曇りなき眼で見定めブログ

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【感想】『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメを見た!

 けっこうおもしろかった!

 原作の漫画をだいぶ前に試し読みした事があるのを第1話を見た時に思い出した。それぐらいヌルッと始まった本アニメだが、かなり若年オタクの間で人気らしい。「きらら」って凄いですなあ。

 特筆すべきは作画である。漫画っぽい誇張された表情や仕草、そしてファンシーを多彩な作画で表現している。こういうアニメはありそうで意外となかった。上手い人ほどリアルに拘ったりアクションのカッコ良さに拘ったりするので、遊びに全振りでかつそれが絵・動きとして面白くなっているというのは珍しい。キャラクターデザインもそうした作画をしやすいようにかシンプルに留めていて良い。キャラクターデザインと総作画監督は"けろりら"氏という人で、この人は(情弱の)私でもちょっと前から注目していたくらい凄腕のアニメーターである。原画も膨大な量を描いているらしい。「DIY」でも原画を描いていた。現代を代表するアニメーターの一人であろう。

 それと急に実写になったりクレイ・アニメになったりするのも面白かった。作画が遊びに全振りと書いたが、演出面でもそういうのが効いている。「フリクリ」のパロディもあるらしく(私は気付けなかった…)、ああいう感じを目指しているというなら合点がいく。

 私はロックなんぞ微塵も興味がないのだが、ロック好きにも概ね好評らしい。同じ女子高生バンドものとして勿論『けいおん!』も有名だが、『けいおん』が技術的な理由か何かで演奏シーンをなかなか描かなかったのに対し、本作は健闘していたのではないか。

 

 ここからは苦言です!

 並行して『母をたずねて三千里』を見ていたわけだが(ちょっと前の記事を参照)、そのせいで本作の欠点にも気付いた。テレビアニメ史上最高傑作クラスの作品と比べたらまあね…。

 『ぼっち』を見ていてあるとき急に気付き、気にし始めたらどんどん気になるようになった点がある。それは、キャラクターが会話をしていないように見えるという点である。皆さんも今一度見返してみて頂きたい。会話というのはAが何かを言ってそれを聴いたBが何かを返して、という風に進む訳だが、本作はAとBの間に訴えとか理解とかが無いように見えるのである。何故だろうと考えてみるに、相手の話を努力して理解しようという姿勢が感じられないからではなかろうか。もっと言うと、声優が台本の読み合わせをしているだけのように感じられるのである。キャラクターが生きていない。声優が下手なのか、脚本や演出の間が悪いのかは判らない。両方悪い気もする。漫才っぽい掛け合いもあるがそれも下手な漫才師っぽく、頑張って作ったネタを間違えないように必死にやっているかのようだ。声優というのは台詞を覚える必要もないし売れっ子ならば大量の作品に出演するから、キャラクターの心情を理解して演じるという事がだんだんとなくなっていくのではないかと私は思っている。最近『フィルカル』の声優論を読んだので、声優の演技について真剣に考えてしまった。コミュニケーションが苦手という主人公を描いた割にどのキャラクターもまともなコミュニケーションをしていないというのはどうなのか。コミュニケーションて「自分から積極的に話しかけられる」とかそういうのだけが大事な訳ではないだろう。「DIY」はこんなに悪くは感じなかったが。

 それと、これも深刻だが、話が薄く感じる。まあ四コマ漫画が原作だからしょうがないかもしれないが、壮大な世界観とストーリーがなくともドラマは作れる訳で、そういった「ドラマ」的なものが感じられなかった。ぼっちが作詞をする回とか文化祭の舞台が始まるところとか、なんだか「ぼっちが作詞をするうえで大切なことに気付きます」「応援してくれる人がちゃんといる事に気付きます」みたいなノルマをこなしているだけに見える。人生というのは予想もできない苦しみをなんとか乗り越えたりするものだが、そういうのは描かれない。まあこれはしょうがないか。

 ライブのシーンでの群衆の描き方はあまり上手くなかった。これは「ドラマ」のなさとも通じる現代アニメの問題だと思う。要するに主人公とその周囲の、更に外に広がる世界というのを上手く描ける演出家がいない。そういうのとの相互作用でドラマが生れるのだと思う。

 あと心の声による感情の説明が多過ぎで、映像作品としてどうなのかと思った。監督や演出はこういう安易なやり方で楽しいのだろうか。

 

 などなど。なんか批判が多くなってしまったが、『母をたずねて三千里』が面白過ぎたというだけで、本作もなかなか面白かったですよ。