曇りなき眼で見定めブログ

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宇野常寛『ゼロ年代の想像力』徹底批判シリーズその5 社会反映論について追加コメント

 宇野常寛ゼロ年代の想像力

 ↓これの続きだけど

cut-elimination.hatenablog.com

↓今回はこれの補足。

cut-elimination.hatenablog.com

 前々回、松永先生のスライドを参考に社会反映論は方法論的に怪しいというのを書いた。『ゼロ想』中でも宇野先生が方法論ぽいことを書いている箇所があって、それについて意見するのを忘れていた。

 「物語」について考えることで私たちは世界の変化とそのしくみについて考えることができるし、逆に世界のしくみとその変化を考えることで、物語たちの魅力を徹底的に引き出すことができる──。あるいは、そこからこの時代をどう生き、死ぬのかを考えるための手がかりを得ることも可能だろう。物語と世界を結ぶ思考の往復運動が私たちに与えるものの大きさは計り知れないのだ。(14ページ)

と述べているが、何故そう言えるのかという正当化はやはり必要だろう。これだけだと世界について考える際に物語を参照し物語について考える際に世界を参照しとなって論理が循環しそうである。実際、本書で実証的な根拠はほとんど出てこない。往復運動と言うと聴えは良いが。

 松永先生は社会反映論はアブダクションだと書いていた。アブダクションは演繹ではないので循環は避けられないのかもしれない。そうなるとやはり論の中身の良し悪しが重要になる。で、実のところ、前回指摘した通り、宇野先生は「物語」の分析は特にしていない。作品を物語とは呼べないような低次の図式に押し込めてしまっているので。

 

 追記:↓続きはこちら

cut-elimination.hatenablog.com