※この記事はエイプリルフールのビッグウェーブに乗り遅れないように焦って書いたので、内容が凄くテキトーです。のちのちちゃんと勉強して推敲してアップデートします。
「私は嘘つきです」というやつです。論理学っぽく書くと「この文は偽である」。
(1)「この文は偽である」は真であると仮定すると、この文は偽であることになる。ここでいうこの文というのは当の「この文は偽である」という文のことである。すると「この文は偽である」は真であり、かつ「この文は偽である」は偽であることになって矛盾。
(2)「この文は偽である」は偽であると仮定すると、この文は真であることとなる。ここでいうこの文というのは当の「この文は偽である」という文のことである。すると「この文は偽である」は偽であり、かつ「この文は偽である」は真であることになって矛盾。
というように「この文は偽である」という文は真だとしても偽だとしても矛盾を導く。
この議論に問題があるとしたら何か。
まず「すべての文は、真か偽である」という隠れた前提がある。これは当然のようだけれど非古典論理はこういうのを拒否する。真でも偽でもない文を許す論理体系を作ることもできる。
また「この文」について言及するような文を許してよいのか、という反論もできる。自己言及を禁止するわけだ。そもそも自己とは限らずなんらかの文について言及する文というのは、自然言語というか日常会話ではよく出てくるが、形式論理でどう作ればよいかというのは自明ではない。
もっとすごい反論もある。そもそも矛盾してもいいじゃないか、ということである。
これらは論理体系に制限を加えたり真理の定義を与えたりして数理論理学的に解決されるのだが、その背景には「そもそも真理とは?」という永く問われてきた深遠な問いがある。哲学と数理論理学の両面からこれを探究する分野はいまでもそれなりに盛んなようで、これを真理理論という。
というようなことをいちおう書いておきました。
嘘つきのパラドクスについて勉強してエイプリルフールに合わせて記事を投稿すればアクセス数が稼げるかな〜と思ったけど、他のことをやっていたらぜんぜん進みませんでした。
いちおう以下の動画を見ました。(動画を見て学んだことのメモは何度も見返して徐々に充実させていきたい。)
京都大学が毎年やっている講義で、昨年からはYouTubeで公開されている。矢田部先生の今年のテーマが嘘つきのパラドクスだった。その1動画ではパラドクス解決のための4つの方針とそのメリット・デメリットが述べられている。
⚫︎古典論理を保持する
・階層的理論:タルスキらの方針。嘘つき文を禁止する。自然言語からかけ離れたものになる。
・ギャップ主義:クリプキらの方針。嘘つき文は真偽が決まらないとする。アドホックな感じ。
⚫︎古典論理を捨てる
・グラット主義:プリーストらの方針。嘘つき文は同時に真でも偽でもある。真矛盾主義という哲学的立場が背景にある。矛盾許容論理というのもあるのでわりといける。そんなのありかよ、という感じは否めない。
・多値論理:多値論理はもともとウカシェヴィッチ。真偽以外に中間的な真理値を導入。ファジイ論理みたいに連続的な真理値を持つのもある。これも、そんなのありかよ感がある。
個人的に印象に残ったことを書き残す。
- プリースト先生は空手の達人。
- ファジイ論理ってなんとなくで真理値を決めるものだと勝手に思い込んでいたのだが、不動点をとることでテクニカルに決めることもできるのだとか。
つづいてその2。
これはたいへん勉強になった。タルスキのテクニカルな議論をちゃんと踏まえてデイヴィッドソンの真理理論を見るとその方針と問題点がよくわかる。
タルスキの真理定義であるT-図式と真理述語と階層的意味論の解説がある。それだけにとどまらず「そもそもどういうものが真理定義とみなしうるのか」という哲学面の解説も詳しい。意味論的解決と公理論的解決があって、タルスキによる階層を使った意味論的解決が取り上げられている。これはモデルによって相対的なので実は万能ではない。
徒然なるままに
- 自分でタイムスタンプ付きでコメントを書いたけど、55:44あたりからの話が面白い。そもそもなぜ嘘つきのパラドクスは起こるのかということをインフォーマルに解説している。
- タルスキのオリジナルな定式は充足列というのを使う。これが私にはよくわかっていなくて、清水先生の本にあったはずだから見ておく。
その3。
その2から連続で見ていて、これを見ているときは疲れてきていたのであんまり理解できていません。
とりあえず徒然なるままに。
- これも自分でタイムスタンプをやったけど、1:36:20で矢田部先生がなぜ証明論的意味論に目覚めたかを述べておられる。後期型デフレ主義では真理は論理的概念だというが、論理学の教科書では論理的帰結関係は真理値を使って定義される。どうどう巡りである。なので真理値を使わずに論理的帰結関係を定義しなければ、という。
その4。
これはかなりおもしろかった。あまり形式的な話は出てこない回なので。ヤブローのパラドクスは本当に見事な議論である。
余帰納法と(強)双模倣性はミルナーらのプロセス代数において重要で、しかし計算機科学でなく哲学的な(邪な)関心から興味を持った私にはよくわからなかったのだけど、少しわかった。強双模倣性は余帰納的に構成されたものの同一性をあらわすのによいとか。また余帰納法がω矛盾を持ち込みがちというのは雰囲気だけはわかったかも。
徒然
また、『数学における証明と真理:様相論理と数学基礎論*1』という本のなかに黒川英徳先生の「真理と様相」というパートがあって、ここで嘘つきのパラドクスと真理理論のことが解説されている。けどちょっとしか読めなかった。これからです。矢田部先生の講義ではちょっとしか触れられていなかった様相論理を使ったアプローチが紹介されている。本書は様相論理をテーマにした数学基礎論サマースクールの講義録なので。
この本の最初の「様相論理入門」というパートは佐野勝彦先生が書いている。佐野先生は様相論理と余帰納法と双模倣の関係の研究をされていて、ここにも双模倣の話が出てくる。可能世界意味論はオートマトンみたいなものなので。ただし黒川先生のほうに出てくる様相論理と双模倣にどういう関係があるのかはわからない。
必然性オペレータ□は、真理の無限性みたいなものを持ち込むものだとかいうことをジラール先生が書いていた。その一端がちょっと見えたような見えないような。