人の私には彼の作画理論は難しくてよくわからない。でも良い作画だということは見ればわかる。

かぐや姫の物語(2013年、劇場作品)

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同年に公開され、いろいろと比較して論じられた作品である。ひときわ対照的なのはやはり女性キャラクターの描き方だと思う。そのへんの議論を追っているわけではないので私にはたいしたことは書けない。なので私なりの視点で書いておく。

 かぐや姫が走りながら十二単を脱ぎ捨てていく超名シーンがあるが*9、そのへんは先述の「ハイジ」第1話の反復だと思う。そう考えると本作は「ハイジ」とけっこう似ている気がしてくる。かぐや姫ってハイジとクララを合体させたキャラクターなんじゃなかろうか。「ハイジ」が好きな方には、ハイジの続編かアナザーストーリー的な視点から「かぐや姫」を見ることをオススメしたい。

よく見たら(?)すごい作品

カードキャプターさくら(1998〜99年、テレビシリーズ)

 名作だけれどずっと見ていなくて、最近はじめて見た。そして驚いた。これは本当に衝撃的なアニメなので、アニメが好きだけどまだ見たことがない人もアニメというものを蔑視している人もぜひ見ていただきたい。本作には「恋愛は同年代の男女の間でするものだ」という考え方が一切ない。同性間であったり、年齢差があったり、肉親であったり、種族が違ったり、そういう多様な愛の形が当り前のようにポンポンと出てきて、誰も咎めたりはしない。いまの20〜30代で放映当時女児だった人の多くは価値観においてかなり影響を受けたのではなかろうか。個人的には知世ちゃんのさくらに対する想いが近年よく論じられるオタクの推しへの感情というのとダブって見えてグッとくる。前出の「ウテナ」とも似ているのだが、「ウテナ」がそうしたテーマを前面に出していたのに対し、「CCさくら」はいたって普通のこととして描いている。しかも教育テレビの夕方放送であったのだから素晴しい。

 原作はCLAMPによるマンガである。CLAMPというのは女性4人組のグループで、もともと同人サークルだった。少年マンガや青年マンガの二次創作のBLを描いていたらしい。「CCさくら」のこうした性や愛の感覚は、同人や二次創作の文化と深く関係しているように思う。「鬼滅の刃」の感想記事*10でちょっと触れたのだけれど、「CCさくら」はいわゆる魔法少女とか変身美少女ものというよりはそうしたもののパロディーっぽい作品だと思う。

 原作マンガはほぼ未読です。けれどアニメよりも原作のほうがより奔放に多様な愛が描かれているようです。

 劇場版もあるが観ていない。また、2018年にテレビアニメの続編が放映されたのだけれど、まだ見ていない

プリキュアシリーズ

 プリキュアシリーズはけっこう時代の流れに敏感に反応して新しい価値観を取り入れていくことで有名である。けど私はぜんっぜん詳しくない。なんか見たり見なかったりしている。いつかシリーズをちゃんと見たい。

 第一作の「ふたりはプリキュア」は、女の子も肉弾戦をやるというのを売りにしたらしい

僧侶と交わる色欲の夜に…(2017年、テレビシリーズとWeb配信シリーズ)

 笑っちゃうようなタイトルだが、これはアニメ文化史やジェンダー文化史上で画期的な作品である。同名のマンガが原作で、テレビ放送とWeb配信が並行して行われた。何が画期的なのかというと、非常に珍しい女性向けのエロアニメなのである。

 原作マンガはティーンズラブというジャンルに属する作品である。ティーンズラブは略してTLとも呼ばれる。このTLを説明するのが難しい。私も最近知ったばかりの領域で、以下の説明は何か間違っているかもしれない。要するに女性視点で描かれた女性向けのエロマンガなのだが、男性向けとは異なる伝統を持っている。また成人指定が入るものは少ないようだ。男性向けエロマンガは劇画やロリコンブームやアダルトゲームなどの背景を持っているが、TLは少女マンガやレディコミの延長にある。雑誌「少女コミック」の新條まゆ先生の作品のように、少女向けでも性に関して踏み込んだ作品というのは多い。レディコミとなるともっとである。そのような「恋愛の延長としてのセックス」をもっと明示的に取り込んだジャンルがTLといえる。男性向けのエロはもっと行為やフェティシズムを露骨に描いたものが多いが、TLはそういうわけなので背景のストーリーや精神的繋がりを重視する。ただしちゃんと行為は描く。また近年は「COMIC快楽天」など大手男性向け成人マンガ雑誌でも「恋愛の延長としてのセックス」を描いた作品が王道となっていたりする。

 さて『僧侶と交わる色欲の夜に…』に戻ろう。これはタイトルの通り女性と僧侶との恋愛とセックスを、女性視点で描いたお話である。アニメ版は5分枠でテレビ放送されたのだが、性描写が過激なシーンにはモザイクの要領で木魚の絵が被さったり「TERA劇場」というミニコーナーが映されて全面的にカットされたりする。そしてWebで有料でR-18の完全版が見られるようになっているのだ。このカットバージョンがいまもWebで無料で見られるので私はこれを見たが、R-18完全版はまだ見ていない! こうしたメディア展開も興味深い作品である。原作もアニメもComicFestaというプラットフォームで配信されていて、原作は全年齢向けである。ComicFestaはこれ以降も同じような形式でアニメを継続して製作しており、それらは「僧侶枠」などと呼ばれている。

 ただしTLアニメというジャンルが根付いたといえるかどうかは微妙である。後発作品はあまりないく、僧侶枠も最近は男性向け作品を原作としていたりBLだったりする*11。これが僧侶枠の進化なのか退化なのかはよくわからない。今後も注視していきたい。

考えるヒントになりそうな作品

雪の女王(1957年、劇場作品、ソ連

 ソ連の作品だが、いろいろと理由があって取り上げる。当時のソ連はディズニーにも引けを取らない傑作アニメーション映画を多く作っていたが、その最高傑作が「雪の女王」である。原作はアンデルセンの童話で、「アナと雪の女王」もいちおう同じ原作をモチーフとしている。ストーリーはこんな感じ。ゲルダとカイという女の子と男の子がいて、あるとき雪の女王がカイを連れ去ってしまう。ゲルダはカイを救うために旅をする。様々な苦難を乗り越えてゲルダ雪の女王の宮殿に辿り着く。カイは胸にガラスのトゲが刺さっていて心を失っていたのだが、ゲルダの涙がそれを溶かす。めでたしめでたし。なおアンデルセンの原作では宗教色が強いのだがソ連版ではそれはない。

 「ホルスの大冒険」の項でも述べたが、東映動画の社内で本作が上映され、ホルスのストーリーやヒルダのキャラクターに影響を与えた。しかし高畑先生以上に強い影響を受けたのが宮崎駿であった。以下のインタビューで駿がその魅力を熱弁している。

 映画『雪の女王』新訳版公式サイト - 宮崎駿監督

 女の子が男の子を救うために行動し、冒険し、最後は愛の力で心を救う。こうしたストーリーは「千と千尋の神隠し」の後半とよく似ている。駿は大監督であり彼の作品はいろいろな角度から論じられるが、その女性キャラクター像は称賛されたり非難されたりする。しかし彼の根底には「雪の女王」のショックがあるということは押さえておくべきかと思う。

宇宙戦艦ヤマト(1974年、テレビシリーズ他)

 「ヤマト」の最初のテレビシリーズはハイジと同時期にやっていて、しかも裏番組だった。テレビ放送時はハイジはものすごい高視聴率で、ヤマトは振るわなかった。しかしその後ヤマトは劇場版や続編を次々と制作し社会現象となっていく。広い年齢層のファンを獲得しアニメ文化の幅を拡げたことがヤマトの功績であろう。

 しかし当時を知らない世代である私が見ると、明らかにヤマトよりハイジのほうが優れた作品と感じられる。作画のレベルが格段に高いとか技術的な格差もあるのだが、本記事の趣旨に沿って見てみると、やはりハイジにあったジェンダー感覚がまったくないのが気になるのである。ハイジと同時にやっていたとは思えない古さである。ヤマトには森雪というヒロインが出てくるのであるが、いわゆる紅一点的な出方である。ナースをやったりとか。現代の視点で見ると森雪の扱いはけっこう可哀想にすら見えるときがある。ちなみにヤマトの次に社会現象を起こしたSF作品である「機動戦士ガンダム」では女性キャラが戦闘に参加するようになり、さらにのちの「新世紀エヴァンゲリオン」では女性が副司令官的な役割をやるなど、女性の社会進出を背景にして女性キャラの扱いが変っていっているという指摘もあったりなかったり。

 ただしヤマトという作品は、1970年代にあって戦艦大和を持ち出したりなど、当時としても古臭い作品であったと思われる。むしろ宇宙SFものに古臭さをブレンドしたことが逆に新鮮だったのかもしれない。ハイジが現代に見ても新鮮な作品であったのとは対照的に、ヤマトは当時としても古い作品だったのだろう。しかもハイジは19世紀が舞台でヤマトは2199年である。というわけで、私のヤマトへの評価は低いのだが、まあアニメ史上の重要作品であることは変りない。ハイジと比較して見るとおもしろいかも。

うる星やつら(1981〜1986年、テレビシリーズ)

 良くも悪くも、現代にまで続くラブコメの類型を確立した金字塔的作品。こういうラブコメの感じというのはフェミニズム的に褒められたものではないのかもしれないが、事実誤認に基づいて批判されていることも多いようで、まあとりあえず見るべきである。開始当初の監督(チーフディレクター)は押井守さんであり、高橋留美子先生というマンガ界を代表する天才とアニメ界の奇才の合作であるから、普通におもしろい。80年代SFの空気感を味わえる。またラム役平野文さんのめちゃんこかわいい声であったりあたる役古川登志夫さんの軽快な演技であったり、声優の功績も大きい。私は一部しか見ていない。ごめんね。

 ラムちゃんは普段から露出度の高い格好をしていて(といっても基本的に家のなかでだけで学校では制服を着ているし休日に街に出るときも服を着ているが)、こうしたキャラクターがお茶の間に出現した意義は大きいだろう。空から美少女が降ってきて、しかもエロい格好をしていて、しかも主人公の男に惚れている、といういわば「男にとって都合のいい」系ラブコメディの元祖のような作品である*12。こういうのは批判ポイントになるかと思う。

 ただし、以下のデータを見てみると、本作は女性ファンのほうが多い。女性のほうがこういう投票に積極的な傾向があるからこうなるのかなと思ったが『めぞん一刻』は男性ファンのほうが多いようで、なんかリアルである。しかし音無響子さんはラムちゃんに比べるとまったく「都合のいい」ヒロインではないと思う。このへんの考察も楽しいね。まあそれはそれとして。

www.nhk.or.jp

 露出度の高い女性の広告やキャラクターは近年「性的消費」というふうに言われて批判されがちだが、昔はミニスカートやなんかが「女はおしとやかにしろ」みたいな価値観への反発だったりして、このへんはいろいろと微妙であるかと思う。ラムちゃんはどっちだろうか。原作者が女性でアニメのメインスタッフの多くは男性(キャラクターデザイナーは女性)であるという点も考慮すべきであろう。そして女性ファンが多かったということは、あたるの立場を羨む視聴者よりもラムちゃんの恋に共感して応援する視聴者が多かっただろうと推測される(しかしリアルタイムの視聴者がどういう割合だったかはわからない)。神回とされる回もそういう話が多い。また「ラム」という名前はグラビアアイドルの元祖ともいわれるアグネス・ラムから取られているというのも興味深い。さらに最初のオープニングテーマの「ラムのラブソング」も印象的で、平野さんの声とこの歌(歌っているのは平野さんではないが)がラムちゃんのキャラクターの確立に寄与している。これらの点をいろいろ踏まえてラムちゃんというキャラクターの受容を考えるとおもしろい。批判するにせよ称賛するにせよ、ラムちゃんは80年代の女性キャラクターの象徴というか金字塔であることは確かで、アニメ文化の歴史をジェンダーフェミニズムの観点から調べるなら確実に抑えておくべきだろう。

 本作にはもう一点、特記事項がある。原作もアニメも中盤から登場する竜之介というキャラクターがいる。竜之介は一見すると男だが実は女、というキャラである。ツッパリのような格好で言葉遣いもそんな感じなのだが、実は胸にサラシを巻いて乳房を潰していたりする。「サラシを巻いて胸を隠す」キャラというのは近年の二次元文化でよく見られるが元祖はこの竜之介ではないかと思われる。ただし竜之介のキャラはもう一段深い。竜之介は「女であるが男になりたくて男の格好と口調をしている」キャラ、ではない。竜之介の性自認はあくまで女であるが父親がクレイジーで竜之介を男として育てたので男のように振る舞うことしかできないのである。なので竜之介のお決まりのセリフは「俺は女だ!」というものである。心も身体も女なのに「女の子」というものへの憧れが強い。容姿端麗で男前な性格なので女子にモテるが、あくまで女の子らしくなりたいのでそれを疎ましく思っている。だが、自らの男っぽさを嫌っている割に、男として育てられたので自らの身体の女っぽい部分に居心地悪さを感じている。この妙なねじれが竜之介のおもしろさである。こうしたジェンダーのねじれは留美子先生の次作『らんま1/2』に受け継がれていく。竜之介は原作者もお気に入りでファンからの人気も高い。アニメでも竜之介の登場回は評価が高いようである。むしろけっこうあたるとラムが食われている。またCVの田中真弓さんはこれで一気に知名度が上がったらしい。
 なお、劇場版第2作『ビューティフルドリーマー』はアニメ史に残る名作で、アニメ好きならば必ず見るべきである。アニメ映画として傑作であるだけでなく、やはり後のサブカルチャーに多大なる影響を及ぼすある構造を持った作品となっている。ただし留美子先生からの評価は低くて、押井ファンとるーみっくファンはけっこうギスギスしている*13。先ほどのNHKのデータでは『うる星やつら』ファンは女性のほうが多いが『ビューティフル・ドリーマー』は男性ファンのほうが多い。これは押井ファンなのだと思う。こういうファンの男女比も調べるとおもしろいのである。

クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡(1997年、劇場作品)

 「クレヨンしんちゃん」の劇場版。本作では野原一家と共闘するゲストキャラとしてオカマの三兄弟が登場する。見た目は戯画化されたいわゆる「オカマ」というキャラである。そしてなんと、これ以降クレしんにこのようなオカマちゃんキャラというのは登場しなくなる*14。そして「オカマ」という言葉も使われなくなり、本作をテレビ放送する際には「オカマ」という台詞はカットされるらしい。「オカマ」という呼称は侮蔑的であり*15、近年のテレビでは「オネエ」と言ったりする。オネエなら良いのかという話もあるが、まあクレヨンしんちゃんも時代とともに変っていて、それが現れたところの一つがこれである。

 個人的には本作は「オトナ帝国」と「アッパレ戦国大合戦」に次ぐ傑作だと思っていて、ギャグのキレに関してはいちばん好きである。

エスパー魔美(1987〜89年、テレビシリーズ)

 藤子・F・不二雄先生のマンガが原作。しかし原作はちょっとしか読んだことがなく、アニメもちょっとしか見ていない。それでもこの作品を取り上げたのには理由がある。

 近年「ドラえもん」におけるしずかちゃんのお風呂シーンが非難されることが多い。のび太がどこでもドアとかなんらかの理由でワープするとそこはしずかちゃんの家の浴室で、しずかちゃんが入浴中だった、というおなじみのやつである。これがしずかちゃんの立場からすると普通にトラウマだ、というわけである。言われてみれば確かにそうである。しかし虚構作品に対してそうした批判がどれだけ成立するかというのはけっこう哲学的に難しい問題であって、そうした虚構論は現在勉強中なのでまたいずれ書く。

 で、実は「エスパー魔美」には「ドラえもん」のこの演出をメタ的にギャグにする場面がある。アニメでは第14話。高畑さんという魔美のボーイフレンドが入浴している浴室に魔美がずかずか入っていって、高畑さんが恥かしがる。そこで高畑さんが「これじゃあまるで僕は、しずかちゃんみたいじゃないか」と言うのである。この高畑さんというのはのび太とは正反対で頭が良く性格も良くて頼りになる好人物である。そして魔美は画家である父の絵のヌードモデルをやっていて裸に対する抵抗が薄かったりする。皮肉なことに「ドラえもん」はいまだに国民的アニメの地位を保っているが、「エスパー魔美」はこのややアウチな設定のために再放送がしにくいらしい。また「エスパー魔美」は「ドラえもん」のような突飛な能力は登場せず、地味な超能力が話のカギとなる。そして「魔美」は「ドラえもん」で「色気がない」と評されたF先生がちょっとエッチな作風を目指した作品であるらしい。などといろいろな点で「ドラえもん」とは対照的な作品で、「ドラえもん」を論じる際には「エスパー魔美」も抑えておくといいかもしれない。

 なので原作マンガを読むべきだが、アニメ版の監督(チーフディレクター)が原恵一さんである点は注目に値する。原さんは「クレヨンしんちゃん」の2代目監督で、前出の劇場版「暗黒タマタマ」および大傑作である「オトナ帝国の逆襲」「アッパレ戦国大合戦」を監督している。「クレヨンしんちゃん」のようなものを撮っておきながら真面目な人物で、下品なものは嫌いらしい。なんだかF先生と原恵一監督は似ている気がする。

けいおんシリーズ(2009年、2010年、テレビシリーズ。2011年、劇場作品)

 京都アニメーションの代表作の一つであろう。メインスタッフである監督の山田尚子さん、シリーズ構成の吉田玲子さん、キャラクターデザイン・総作画監督堀口悠紀子さんは全員女性で*16、登場人物もほぼ女ばかりという、ある意味で偏った作品である。そういうのは当時はまだ珍しかった気がする*17

 これまで取り上げてきた多くの作品は原作が女性で監督が男性なのだが、本作は逆である。そのあたりもおもしろいところ。

羅小黒戦記(2019年、劇場作品、中国。web版のシリーズも継続中)、ウルフウォーカー(2020年、劇場作品、アイルランド

 近年、ディズニー/ピクサーのような伝統あるスタジオではないところで、日本のアニメファンでもすんなりと見られてしかも上質な手描き2Dアニメが海外でも作られるようになってきている。アート色の強い作品でもなく。そこから二作品をチョイスした。本記事の冒頭でアニメが「遅れてる」と見なされることに憤慨していた私だが、この二作を見ると日本アニメの後進性を認めざるをえない。

 羅小黒戦記については長々と感想を書いたことがある*18ので割愛する。今後「羅小黒戦記にあって日本のアニメにないものを考える」という記事も書こうと思っていた。そこで書こうとした内容の一つに「良識ある大人が作っている感じ」というのがある。これは羅小黒戦記の大きな長所だと思う。なんだか日本のアニメで頻発するお色気シーンとか頬を赤らめるやつとかがめちゃくちゃ下品に感じられてくる。

 まだ感想とかを書いていなかったけれど「ウルフウォーカー」も素晴しい作品だった。制作スタジオのカートゥーンサルーンはポスト・ジブリとか言われているようで*19、監督の人も高畑・宮崎からの影響を認めているらしい。「ウルフウォーカーにあって日本のアニメにないものを考える」という記事も書こうと思っていたのだけれど、これは端的に言って「教養」であると思う。「ウルフウォーカー」という作品は教養で溢れている。日本の粗製濫造的アニメはそのへんがスカスカであることが多い。教養という点で高畑・宮崎のジブリを継承していると思う。本作は女の子ふたりが主人公で、イングランドによるアイルランド侵攻の抑圧を人間によるオオカミ狩りと重ねたストーリーだが、さらに女性への抑圧みたいなテーマともうまく絡めている。こう書くと難しい作品みたいだが、アニメーションとして非常に楽しい作品でもある。こういう知的なテーマを扱いつつエンターテインメントとしても上質なアニメが出てくるというのは良い時代になったものである。

 いずれも日本のアニメから強い影響を受けているのは間違いないのだが、むしろ日本アニメへの不満を形にしているようにも見受けられる。そのへんはまあまた別の記事で。

*1:といってもほとんどがサイバースペース上でのようですが。

*2:私の立場を述べておくと、男女平等の実現とか女性の地位向上を掲げるのは素晴しいことだけれど「フェミニズム」という思想運動はニューアカデミズムとかマルクス主義学問のような古き悪き人文科学を受け継いでしまっていると感じて支持できない、という感じ(個々の活動や個々の人物で興味深いときはあるけれど)。なので、私はフェミニストではあるけれど「フェミニスト」ではない、みたいな感じになる。こんなところでゆるしてちょ。

*3:正確には「監督」ではなく「シリーズディレクター」表記。

*4:小説やマンガ原作やアニメの手伝いをやっておられましたが、監督作品はありませんでした。

*5:雑ですいません…

*6:情報求めます。

*7:なんか偉そうですいません。

*8:監督作品に「耳をすませば」がある。

*9:私の文章では「超名シーン」とかそんな表現しかできませんわ。

*10:

「鬼滅の刃」(原作)を読んだのでその感想 - 曇りなき眼で見定めブログ

*11:BLがTLの一部といえるのかどうかはよくわかりません。少なくとも女性視点のお話にはならないかと。

*12:「ラブコメディ」という言葉はそもそも留美子先生とあだち充先生の活躍によってできた言葉だと思われます。

*13:こちらを参照→もしかして高橋留美子ファンは押井守ファンを嫌っているのでは? そして ufotable ファンと「鬼滅の刃」原作ファンも… - 曇りなき眼で見定めブログ

*14:たぶんまったく出てこなくなったわけではないと思われます。情報求む。

*15:人によっては「オカマ」という呼称を誇りに持っている人もいるだろうが、他人がそう呼ぶのはよくなかったりとか、いろいろある。

*16:この3人はチームを組むことが多いので、この3人がメインの作品という感じがします。

*17:少なかったというだけでそれなりにあったとは思います。

*18:

劇場版「羅小黒戦記」の感想(というか讃辞)(大ネタバレあり) - 曇りなき眼で見定めブログ

*19:こういうのって褒めてるのかどうか微妙な表現ですよね〜。