曇りなき眼で見定めブログ

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『分析フェミニズム基本論文集』を読む・その3 タリア・メイ・ベッチャー「邪悪な詐欺師、それでいてものまね遊び」

 ↓これのつづき!

cut-elimination.hatenablog.com

↓この本収録の論文を一つずつ読んでいくシリーズです。

3つ目はタリア・メイ・ベッチャー「邪悪な詐欺師、それでいてものまね遊び トランスフォビックな暴力、そして誤解の政治について」渡辺一暁訳。かっこいいタイトルのようだが深刻な意味がある。

 グウェン・アラウホというトランス女性の殺害事件の分析が中心となっている。殺害した男たち(と弁護人)は、アラウホが女だと思っていたのに本当は男だったと知り、それで怒って殺したという。メディアも、それなら怒って当然という論調のものがあったらしい。

 トランスの人はダブルバインドを経験するとベッチャー先生は言う。トランスの人は本当の性別を欺いているのだ(トランス女性ならば、本当は男なのに女のふりをしている)、という世の中の風潮がある。しかし、自分がトランスだと判るようにしたとしても、今度は違う性別を真似しているだけだとされる。片方の選択は詐欺師のように扱われ、もう片方ではものまね遊びとされ、どちらにせよ悪い事をしているように見られる。トランスの人はこうした苦境に立たされているとベッチャー先生は指摘する。こうした事は、私の乏しい経験からすると漫画アニメなんかでも見られる気がする。

 ベッチャー先生は更に論を進める。これにはもっと大きな枠組での悪しき慣習が関わっているのである。人は衣服を纏う事で己の性器を表現していると言う。ヴァギナを持っている人は女性的な格好をする事でヴァギナを持っている事を表現している。服を着るのには性器を隠す機能もあるのに、である。トランスの人が悪い事をしているかのように扱われるのは、この慣習に反してるからなのである。その慣習がそもそも問題なのである。まとめ的な段落があるので引用する。

 私が強調したいことをまとめると、「詐欺師」のようなレッテルはトランスの人々に対する不可解で奇妙なステレオタイプにすぎないと考えたり、トランスの人々はただ自分のままでいるだけだと主張したりすると、かえってトランスの人々が直面している最も重要な問題の一部を見過ごしてしまうのだ、となる。ジェンダー表現とセックスと結びつけられた身体とを一致させようという表象の体系のもとでは、トランスの人々は根本的に詐欺師あるいはものまね遊びとして構築されてしまい、そもそも自分のままでいることが許されていないのである。この伝達関係を根絶しないことには、支配的な潮流のなかでトランスの人々が真正性を備えた人々としては存在できないという、深層の社会構造を変えることはできない。(109ページ)

ジェンダー表現とセックスと結びつけられた身体とを一致させようという表象の体系」というのが要するに、性器と衣服が違和感なく結び付くのが普通とされるような社会の慣習である。これも納得できる議論である。

 しかしここからは論理が飛躍しているように思った。ベッチャー先生は、こうした表象の体系をレイプと結び付けようとしている。何故そのようなファッションが是とされるのかというと、ヘテロセクシュアルの男(つまり支配的な階級)が強引なセックスをしやすくする為である、というようにベッチャー先生は考えているようである。ここの所は難しくて余り解っていないかもしれない。レイプの話の流れで以下のようなつっこんだことを述べている(いちおう注釈で留保を付けている)。

あけすけに言えば、支配的なヘテロセクシュアルの文脈においては、男性は直接にそう尋ねることなくセックスしたいかどうかを知る必要があり、それと同じ理由から、相手にはヴァギナがあるのかを知る必要があるのだ。(111ページ)

レイプの話題でベッチャー先生が言いたいのは、トランスフォビアの根底には女性への抑圧もあるかもしれないという点である。ヘテロセクシュアルの男性がセックスの駆引のための情報を得る為に女性の衣服がヴァギナの存在を表現するようになっているのかもしれない、という事のようだ。しかし、レイプと繋がるようには私には思えなかった。人種とレイプの関係についても論が及んでいるのだが、更に分らなかった。

 性器と衣服が結び付くのは、やはりセックスという行為が人類にとって重大だからではあると思う。そして世の中にはヘテロセクシュアルの人間が多く、セックスの多くもペニスとヴァギナによるものになる。それ故のファッションの慣習がトランスの人にとって抑圧的に働く事もあるだろう。これくらいなら私も同意する。

 レイプ云々は、フェミニストがしばしばトランスフォビアに走る事から出てきた話である。私はそういうのは噂には聴いていたが本当にあるのだなあと学んだ。トランス女性は女性の格好をまねることでレイプしている、というのである。ベッチャー先生はそのような論を、上記のような理由で、トランス女性はヘテロセクシュアル男性のセックスの駆引に加担していると言っていると解釈している、という訳だと私は読んだ。ここの所も難しかったが。

 という訳で、難しいけど勉強になる論文です。