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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその5 アナ雪論がまったくもってアナ雪論になっていない

 ↓これの続き

cut-elimination.hatenablog.com

 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 今回は具体的な作品論を批判するぞ。1章の『アナと雪の女王』論について。前に河野先生はアナ雪を見ずに批判したという信じられないエピソードを紹介したが、本書の1章は見た後での批評になっている。

 で、読んだ人の多くが思ったんじゃないかと推察するが、本書のアナ雪論はアナ雪論になっていない。

 前回紹介したポストフェミニズムという概念を使っていちおう論じている風なのだが、河野先生の言うポストフェミニズムが「なんとなく女性や女性キャラが社会で頑張っている様子」というような空虚なものでしかなく、さらにそれをアナ雪という作品に当てはめるに当ってめちゃくちゃになっている。

 河野先生曰くポストフェミストには勝ち組と負け組がいるらしく、エルサが勝ち組でアナが負け組らしい。それを論じるに当って、シェリル・サンドバーグという実在の人物と、『ブリジット・ジョーンズの日記』というよく知らない作品のブリジットというキャラクターを取り上げている。サンドバーグ氏は典型的な勝ち組で、ブリジットは負け組らしい。だからどうしたという話である。ポストフェミズム概念がふんわりしているために勝ち組負け組とか言われても意味を感じない。しかもエルサとアナが彼女らに対応するというのも、なんとなく恋愛の仕方とか細部が似ているというだけで、河野先生の言いたいであろうポストフェミニズムとの関連を論証するとかそういう実のある議論は一切ない。その割にハーヴェイがどうとかネグリ=ハートがどうとかなんか難しそうな本を引用して知的風に見せたり、男女の賃金格差がどうとかブラック企業がどうとか関係ない社会評論をしたりしている。それらとアナ雪との関連も抽象的なものにとどまっている。まず映画をよく見たらどうか。サンドバーグ氏とかブリジットとかネグリ=ハートを論じたいだけで、そこにアナ雪が無理やりねじ込まれたという印象を受ける。

 本当に見たんかね!?

 最後の方の、アナ雪冒頭に労働が描かれているとかラストのスケートはディズニーランドだとかいうのはまあ単なるこじつけでしょう。

 1章を読んで物凄くつまらないな〜(汗)と思った。

 あとサンドバーグ氏になにか恨みでもあるのかね? 扱いがヒドイ気がする。

 

  追記:↓続きはこちら

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