曇りなき眼で見定めブログ

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選択的夫婦別姓と安楽死(尊厳死)とAV禁止法

 選択的夫婦別姓の是非というのがながらく議論になっている。良識派リベラルは賛成し、「日本の伝統が」とか「家族の絆が」とかスピリチュアルなことを言う右翼は反対している。で、知性のある人は賛成して当然という雰囲気になっている。しかしそんなことはないと思う。私は今後も結婚するつもりはないので関係ないのだが、気になったので書いておく。

 夫婦別姓がOKになって大変だろうと思われるのは子どもの名前をどうするかである。別姓にする夫婦はこれで揉めないように気をつけなければならない。結婚するときに子どもの姓をどうするか決めておく、というルールにすればよさそうだが、これでは面倒臭いし人生設計の自由度が失われる。今のように、夫婦の姓を結婚時に片方のどちらかに決め子どもの姓もそれになる、ということに決まっていたほうがまだ楽なんじゃないか。

 これが実際どうなのか、そして姓をどちらかに揃えなければならないという現行制度に起因する面倒臭さとどちらの面倒臭さをとるか、このへんの議論が求められる(もうしてるんだろうか)。

 選択的夫婦別姓のミソは「選択的」という点である。つまり別姓にしたくなければしなくてもよい、だから反対する理由がない、と良識派リベラルはいう。しかし上のようなことがあるのなら、揉めごとを事前に防ぐという意味で反対する理由はある。というか世の中のルールはそうやって決まっている。なんでもかんでも選択し放題であればいいというものではない。

 例えば良識派リベラルはよく安楽死(尊厳死)に反対する。だが安楽死したくない人はしなければいいのだから、夫婦別姓と同じ理由で行くと反対する理由がないではないか。安楽死反対派の良識派がよく言うのは、安楽死を認めるとすべり坂的に命を軽視する世の中になる、という議論である。こういう議論を議論として認めるのならば、スピリチュアル右翼の言う「日本の伝統」「家族の絆」だって一考の余地はあるだろう。少なくとも見かけ上は同じような議論だと思う*1

 一部過激派左翼が言っている「AV禁止法」だって、選択的夫婦別姓に反対する理由がないのと同じ議論で行くと、禁止する理由がないだろう。AVに出るかどうかは本人の自由なのだから。まあ「自由」と思っているようで自由じゃないというのが問題なのだろう(このへんは「パターナリズム」という言葉とともにいろいろ論じられていると思う)。だとしたら夫婦の姓だって「別姓じゃなきゃいけない」という悪しき社会の圧力が生まれる可能性はあり、無視できないのだが。

*1:夫婦同姓というかそもそも姓というのは近代に始まったものだから伝統ではない、とか言われるが、近代以降のほうが前近代より平和なんだし、前近代の制度に戻すリスクはありえると思う。