曇りなき眼で見定めブログ

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「精神的な囲い込み」に抗う

 Wikipediaの『1Q84』のページに引用されていて知ったのだけど、同作が出たときのインタビューで村上春樹はこんなことを言っている。

「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」

「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」

web.archive.org

 私は『1Q84』はまだ読んでいないのだが(こんど読みます)、これは良い考え方だと思った。「精神的な囲い込み」というのも良い言葉である。

 しかし最近のエンタメは、これとは反対に読者やら観客を囲い込もう囲い込もうとしているのではないか。「信者ビジネス」とか「ファンダム」とかいうやつである。また人びとも、それを求めて自分からあえて狭いところへ潜り込もうとしているように見える。「沼る」というやつである*1

 物語でも音楽でもYouTubeでもなんでも、そういう狭いところから人を解放するためにあるべきではないか。そしてそれを受け取る側は、作品や作り手に過剰な思い入れをせず、心のゆとりを持って楽しむべきだと思う。

 

 

*1:精神的な囲い込みと「沼」とが似ていることは友人から指摘された。