またネチネチ悪口を書きます。
↓たびたびアニメ批評を批判してきた私だけれど。杉田俊介氏とかてらまっと氏とか。
cut-elimination.hatenablog.com
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ここで私がダメだと思うアニメ批評の特徴を纏めておこうと思う。たけしメモみたいに。
アニメ批評というか批評一般に当て嵌りそうなやつ
私は批評という文化がそもそもあんまり好きではない。以下はその理由。
文章が良くない
杉田俊介氏の批判記事にも書いたが、「〜こと。」みたいな体言止めはよくないと思う。何故なら主張になっていないから。反証しようがない。
それとエモーションだけに拠った改行とか。
もっと主張を絞って文章の構造を考えて書いて頂きたい。高校の小論文課題とか大学のレポート課題でやった筈(これは体言止めか?)。
批評一般でこういう謎体言止めやエモーショナル改行は頻出する。そういう「ジンブン」的なものに憧れる人がアニメ批評界隈にも多いのだろう。私は人文知「ごっこ」に過ぎないと思う。
マルクスとかフロイトとか現代思想とかを持ち出す
マルクスやフロイトやフランス現代思想が科学的に検証されたかどうかは怪しい。私は疑っている。なので論拠としてこれらを出されても説得されない。
「批評」じゃない
私はノエル・キャロル先生の「批評」観はけっこう正しいと思っている。批評とは価値付けである。そして作品を適切なカテゴリーに分類して、そのカテゴリーの目的が達成されているかで客観的に評価する。
価値付けをしていない「解釈」的批評は批評ではない。どちらかというと研究である。それとカテゴリーを意識していないのも良くない。
まあこれはちょっと狭量かもしれない。
悪しきアニメ批評
なかにはアニメ文化にとって害悪と言える批評もある。
政治とかマイノリティとかを持ち出す
そういうのが評価する上で重要な作品なら良いが、そうでないならどうしてそんなものを持ち出すのか。政治とかマイノリティとか言っておけば知的な文章になる、という勘違いが背景にある気がする。これも人文知ごっこか。
画面に写っていることを無視する
私は蓮實重彦先生もけっこう好きである。蓮實先生といえば映画を「見る」ということを重視しているのが有名である。どうもアニメ批評はアニメを「見て」いない人が多い。政治とかを持ち出すのもそうだが、アニメを見て写っているものを把握する「動体視力」を持っていないから画面外の事情を持ち出すんでないか。
こうした画面を無視する批評を私は「アイマスク系」と呼ぶことにする。上映中(または放送中、再生中)ずっとアイマスクをしてたのかというぐらい見えるものを無視するので。
ついでに言わせていただくと、世に蓮實フォロワーみたいな人は多いが、どうして蓮實先生みたいな面白い批評を書く人は少ないのだろう???
アニメの知識がない
人文知ごっこ系のアニメ批評家の人って3コマと1コマの違いとか分るのだろうか。そもそも原画と動画の違いとか知ってるのか。そう思うくらい、知識を活かした批評というのが少ない。知識がないとカテゴリーの特徴とか分らないだろう。
『アニメスタイル』を読んで勉強した方が良い。
興行収入の話ばかりする
これもやはり内容を語る能力がないからだろう。興行成績なんて宣伝とか流行りに大きく左右される。そういうのに振り回されない為に批評ってものがあるんじゃないか。
つまらないアニメ批評
害悪ではないかもしれないがつまらない批評の特徴をば。
アニメが好きじゃなさそう
文学とか思想とかを持ち出して比較する論はよくあるが、そういうのを読むと「この人アニメとか好きじゃないんだろうな〜」と思う。本当は文学青年なのにカネの為にアニメを論じるようになったのかと思ってしまう。
やたらと宮崎駿を持ち出す
新海誠作品の批評にこれは多い。これもやはりアニメが好きじゃなくてそんなに知らないからだと思う。宮崎駿くらいしかアニメを真面目に見ていない人がこういうのを書くのだろう。「新海誠はポスト宮崎駿か」とかどうでもよい。新海さんは新海さんである。
あと庵野さんとかも持ち出されがち。