曇りなき眼で見定めブログ

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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその6 アナ雪論についてもう少し

 ↓これの続き

cut-elimination.hatenablog.com

 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 前回はアナ雪論がアナ雪論になっていないと述べたが、今回は補足として一箇所引用する。

 こちら。

 まず確認できることは、『アナ雪』のユートピア的な衝動は、そのまま「労働の消滅した世界」への衝動であるということだ。エルサの魔法の力は、アレンデール王国を永久の冬の中にとじこめてしまうのだから、氷の採取という肉体労働は文字通りに不要になってしまう。さらには、クリストフの物語上の位置を考えると、この労働の消滅は、福祉国家を支えた生産労働の消滅と等しい。(44ページ)

まあ意味のわからん文章である。「ユートピア的な衝動」というのはここで初めて出てきた表現だと思う。前に定義があるわけではなく、意味がとれない。「的」を安易に使うのはやめてほしい。「ユートピアを求める衝動」だろうか、「ユートピアにおける衝動」だろうか、と考えてしまう。またなんで氷の採取が不要になるのかわからない。氷が必要になったらエルサが魔法で出してくれるからだろうか。もう少し説明を。「福祉国家を支えた生産労働の消滅と等しい」って何がどうなって等しいのか皆目わからん。政治とかの難しい言葉を出せば知的な批評になると思いなさんな。論理がないと意味がない。

 その続き。

『アナ雪』には『白雪姫』の小人たちと等価なキャラクターがいる。物語論では助力者と呼ばれるキャラクターであるが、それは見た目の上からも小人たちに近いトロールたちだけではない。この物語のもっとも重要な「助力者」は、クリストフなのである(であるから、アナとクリストフが結ばれることはやはり不要な付け足しなのである。助力者と主人公が結ばれることは通常はない)。(44−45ページ)

細部の違いを差し置いて「等価」とか書いちゃうのはどうかと思うがそれはさておき。クリストフが助力者なのはいいとして、なんでアナと結ばれちゃいかんのだろう。私の経験上ブンガク者というのはこういうところがある。物語の類型論に沿って分析して満足してしまうのである。まあ学部生のレポートならそれでいいかもしれないが、しかし本気で作品と向き合うならば、重要なのはそうした類型では読み取れない物語の豊かさである。作者だって類型を意識して敢えてそれを破ることがある。本作だって、通常の類型では結ばれないはずの主人公と助力者を敢えてくっつけてるからおもしろいとなぜ考えない?

 ブンガク者の批評ってつまらんなあ、と思ってしまった。