曇りなき眼で見定めブログ

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パロディや内輪ウケはくだらないのか(『負けヒロインが多すぎる!』と『ドン・キホーテ』)

 最近『負けヒロインが多すぎる!』なるアニメに注目している。いま第4話まで放送されたところ。

 私は、最近のアニメは「絵の手の混み具合」と「話のくだらなさ」が釣り合っていないものが多いと感じている。ビジュアル面で力の入った作品は多い(それが必ずしも質の高さを意味しないが)のに対し、それによって描く話がしょうもないのである。『ルックバック』への感想もこれに近い。

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 本作『負けヒロイン』も、第一印象ではそんな感じに思われた。画面構成や作画・美術はものすごく凝っているが、「負けヒロイン」なるモチーフはくだらないと感じる。

 原作はラノベ↓。

主人公はラノベ好きのオタクである。こういう設定はよくある。ラノベ好きのオタクが感情移入できるように主人公をラノベ好きにするのだろう。負けヒロインというモチーフも、ラノベやマンガによくある展開のパロディになっている。私がくだらないと思うのはこういうパロディとかオタク向けの内輪ウケである。もっと開かれた普遍的な物語を作りませんか、と思う。

 しかし文化史を紐解いてみると、パロディで始まった作品が普遍的な評価を獲得することがある。最たる例が『ドン・キホーテ』である。

ドン・キホーテ』は17世紀の小説で、中世から当時にかけて流行っていた騎士道物語というジャンルのパロディになっている。主人公のドン・キホーテは、騎士道物語を読みすぎて頭がおかしくなり、自分を騎士道物語の主人公と思い込んでしまった人物なのである。ラノベ好きを主人公としたラノベのような内輪ウケの設定だが、どっこいこれが世界文学史上の大傑作と評価されているのである。

 しかし、私は『ドン・キホーテ』を最初のほうのちょっとだけしか読んだことがなく、どういう点が魅力の作品かいまいちわかっていない。内輪ウケを徹底しているからおもしろいのか、内輪ウケを超えたものがあるのか。現代人は騎士道物語をほとんど読まないので、内輪ウケだけで現代に至るまで高く評価されることはないだろうから、後者なんじゃないかと思ってはいる。

 もしかしたら『負けヒロイン』もいずれは『ドン・キホーテ』のような評価を受けるのかもしれない。そこまでではないにしても、パロディから始まってもっと普遍的な物語になる可能性はもちろんある。今後も注視していきたい。またパロディものを正当に評価できるように『ドン・キホーテ』もちゃんと読んで文化史を勉強したいところ。