私はオタクではない。ただのアニメ好きである。
フィクションで描かれるオタクのイメージはだいぶ古いんでないかと思っている。いまだに「電車男」あたりで止まっている。という訳で、ここで私がSNS・動画時代の新しいオタク像を提示する。すべて私の印象です。あと私はせいぜい2000年代後半くらいからのオタク事情しか体験的に知らないことに注意!
オタクは目立ちたがり
旧時代のオタクはクラスの隅っこでコソコソしているというイメージがある。ひょっとしたら今でもそうかもしれないが、しかしインターネット上では割と目立ちたがりのオタクも多い(目立ちたがりは目立つから目につきやすいのかもしれないがまあまあまあ)。
オタクは作品や人が好きなのではなく、それをダシにして目立つのが好きなんじゃないかと思うことが多々ある。ハッシュ・タグを付けて気取った感想や考察や豆知識を述べていいねを頂戴する奴、高額スパ・チャをして他のファンとは違うことをアピールする奴、など。
あと痛車というのはクルマの柄が痛いというよりそういうのを作って目立とうとする心根が痛い。
オタクは知識も知識欲もない
オタクというと好きな分野の知識が半端ないというイメージだろうが、最近のオタクは知識がないと思う。アニメオタクでアニメに詳しい奴を私はとんと見かけない。
なぜ知識が乏しいのかというとそもそも知識欲がないのだろう。アニメオタクと言ってもただ放送しているアニメや流行っているアニメを漫然と見るだけで、「この描写にはどういう技術が使われているのか」とか「この監督は誰から影響を受けているのか」とか考えて制作過程や歴史を調べたり遡って名作を見る、というオタクは少ない。そういう文化がなくなった感じがする。せっかくサブスクで過去のアニメもいくらでも見られるのに。
もっと生産的なアニメの見方は別記事でいずれ書きます。
オタクは集団ではしゃぐのが好き
で、実は、オタクはアニメとかの作品が好きというより、それをネタにみんなで集まってはしゃぐのが好きなんじゃないかと思っている。これはそんなに最近の現象でもない。同人誌即売会が大型化してきているし、アニソン・フェスとかコスプレ・イベントとか昔からたくさんある。そのはしゃぎがSNSに移行して、流行ってるアニメをみんなで見て一体感を得るのが、アニメそのものをディグる以上のオタク文化になったのでは。
コミュニケーションが苦手で孤立してる、というオタク像はズレている。
オタクは数字が好き
その流行りに乗っかる姿勢に伴ってか、数字にこだわる奴も多い。マイナーな作品を愛でるのではなく、自分の推してる作品や人がいかに売れてるかをアピールするオタクが目につくんである。
どの世界にも通じることやが…中身のないヤツが数を誇る!
オタクは批判に弱い
オタクが批判されるのに弱いというより、自分の推している作品や人が批判されるのに弱いオタクが多い、という感じ。これについても、どんなに批判されている作品でも自分だけは好き、みたいなプライドが最近のオタクには感じられないのである。
その結果、(これはホンマに私の印象でちゃんと検証すべきだが、)最近は批判するポイントが少ない作品が受ける傾向にある。キーワードは「原作に忠実」「良い人」「作画(グラフィックス)が綺麗」あたりである。こういう性質を持った作品や人は批判されにくいので推しやすい。
実のところ、原作から逸脱しているのにおもしろいアニメとか、性格が悪いのにおもしろい人とか、枚挙に暇がない。また私は作画の綺麗さと作画の良さは本質的に無関係だと思っている。そういう逸脱した特徴を褒めるオタクが少なくなった。
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