不朽の名作です。
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だいぶ前に見たきりだったが、40周年ということで見返した。けっこう覚えていた。
最近ようやく高橋留美子先生の原作『うる星やつら』を読み終えたところなので、比較するとおもしろい。留美子先生は本作を見て激怒したという都市伝説があり、これはデマらしいが、まあ押井監督との思想の違いはある。
比較の前に本作の良さを語ります。
冒頭の文化祭前夜のワイワイした感じが見事である。押井監督はだんだん重厚な作品を作るようになっていったが、重厚というより猥雑な描写が上手いと思う。
それと空間を支配する空気みたいなものを出すのが上手い。わたし的には前半の「何か奇妙なことが起きている」という不穏な感じが好きである。
空間構築は押井監督の十八番だが、本作はさらに、出﨑統監督『劇場版エースをねらえ!』に影響されて時間のコントロールも意識したという有名な話がある。なのであまり意味のない描写をゆったりしたりする。押井監督曰くそういうのが映画の醍醐味らしい。
本作は話としても時間と空間をテーマにしているわけで、時間と空間の体感が薄っぺらかったら話の説得力が欠けていただろう。
ここから原作との比較を考えます。
本作で気になるのは、あたるがハッキリと「ラムに惚れてる」と言っている点である。ラムちゃん本人には決して言わないのだが、夢邪鬼にはそう言っていた。
まず、『うる星やつら』原作では、あたるがラムちゃんに絶対に「好き」と言わないのが重要である。最終巻の「ボーイミーツガール」というエピソードではあたるが言わないことが重要なモチーフとなっている。最後のページのラムちゃんとあたるのセリフのやり取りは前に読んだ三木那由他『会話を哲学する』で興味深い会話の例として取り上げられていて、そこでもやはり「好き」と直接言葉にしないのが重要であった。
cut-elimination.hatenablog.com
留美子先生自身これはもちろん意識していて、最近ファンからの質問に答える形でこう述べていた。
[毎日19時アップ]高橋留美子先生Q&Aその9(再掲載)
— 高橋留美子情報 (@rumicworld1010) 2021年6月9日
先生の作品は主人公とヒロインの関係が毎回とてもお似合いだなあと思います。みんな「好き」とはっきり言い合わなくてもお互い両思いなのが伝わります。このような主人公とヒロインの「絆」を表現する上でのコツ、大切にしている事はありますか? pic.twitter.com/FOSFK2bKMM
[毎日19時アップ]高橋留美子先生Q&Aその9(再掲載)
先生の作品は主人公とヒロインの関係が毎回とてもお似合いだなあと思います。みんな「好き」とはっきり言い合わなくてもお互い両思いなのが伝わります。このような主人公とヒロインの「絆」を表現する上でのコツ、大切にしている事はありますか? pic.twitter.com/FOSFK2bKMM— 高橋留美子情報 (@rumicworld1010) 2021年6月9日
私の感覚ですが
漫画において主人公とヒロインが互いに「好き」と言ってしまうとその瞬間、彼らの物語が終わってしまう印象があります。
ですから、大切なのは"言葉にしない事"です。
そうすると2人はすれ違い、勘違いをすると思います。
「目の前の相手が自分をどう思っているかわからない」
そんな時、たまに好きなのかなと思わせる出来事があると
たまらなく嬉しいですよね。
「好き」という表現は言葉だけじゃないです。
2人は好き同士であると読者に気づいてもらう。
けれど、当の本人たちにはわらかない仕掛けにする。
そんな工夫をうんうん言いながら考える日々ですね。
私はこれを読んだとき思わず「う〜ん」と唸ってしまった(良い意味で)。確かにるーみっく作品はこのじれったいやり取りがおもしろいのである。
で、しかも「ボーイミーツガール」では、あたるは内言としても「好き」という直接な言葉は使っていない。ラムちゃん以外の第三者にも決して「ラムが好き」とは言わない。それを言ってしまうと上の先生の言葉で重視されているような読者の「気づき」に頼る感じがなんとなく侵害されてしまう感じはする。その侵害されてる感じが『ビューティフル・ドリーマー』に原作ファンが感じる違和感の正体かもしれない。