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最終第8回はアリソン・ワイリー「なぜスタンドポイントが重要なのか」飯塚理恵・小草泰訳。
非常に難しい論文だった! まずスタンドポイント理論というのが難しいしそれを巡る論争も難しい。訳注と解説に助けられた。しかしワイリー先生が言いたいのは、スタンドポイント理論は難しいものではなくありふれているという事なのだと思う。
スタンドポイント理論について、木下頌子先生による編訳者解説から引用する。
スタンドポイント理論は、マルクス主義フェミニズムや社会科学分野における批判理論を背景に、1970年代頃に生まれた理論である。スタンドポイント理論の中核となるのは、社会的に不利な立場に置かれた人々が、その立場にいるせいでむしろ認識的に有利である(より客観的な知識を生み出す)ことがありうるという「反転テーゼ」である。(287ページ)
しかしこの反転テーゼを擁護するのに二つの困難があるという。
第一に、スタンドポイント理論は、認識的に重要なスタンドポイントを特徴づけるために、社会的カテゴリーや集団に言及する際に、それらのカテゴリー集団に関するいかなる本質主義的な定義も前提してはならない。
第二に、スタンドポイント理論は自動的な認識的特権テーゼに与してはならない。つまり、スタンドポイント論者は、ある特定のスタンドポイント(通常、支配や抑圧のもとに置かれ、周縁へと追いやられたスタンドポイント)を占める人々が、その社会的・政治的な位置づけのおかげで自動的に何かをより多く、あるいは、よりよく知っていることになるのだ、などと主張することはできない。(244ページ)
スタンドポイント理論は本質主義と自動的な認識的特権を含意するという事で批判される訳だが、ワイリー先生は、それを避けてスタンドポイント理論を維持できるし、実際スタンドポイント論者はこれらを前提としていないという。
ワイリー先生はスタンドポイントとそのスタンドポイントを持つ者の社会的位置づけの関係を詳述している。その人がそのスタンドポイントを獲得するのは、自身の社会的位置づけを反省・批判し対抗するときであるという。それが確かに利点を生んでいるという具体例も出ている。また客観性についても知識の質としての客観性と冷静さや中立性という意味での客観性とを区別している。後者の意味で客観的でなくても前者の意味での客観的な知識を得る事は可能なのである。結果として、自分が置かれている状況をよく分っている人ほど客観的な知識を手に入れられるのだという。これはありそうである。そして上の二つの困難も何ら含んでいない。
ワイリー先生は典型的な例を小説から採ってきているが、他にも「ジェンダーの考古学」なる例も挙げていて、なかなか説得的である。
私自身はロシア文学科出身でしかもエリートとかではないのだが、なんかそれによって哲学・論理学の発見ができたりしないかなあ。
希望の持てる論文だった。
これで全部読み終った。これで私もフェミニズム論客になれるか!?