曇りなき眼で見定めブログ

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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその2 あんまりアニメをナメるなよ小僧

 ↓これの続き

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 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 いきなりあとがきから見ていくのだが、こんなことが書いてあった。

二〇一四年四月、当時はディズニーの最新作『アナと雪の女王』が大ヒットし、まさに社会現象となっていた。わたしは(告白すると)作品そのものを見ないままに、『アナ雪』を、女の子にエンパワーメントをもたらすフェミニズム映画であるというようなインターネット上の評価を目にし、かなり直感的に、ディズニーが支配的なイデオロギーから逸脱したものをそうそう作るわけもなく、この作品は、本書で論じた通りのポストフェミニズム的な作品ではないかなどといい加減なことを(引用者注:Twitterに)書いた。(265ページ)

これには驚いた。見ずに批判するなど批評家失格ではないだろうか。謝罪の弁は本書にはないし当時のTwitterにも見つからない。それほど悪いことと思っていないのだろうか。まあ公的な文章ではなくTwitter上の話らしいし正直に白状したから赦すとするか。

 だが問題なのは、要するに河野先生はアニメにフェミニズムとか高度なことは描けないだろうとタカを括って見ようとしなかったという点にある。アニメをナメてるんじゃなかろうか。

 本書はフェミニズムを大きなテーマの一つとしていて、そして各章でアニメ作品を主に論じているのだが、その割に私が↓で取り上げた『ハイジ』『赤毛のアン』『ベルサイユのばら』『セーラームーン』『少女革命ウテナ』『CCさくら』『ふたりはプリキュア』といった重要作が論じられていない。

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たいしてアニメに興味がないから見てないのだろう。なのに英語圏のよくわからんつまんなそうな(見てないのにこんなこと書いてごめん)ドラマや映画はたくさん取り上げている。何故だろう。

 取り上げる作品の基準として序章にこんなことが書いてある。

 さらに言えば、本書であつかうのはポピュラー・カルチャーではなく共通文化(コモン・カルチャー)のつもりである。共通文化とはイギリスの著述家レイモンド・ウィリアムズが述べた言葉である。簡潔に定義るすのは難しいが、共通文化とはわたしたち社会の構成員が、その創造と受容のプロセスにみなで関わっていると感じられるような文化のことだ。いわば文化のたこつぼ化が進む現在、そのような「わたしたちの文化」について語ることはますます難しくなっているもちろん、「わたしたち」と言い出したとたんに、それは一体誰だ、「わたしたち」などと言い出すこと自体が、ナショナリズムだ、全体主義だ、権威主義だ、という疑問が出てくることは当然である。(12ページ)

これでいくと英語圏のよくわからんドラマや映画とかより私が上で挙げた作品のほうがもっと取り上げるべきだろう。この前の段落でも取り上げる作品についていろいろ言い訳めいたことが書かれているが、河野先生は単純にアニメをメインに論じるだけの見識がないと思う。英語圏のドラマや映画が好きならそれをメインに本を書けばよかったのに。そうすれば私も本書を読まなかった。

 なのにアニメ作品を各章のタイトルに入れてアニメ論として構成しているのは、まあそうすれば売れるからだろう。金のためである。もちろん新自由主義の世の中では金こそすべてである。河野先生というより出版社の戦略だろうか。そして本書は実際けっこう売れた。河野先生を誰が責められよう。

 

 追記:↓続きはこちら

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