曇りなき眼で見定めブログ

学生です。勉強したことを書いていく所存です。リンクもコメントも自由です! お手柔らかに。。。更新のお知らせはTwitter@cut_eliminationで

河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその12 「アイデンティティの労働」の定義らしきもの

 お久しぶりです。↓これの続き

cut-elimination.hatenablog.com

 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 前回は「アイデンティティの労働」なる概念がよくわからないと書いたが、定義らしきものが出てくるところがあるので引用する(アイデンティティの労働という言葉が何度も出てきてから登場する定義だが)。定義らしきものも、三浦玲一の著書からの引用で登場する。『村上春樹ポストモダン・ジャパン──グローバル化の文化と文学』という本からの引用である。

三浦玲一はアイデンティティの労働を次のように定義する。

  アイデンティティの労働は、ポストモダンにおける(旧来の型の労働の隠蔽としての)規範的な労働の形態である。それは、先進国における新しい経済モデルとしての、クリエイティヴ経済という(ポストモダンな偽)概念から説明され、正当化されようとしている。そこに「生産」はなく、われわれ自身のなかに内在するクリエイティヴィティの実現こそが「富」を産むのである。それは、自己実現こそが富になるというユートピア願望の表明である。(九九頁)

 ここで三浦が、アイデンティティの労働というビジョンが、あくまで旧来の型の労働の隠蔽なのであり、クリエイティヴ経済というのは(ポストモダンな偽)概念であると述べていることに注目しよう。それらは、客観的な真実ではなくイデオロギーであり、苦行としての労働を隠蔽するものなのである。(110−111ページ)

 やはりこれも定義になっているとは言い難い。「クリエイティヴ経済」などさらなる不明な概念が出てきて説明になっていない。

 「隠蔽」というのは誰がしているのだろう? 何か巨大な力が大衆から真実を隠そうとしているという陰謀論だろうか。また「説明」や「正当化」というのも誰がしようとしているのかわからない。時代ごとの風潮みたいなものを擬人化しすぎに思える。「ユートピア願望」というのもそうで、誰が願望しているのかわからない。

 この後で河野先生は「一言で言えば、これはやりがい搾取の構造である」と述べている。何がどうやりがい搾取の構造なのか、やりがい搾取の「構造」とはどんな構造なのか、これもわからないがそれはさておき。やりがい搾取という言葉は本書で何度か出てくる。私には河野先生は「やりがい」と「やりがい搾取」を簡単に結びつけすぎに思える。やりがいを持って仕事をして、特に搾取されているわけではない、という人も多いだろうが、それを考慮していないように思える。これについては次回以降。

 今回はこのへんで。

 

 追記:↓続きはこちら

cut-elimination.hatenablog.com