↓これの続き
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今回は短めに。作品論についてでなくちょっと引っかかった記述について。
批評でドラマやケータイ小説を取り上げるとオタクやオタク論壇から反発があるという話の流れでこんなことが書いてあった。
これらの事象で人々を支配しているのは「敵」と「味方」を徹底して区分する思考である。(略)
だがそんな「敵」と「味方」の区別にこだわるのは、端的に言ってしまえば矮小な自意識の問題でしかない。ここ十年の批評のくだらなさは、本来こういった矮小な自意識の問題を切り離して本質を論じるべき批評家たちが率先して無自覚な決断主義者として、特定の文化圏の擁護者として振舞っていたためにもたらされたものだ。(363-364ページ)
東浩紀先生を執拗に敵視しているのは宇野先生あなたじゃあないか、と思った。この文章自体が敵味方思考を批判しているようでそれそのものに思えるのだが。そしてこういう無駄なことを書いているから作品の分析がおろそかになるのでは。いやむしろそういう皮肉なのだろうか。わからない。
今回はこれだけです。
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