曇りなき眼で見定めブログ

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【黒柳さ〜ん!】『窓ぎわのトットちゃん』なる漫画映画を観てきた!【徹底批評】

 たいへん素晴しかった!

 ↓原作は有名だけど読んだことない!

 監督の八鍬新之介氏はこれまでほとんど『ドラえもん』にしか携わっていないようで、新境地らしい。よく知らなかったが。しかし演出が素晴しい作品だと思った。私のような高畑勲信者からすると高畑イズムを継承しているように感じられて嬉しい。八鍬監督は原恵一監督に影響を受けたらしいが、原さんもそこそこ高畑イズムがある。それともう少し若い人だと山田尚子監督にも通じるものもある。

 で、高畑イズムの演出とはどういうことかというと、それは客観的であるということである。高畑監督は著書で何度も自分は客観的なアニメを作ってきたと語っている。この客観性というのを具体的にどう言うかは難しく私も研究中なのだが、いくつかの特徴はある。まず内言が少ない。それと表情や演技が即物的で心情を説明しすぎていない。またキャラクターが突飛な行動をとる際にロングショットになったり第三者の反応を入れたりする。こうした演出は先に名前を挙げた人々に当てはまり、本作でも採用している。トットちゃんはハイジや(赤毛の)アンのようであり(どちらもアニメは高畑監督)、感受性豊かで常にお転婆で突飛な行動をするが、本作はそれを常に上述の手法で客観的に描いている。最近のアニメには珍しく内言はほぼなかったと思う。トットちゃんは表情豊かだがその表情は文字通り感情の表出であって説明的でない。また主人公らを見る第三者や別のことをしている他者を同一の画角に収めるロングショットは多かった。

 最近のアニメはいわゆる「エモさ」が重視されるが、私は個性的な子供を描く作品はこのような客観性が重要と考える。子どもは何を考えているかわからないしたぶん自分でもよくわかっていない。だからこそ見ていておもしろいのである。こうした点で本作は主観中の主観アニメである『SPY×FAMILY』なんかとは対極にあると思う。

 説明の少なさでいうと、けっこう読み解かないとわからないシーンもあって、私はそういう観客への委ね方は高く評価したい。先生が校長先生から高橋くんという少年の扱い方で叱られるシーンがあったが、あれなぞなんの説明もなくてすごい。たぶん高橋くんは身体が未熟でコンプレックスがあったのだろう。その後の運動会では小さい子が有利な競技で高橋くんが活躍する。先生の工夫が見られる名シーンである。駅員さんがいなくなるのも戦争に行ったからか。悪ガキがトモエ学園の子たちと比べて服がボロいのもリアルで良い。またラストシーンも謎だったのだが、列車が富士山の方へ向っているということは戦争が終って東京へ帰るということか(と思ったけど話の流れ的に疎開する方向か)。

 もうちょっと演出のことを書いておくと、重要な木に登るシーンをはじめトットちゃんが駅の階段を降りる何気ないシーンなど、子どもの危なっかしい感じがレイアウトと演出で描写されている。素晴しい。

 演出を支える作画も大変良い。子どもの肉感と体幹のふらついた感じが見事に表現されている。細かな身体の動きが生命を感じさせる。キャラクターデザインもレトロ風で画期的と思う。とにかくトットちゃんがかわいい。トットちゃんは声もかわいい。

 途中途中でアートアニメーションの技法を使ったシークエンスもあって、私みたいな普通のアニメに飽きている人間には嬉しいサービスである。

 ↓アニメーション研究家の土居先生はこう書いていた。

『窓ぎわのトットちゃん』試写。凄い…「普通じゃない」子供たちと学校に焦点を合わせているうちに、戦争へと突入する日本全体の普通がいつしかグニャリと歪んでいる…という恐ろしさ…葬式シーンからの一連のこの映像、気を失いそうなくらいに怖かった。『鬼太郎誕生』と並べて観るべき映画でもある

— 土居伸彰 Nobuaki Doi (@NddN) 2023年12月5日

私としてはこの葬式からトットちゃんが走るシーンは頭で考えた感じを感じて、それよりもその直後のトットちゃんが大きな水たまりに入って泣く姿を俯瞰でロングで捉えたカットにとてつもない美しさを感じ、そこにこそ監督の天性のセンスを見た。

 というわけで、今年の上位に入る傑作でした。しかし私の隣で観ていた子どもは退屈そうだったので、アニメ上級者の大人向けかもしれない。

 ↓高畑イズムに関してはこちら。

cut-elimination.hatenablog.com