「〇〇の現象学」がシリーズ化しつつあります…
プロ棋士は全員が、アマチュアでもある程度強い人は、脳内に将棋盤があるという。ぴよ将棋初段というしょうもない棋力の私はそんなものはないのでわからないのだが、どうもぼんやりと像が浮ぶのではなくリアルな実体として見えて、実物のように駒を動かせるらしい。以下の動画によればトレーニングによって身につくものだとか。
100%棋力アップ!脳内に将棋盤をインストールする方法。今日から貴方も藤井聡太
これについて現代現象学(という哲学の分野があるのです)の観点から考えてみたいと思っていて、そのために今回はまず棋士の方々の様々な証言をまとめておく。
また、将棋ファンの間でたびたび話題になる「藤井聡太の脳内には将棋盤がないのでは?」という説についても検証しまっせ。というかタイトルにもなっているとおり、この検証が本記事と脳内将棋盤の現象学構想のメインテーマです。
脳内将棋盤:棋士たちの事例と証言
プロ棋士は脳内将棋盤をどのように使いこなしているのか。それがわかる事例と棋士自身による証言をいくつか取り上げる。
目隠し将棋
まず、プロ棋士レベルになれば当たり前のように目隠し将棋ができる。将棋においては先を読むのが重要である。数手先の局面は現在とはまったく異なる盤面となる。いま眼前にはない将棋盤が見えれば先が読みやすくなる。目隠し将棋の能力はそれを保証する。
プロ棋士同士がテレビ番組の企画やイベントで目隠し将棋を披露することがよくあって、私も何度か見たことがある。私の印象では、目隠しでやると二歩をしやすいように思う。ただし印象でしかなくて統計データなどはない。もしそうだとすると、脳内将棋盤がいくらリアルだといって、流石に実際の盤よりは不確かなものということになろう。
クルマの運転ができない
棋士にはクルマの運転ができないという人が多い。羽生善治九段がそういう話をしていて、よく棋士の凄さとしてメディアで取り上げられるようだ。しかしその理由は私には判然としない。
運転中に将棋のことを考えだすと没頭してしまって危ないから、というのがもっともありそうである。しかし脳内将棋盤を考慮すると、目の前に将棋盤が浮んでくると前が見えなくなるからとも考えられる。羽生先生ご自身の直接の証言が見当らなかったのでなんともいえない。茂木健一郎さん*1との対談でその話が出ていたが、茂木さんのほうからその話を出して「運転しているとき将棋のことを考えると頭の中に将棋盤ができて駒が動きはじめる。それで危ないから運転はしないんだって」と言っている*2。これだと「頭の中の将棋盤」がどういったリアリティを持っているのか、何とも言えない。そして羽生先生の見解はわからない。
人によって色や形が違う
脳内将棋盤のリアリティを語るうえで重要なのが、色や形を持っているという点である。棋士によって違う盤が見えているらしい。しかも一人のなかでもコレとひとつに定まっているわけでもないようだ。これは知覚や想像といった経験の分析と併せて考えると興味深いものがある*3。
暗くなる
中原誠十六世名人は、自身の棋力の衰えを感じたとき「頭の中の将棋盤が暗くなった」という。これは一見すると譬喩として言っているようだが、先ほどの話を考慮すると、実際に暗く見えているとも考えられる。
藤井聡太先生の謎
近ごろ将棋界や将棋ファンの間でたびたび話題になるのだが、藤井聡太二冠(あくまで現二冠)は脳内に将棋盤がないという。これは『りゅうおうのおしごと!』の作者・白鳥士郎先生によるインタビュー*4(2018年10月)が発端である。このインタビューから始めて、その後の藤井先生のインタビューや棋士の反応を見ていく。
白鳥先生のインタビュー
――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事*5で拝見したのですが。
「はい」
――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?
「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」
――盤は思い浮かべない?
「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」
――詰将棋を解くときなどはどうです?
「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」
――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。
藤井はニコニコしている。
ちょっと、得体の知れなさというか……『よく笑ってくれるし、普通の高校生だな』と感じ始めていた藤井に対して、このインタビューで初めて……恐怖に近いものを感じた。
このインタビューのあとで白鳥先生はこの件ついて行方尚史八段(当時)に意見を求めており、そこでのやりとりがこのインタビュー記事に挿入されている。
――藤井先生は『詰将棋は読みだけなので、盤は必要ない』っておっしゃってるんですけど、その点はいかがですか?
行方「ああ。頭の盤で考えるってことですか」
――いえ。頭にも盤がないみたいで。
行方「え? 盤面を思い浮かべないってことなんですか?」
――あんまりいらないみたいです。盤は目の前にあるからって。詰将棋は読みだけなので、もっといらないみたいです。『読みだけ』ってどういう意味なんですか?
行方「でも、さすがに頭の中に盤は必要ですよね?」
――ですよね!? 普通は盤が必要だと思うんですよ。だから話が噛み合わなくて……行方先生は頭に盤を思い浮かべてますか?
行方「(詰将棋の問題の)盤面を焼き付けて、頭の中で動かして考えるって感じですけど……」
行方「私は今でも詰将棋をやってますし、今後、長く戦っていくために詰将棋のトレーニングは絶対必要だと思っていますが…………多分、藤井くんには何かがあるんだと思います」
この記事のポイントは以下である。
- 藤井先生はあまり盤面を思い浮かべない。
- 棋譜で思考しているのかというとそうでもない。
- 詰将棋ではとくにそうである。
- しかし藤井先生自身にもうまく言えない。
- 詰将棋に関する話は行方先生にとってかなり意外である。
- 「読みだけ」という言葉の意味がよくわからない。
このインタビューは大反響を呼んだ。Twitterの反応は以下のようになった。
棋士の反応
このインタビューは棋士の間でも大きな反響があったようだ。
糸谷&香川
糸谷哲郎八段もこのインタビューを読んで衝撃を受けたようである。香川愛生女流四段のYouTubeに出演した際に語っている(2020年9月)。
糸谷先生も香川先生も、頭の中に将棋盤がないというのは考えられないという。糸谷先生は、それが藤井先生の強さの秘訣だと考えている。盤を思い浮かべて動かしているようでは遅いのではないか、と。藤井先生の読みの速さと深さは、それを省略しているからこそだと考えられるのである。
糸谷先生がインタビューを読んだ感じでは、コンピュータソフトが読むように符号だけが動いているのではという印象を受けたという。コンピュータがいかに物を考えているかというのは現象学的にというか哲学的に非常に難しいテーマなので、この指摘は興味深い。そもそも物を考えるとはどういうことか、コンピュータはそれを行なっているのか、という話になってくるとかなりややこしい。しかし、コンピュータプログラムが将棋を指すのに画像は必要ない。必要なのは駒の配置のデータであって、形や色や(相対的な駒の)大きさのデータは関係ない。
遠山六段
しかし、実は先ほどのインタビューは、白鳥先生の筆致と藤井聡太先生の驚異的な強さのおかげで、やや過剰にすごいものとして広まってしまっている部分もあるようだ。遠山雄亮六段が以下のように反応している*6(2018年10月)。
このテーマはファンの間で大きな話題となった。通常プロ棋士は頭の中に将棋盤があり、そこで駒を動かして考えるとされている。駒を動かさずにどうやって考えているのか、想像がつかない部分があるのだろう。
しかし私も藤井七段と同じ思考法をするので共感する部分であり、特に不思議には思わなかった。なぜなら脳内の将棋盤で駒を動かすのは、思考よりもずっと遅いのでまどろっこしいのだ。思考のあとに確認をするために脳内の将棋盤で駒を動かす感じだ。例えば皆さんが料理を作るとしよう。その工程を1つずつ思い描いて作るだろうか。もっと直感的に、勝手に手が動いていく感じだろう。私たちが将棋を考えるのもそんなに変わらない。脳内の将棋盤と駒を動かさずに思考することは、普通では考えられない凄技だと思われそうだが、料理が苦手な筆者からすれば皆さんの料理を凄技だと思う。
実際のところ、多くのプロ棋士も藤井七段とそんなに変わらない思考法をとっているのではなかろうか。インタビュー中にはその思考法に驚くプロ棋士のコメントもあるが、それは非常に難易度の高い局面や詰将棋でのことを指しており、基本的に普段は藤井七段の思考法と変わらないと考える。
藤井七段が本当にすごいのは、その思考のスピードと正確性だろう。その質の高さが、そのまま将棋のクオリティの高さにつながり、その勝率の高さにつながっている。
実は多くのプロ棋士も脳内将棋盤上の駒を一手ずつ動かしているわけではないのではないか、という指摘である。料理との比較は意識の主題化という問題と関わっていて哲学的にも興味深い。さて「脳内将棋盤はあるが、一手ずつ動かしているわけではない」と解釈しても先ほどの藤井先生のインタビューの発言は整合性が取れるのではないかと私には思える。
謎の解明へ
ここからは藤井発言の核心に迫っていく。
その他の藤井インタビュー
白鳥先生のインタビューののちに別のインタビュー*7で藤井先生は以下のように語っている(2020年9月)。
―別のインタビューで以前、次の手を考えるとき、頭の中に将棋盤が出てこないと話していたが本当か。
頭に盤がないということではないです。ただ、読んでいくとき、頭の中の盤で駒が一手ずつ動いていく感じではないというか。何手か進んで、またその局面を考えるという感じです。
―局面を飛ばして考えるということか。
はい、そういう感じが近いです。
―詰め将棋を解くときも同じように考えるのか。
そうですね。たくさん解いていると、あまり考えていなくても勝手に(手が)進むことがあります。
これを読むと遠山先生の読みは当っているようである。つまり藤井先生の脳内には将棋盤がある。しかし一手ずつ駒を動かすわけではないので、読みを進める際に使うわけではない。これは、プロデビュー時の次のインタビュー*8を見てみるとよりハッキリとする(2016年11月)。
――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか*9。
聡太 基本的に、符号で考えて、最後に図面に直して、その局面の形勢判断をしています。
しかし白鳥インタビューでは「符号で考えているのか?」という問いに対しては曖昧な答えだった。遠山先生の記事にも「符号で考えている」とは書いていない。だが「符号で考える」って一体なんだろう? これは糸谷先生も疑問を呈していた。符号で考えるというのは、文字が浮ぶということなのか、漠然と手が概念で浮ぶのか、なんともいえないのではないか。「符号で考える」というのは、棋士ごとにニュアンスや感覚が違っていて合意が形成されていない話なのだろう。なので「符号で考える」という言葉から実際にどう考えているのかを推測するのは危険である。
羽生先生の感覚
さて、こちらのブログ記事→「将棋と認知科学」を聞く - 勝手に将棋トピックスによると、羽生先生が「将棋と認知科学」という認知科学会の講演で以下のように語っていたらしい。
頭の中で読み進めるとき、指し手は符号で進み、駒が頭の中で動くことはない。最後に局面を判断するときになって、局面が浮かんでくる。
興味深いことに藤井先生の証言(2016年11月)とほぼ同じである。ここから考えてみるに、藤井先生の言う「読むだけ」というのはつまり「おおまかな形勢判断が必要ない」ということなのではないだろうか。藤井先生の頭の中あるいは語彙では「読む」と「形成判断する」が分かれているのであろう。
となると藤井先生が驚異的なのは、詰将棋を解くときにもあまり脳内将棋盤を確認しないという点なのであろう。「読むだけ」のときは手が飛び飛びで進み(しかもそれは脳内将棋盤上ではなく符号あるいは漠然としたかたちである)、その手の飛び方の幅が大きいにもかかわらず正確なのだと思われる。
脳内将棋盤の現象学へ
現象学というのは、経験に基づいていろんなことを分析する哲学の手法である*10。実は棋士たちの思考法はみんな似通っていて藤井先生だけが特別なわけではなく、いろいろな齟齬が生れている原因は棋士たちが経験を記述する適切な言語を持っていないからなのかもしれない。それは棋士が現象学者ではないからである(棋士は棋士なのだから当り前である*11)。棋士と認知科学者の共同研究はあったが、そこに現象学者を加えてみるとなおおもしろいのではないか。特に「読むだけ」のときの手の浮かび方がどういったものなのかは解明してほしいなあ。
というわけで、私の乏しい現象学の知識に基づいてこの脳内将棋盤現象に迫る記事をいずれ書きます。
↓おすすめの詰将棋本
↓理系学問が好きな人におすすめの学問的詰将棋入門書
↓私には難しすぎるけど藤井先生は小学生の頃に解いていたらしい本
↓その他
*1:日本将棋連盟 羽生善治×茂木健一郎 特別対談授業「将棋は脳を育てる」 | 頭の中に将棋盤ができて自由に駒が動かせる! | HP運営:決断力DS
*2:子ども向けのイベントなのでこんな口調です。
*4:なぜ藤井聡太はフィクションを超えたのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.01】
*5:この記事というのがなんの記事なのかはわかりません。
*6:叡王戦の棋士インタビューで、「わかる!」と共感した藤井聡太七段らの思考法(遠山雄亮) - 個人 - Yahoo!ニュース
*7:振り返るあの一手と自作PCのこだわり 藤井聡太王位インタビュー:東京新聞 TOKYO Web
*8:藤井聡太 史上最年少プロ棋士の覚悟 | Web Voice
*9:このような質問が出るということ自体が将棋関係者の間では符号で考えるのが奇異なことではないという証なのではないかとも思うのですが、糸谷先生の話を聴く限りではそうでもなさそうです。
*10:この定式化は
こちらの本によります。
*11:ただし、糸谷先生は現象学の系譜に連なる哲学を研究して修士号を得ているので、もしかしたらわかっていただけるかもしれません。糸谷先生が研究していたのはドレイファスという哲学者についてで、ドレイファスは現象学と人工知能の哲学の専門家です。