曇りなき眼で見定めブログ

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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその7 『おおかみこども』が感動的なのは細田監督の演出が上手いからではないでしょうか

 ↓これの続きです。

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 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 マシュマロで「最近ブログの文章がファビョってる」みたいなありがたいコメントをいただき、確かに自分でも最近文章の行儀が悪いなあと思っていたので、今回は丁寧な文体で書かせていただきます。

 今回は『おおかみこどもの雨と雪』論について書きますね。

 河野先生はこんなことを書いています。

 客観的には雨と雪は両親の貧困を反復しようとしているように見える。しかし作品は、そのようなリアリズム的な問題提示をして終わるわけではなく、感動的に終わる。なぜ、感動的に終わることができているのか。花が山へと向かう雨に対して最後にかける、「しっかり生きていきなさい」という言葉が、残酷には聞こえないで、あれほど感動的なのはなぜか? 実際、十歳の子供にかけるにはあまりに残酷な言葉なのに? ここには、「文化と貧困」をめぐるわたしたちのおかれた状況の本質が隠されている。それを解き明かすために、いくつかの回り道が必要である。(66ページ)

河野先生の「解き明かし」は、やはり新自由主義などを持ち出した曖昧で抽象的なものであり、私には納得できない、あるいは理解できないものでした。

 もっと単純に考えてみたらどうでしょう。『おおかみこども』が感動的なのは、おもしろいエンターテインメント映像作品を目指しているから、それを実現する細田守監督の演出が素晴しいから、ではないでしょうか。河野先生は描かれた貧困などのテーマに引きずられ、どう描かれているかという手腕について論じそびれているのではないでしょうか(これには私の提唱する「アイマスク系」批評の概念も参照してください↓)。

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ラストで花の顔がアップになって「しっかり生きて」と言って雨の遠吠えが聴えるというシーン(たしかそんなでしたよね)など、見事に観客の心を揺さぶります。

 河野先生が「なぜ感動的なのか?」と疑問に思う気持ちもわかります。本作は子育てや福祉についての描き方が甘いと思います。しかしそれはネットなどでもよく言われることで、特に鋭い批評でもないでしょう。それよりも、にもかかわらず感動的な映像作品に仕上げてしまう細田監督の手腕こそ注目に値します。そこにこそ細田監督の真価があるのではないでしょうか。「ジンブン」的な批評家がそこに描かれる社会などに注目して見るようになってしまったことは、細田監督にとってむしろ不幸だったのでは、と私などは思ってしまいます。

 

 追記:↓続きはこちら

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