↓これの続き
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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』
前回までで『魔女宅』論批判を終えて一段落したので、今回は総論的なことを書く。軽めに。
今回は「アニメ判定家」という概念を提唱したい。私はたびたび「アイマスク系批評」という言葉を使う。映像作品の批評で、視覚的な表現に全く言及しない、作品を見ていないとしか思えないようなもののことである。そういう批評が何をどう批評しているかというと、マイノリティの権利とか資本主義への批判とか、要は批評家が取り上げてほしいと思っているテーマを正しく取り上げているかどうかなのである。つまり批評というよりは判定で、この意味で私は批評家でない判定家にすぎない人が多いと思う。特にアニメに対して多い。
河野先生は判定家で、本書は判定書である。作品の視覚的細部についての言及はもちろんほとんどないが、その上アニメと関係のないテツガクや社会学の話が多く、判定のための基準の議論ばかりしているように思える。
そんな感じ。