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河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』徹底批判シリーズその13 「郵政民営化の物語」ふたたび

 ↓これの続き

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 河野真太郎『増補 戦う姫、働く少女』

 ようやく「その8」で予告した『魔女の宅急便』論批判に戻れる。これは本当に問題が多いので、さらに何回かに分けて書く。けっこう前に予告していた「新自由主義」概念の曖昧さ批判がようやく出てきまっせ。

 まず、前に引用した次の箇所を見ていただきたい。

 それを前提として、キキの労働がどのように描かれているかを見ていくと、キキが魔女見習いとして暮らすことになった町で、みずからの職業として選ぶ宅急便というものが、クリエイティヴ自己実現をともなう職業として描かれること、そこにこの物語が郵政民営化の物語であることの真の意味──これが新自由主義的でポストフォーディズム的な物語であるということ──があると分かるだろう。(114ページ)

郵政民営化の物語であることの真の意味」は読んでいってもよくわからない。しかし噛み砕いてみるに、河野先生はおそらく次のように考えている。「新自由主義の前にはフォーディズム労働というのが主流であった。これは単純で肉体的な労働である。対して新自由主義社会ではポストフォーディズムとなり、前回までで取り上げたようなアイデンティティを活用する労働や感情をコントロールし感情に訴える労働、クリエイティヴな労働が主流となる。郵政民営化はその象徴で、『魔女の宅急便』もポストフォーディズムの労働を描いたものである。」

 なぜ私が「郵政民営化の物語」という語が直観的にわからないと感じたかというと、郵政民営化アイデンティティや感情やクリエイティヴィティにまつわる労働の象徴とは思えないからだろう。郵政民営化はそんなものではなかったように思う。河野先生とその元ネタの三浦玲一は、宅急便という仕事と郵便という事業が似ているために過剰に関連を見出そうとしてしまっているようだ。また郵政民営化と『魔女の宅急便』公開の時期は大きくずれているので、アナロジーに無理があるのではないか。

 郵政民営化は確かに日本における新自由主義の象徴だが、それは本書で論じられる新自由主義観と食い合わせが悪いのだろう。そもそも、郵政民営化を知っている日本人の私からすると、新自由主義社会でアイデンティティや感情やクリエイティヴィティを使った労働が主流になるという議論が疑問である。郵政民営化のような新自由主義がある一方で、本書で論じられているようにアイデンティティや感情の労働こそ新自由主義だという議論もあるらしいが、まったく別物に思える。これは「新自由主義」概念の曖昧さからくるものだろう。

 まだまだ『魔女宅』論批判が続きます。

 

 追記:↓続きはこちら

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