曇りなき眼で見定めブログ

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キミは『ど根性ガエル』第146話(第73回Bパート)「かんかんアキかん」の巻を見たか?(「純粋アニメ」の世界)

 アニメを論ずることに興味がある人はぜひ見るべきだと思う。

 『ど根性ガエル』はこの「かんかんアキかん」の巻が有名なので以前にこの回だけ見たことがあった。最近同作を最初から見ていて(作画史の勉強のため。作画はどの回もハイレベル)、この回に辿り着いてまた見返した。流れのなかで見るとやはり異質な回だとわかる。『ど根性ガエル』は話や会話のテンポが良いアニメだが、この回は「間」をたっぷりととっていて、そこが独特なのである。

 この回は、ひろしの蹴った空き缶がゴリライモに当たり、ゴリライモが復讐のためにひろしに缶を当てようとするもなぜか当たらず子分のモグラに当たってしまう、それを繰り返す、というそれだけの話である。なぜ空き缶がひろしに当たらないのかもわからないし、そもそもなぜゴリライモが当てることに執着し続けるのかもわからない。不条理劇のように進行していく。

 後半では堤防で釣りをする町田先生の様子が何度か挟まる。町田先生は「こんな川で釣れるはずがない」とわかっていながら釣りをしているらしい。最後に町田先生は空き缶を釣り上げて笑う。空き缶に執着するゴリライモと対比的に、空き缶という空虚なものを釣り上げて笑う町田先生は、悟りのような境地を暗示する。

 また、シリーズを最初から見たおかげでわかったことがある。「かんかんアキかん」で何度も登場するコンクリート堤防は、この回のAパート「ゴリライモが幼稚園に入る」の巻で(初ではないかもしれないが)登場し、以後何度も出てくるようになっている。この構造物のスケール感がレイアウトをより豊かにしている。美術も上手い。

 当ブログは常々アニメ批評を批判しているが、こういうアニメこそ批評されるべきだと思う。「重大な(と考える)社会問題に対して良いスタンスをとっているから良い作品だ」のように批評というより「判定」みたいな文章が溢れる世の中であるが、そのような判定を拒む複雑さを持ち、しかし確かにおもしろい、それが「かんかんアキかん」である。私は「かんかんアキかん」こそ純粋アニメだと思う。「空き缶を蹴って当てる」というものすごく単純な主題を扱っていながら、脚本・演出・作画・美術といったものの妙で名作に仕上げている。純粋アニメの豊かさに応えられない批評はなんと貧しいものだろう。

 まるで空き缶のように、見たら吸い込まれそうになる妙な魅力を持った回である。皆さんも見て語りましょう。

 

 ↓こちらのブログ記事の批評も素晴しいので参照。

kasutera2nd.hatenablog.com

 ↓『アニメスタイル』小黒さんによる紹介も参照。

ど根性ガエル』の146話「かんかんアキかんの巻」は芝山努小林治コンビが、2人で絵コンテと原画を担当(ただし、ノンクレジット)した傑作。演出もレイアウトも作画も素晴らしい。すでに芝山さん達の興味が「情緒」に行っている点にも注目したい。 #もっとアニメを観よう