曇りなき眼で見定めブログ

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宇野常寛『ゼロ年代の想像力』徹底批判シリーズその9 あるジャンルが流行るのはその時代の社会の反映ではなくみんなヒット作を模倣したがるからではないのか?

 宇野常寛ゼロ年代の想像力

 ↓これの続き

cut-elimination.hatenablog.com

 社会反映論についてまた少し書く。↓の記事なんかに付け加えて。

cut-elimination.hatenablog.com

 本書では「バトルロワイヤル系」という一群の作品が論じられる。それはゼロ年代の社会を反映しているかのように論じられる。しかしこれまで書いてきた通り、そのような社会反映論的な議論にはなんの根拠もない。「サブカルチャーは時代を反映するはずだ」という思い込みから理論をブチ上げているだけである。

 バトルロワイヤル系の元祖はもちろん高見広春の小説『バトル・ロワイアル』である(読んだことないけど)。これは1999年に出た先駆的な作品と宇野先生は述べる。宇野先生によるとゼロ年代ポストモダン状況の進行は01年の911テロと小泉政権誕生によって確定するのだから時代が合わないがまあまあまあ。

 同作以降、『仮面ライダー龍騎』や『デスノート』といったバトルロワイヤル系作品が出てくる。(そもそも宇野先生が大きく取り上げる『デスノート』が果してバトルロワイヤル的な作品かは疑問である。やはり宇野先生は物語の詳細な分析など行なっておらず、それはそうとして論が進んでいく。)だが、『龍騎』に関しては明らかに『バトル・ロワイアル』の影響を受けて作られている。ゼロ年代の社会の反映というより、『バトル・ロワイアル』がヒットしたためにそれを模倣した作品がいろいろ出てきただけではないか。そもそも『バトル・ロワイアル』は(評判を見るに)斬新だったから流行ったわけで、時代の空気に即した作品ではなさそうである。

 私もあまり自信がないので今後の研究課題としたいが、ジャンルの確立にはこういったパターンがあるのだと思う。受け手というのは意外に保守的で、既視感のある作品しか受け入れようとしない。『バトル・ロワイアル』のような斬新な作品は例外だが、ひとたび流行ると類似の作品は受け入れやすくなる。こうしてジャンルが流行るのだと思う。問題はゼロ年代でなくてもバトルロワイヤル的な作品が流行ったかどうかである。これは難しい。ある程度『バトル・ロワイアル』を受け入れる下地が99年にあったのかもしれない。しかしその下地は社会情勢とかでなく、ジャンプのバトル漫画とかホラー映画などによって用意された受け手の受け入れ姿勢かもしれないのである。

 文庫版付録のインタビューで「空気系」作品の本質云々を論じている。空気系についても「なぜゼロ年代後半に空気系が流行ったのか?」とか論じられがちだが、要するに『らき☆すた』『けいおん!』という二作のアニメのクオリティが素晴しかったために流行り、受け手の受け入れ姿勢ができて、模倣する作品が相次いだという、それだけなんじゃなかろうか。

 

 追記:↓続きはこちら

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