曇りなき眼で見定めブログ

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『分析フェミニズム基本論文集』を読む・その2 キャスリン・ジェンキンズ「改良して包摂する」

 ↓これの続編!

cut-elimination.hatenablog.com

↓こちらの論文を読んでいくシリーズ!

二つ目の論文はキャスリン・ジェンキンズ「改良して包摂する ジェンダーアイデンティティと女性という概念」渡辺一暁訳。

 前回取り上げたハスランガー先生の議論を批判する論文である。私はハスランガー先生の改訂的な定義のアプローチには、事実を歪曲する事にならないか、従属と特権という性質は妥当なのか、本当に定義の効果があるのか、人々の語の使い方を決め付けて良いのか、という点が疑問だと書いた。ジェンキンズ先生の批判のポイントはこの定義がトランスの人を包摂できないという点にあり、私の考えと違ったので残念だった。と思いきや、読み進めていくとそうでもない。

 トランスジェンダーを包摂できるようジェンダーの定義を変更する事を考えるうえで、私の疑問もかなり晴らされた。ジェンキンズ先生は従属と特権という考え方は維持しているが、そのような階級による定義の他にアイデンティティによる定義も導入し、両輪が必要と解く。アイデンティティによるジェンダーの定義は以下である。

SはXというジェンダーアイデンティティを備える {\rm iff_{df}} Sの内的な「地図」が、階級としてのジェンダーXに属する人向けに、この文脈において階級としてのXに特有の社会的・物質的現実を切り抜ける際の指針となる形で形成されたものである。(67ページ)

ここで地図とは、規範とか慣習のようなものだが、飽くまで指針であって必ずしも従わないものこと(地図はハスランガー先生も使っている語のようだが、ハスランガー先生は規範として内面化されていると考えるのに対しジェンキンズ先生はそうではない)。すね毛を例として説明されている。女性はすね毛が生えたままになっていると不適切な感じになる。しかしだからと言ってすね毛を剃らなかったら女性でないという訳ではない。けれどもすね毛を剃らない事で何か規範を破った感じがしてしまうのが女性アイデンティティなのである。これは主観客観両面から考察されているのも興味深い。ここはわたし的には最近勉強したメルロ=ポンティフェミニスト現象学みたいだと思った。この定義はトランス女性を女性に包摂できるし、女性アイデンティティを備えているがその事に自覚がないという微妙なケースも捉えられている。なかなか巧妙な議論である。

 このようなアイデンティティによる定義も、階級による定義と同じように改良に役立つとジェンキンス先生は述べる。抑圧はアイデンティティによって起こる事もあるからである。例えば女性というアイデンティティの為に職業選択の自由を諦めたりとか。階級ほどは直接的に差別と結びつかないが、しかし私としてはこちらの方が共感できた。

 ジェンキンズ先生は更に、女性という語は階級ではなくアイデンティティの方の為に用いた方が良いのではないかと述べる。そうしないとトランス女性が周縁に追いやられてしまいそうだからである。これはハスランガー先生の提案と比べると穏当であると私には感じられる。直観的で、それほど改訂的ではなさそうなので。ハスランガー先生は「女性」がいなくなれば良いと考えていたが、ここでジェンキンズ先生は興味深い事を述べる。

このラベルを押しつけられているシス女性と、それを獲得しようと苦労しているトランス女性とで、異なる意味を持つ。(…)…たとえ「女性」という語彙に自分を重ねなくすることが建設的な選択肢となる女性がいるとしても、少なくともトランス女性の一部を含む他の多くの人にとっては、その選択肢は望ましくなかったり実行不可能だったりする、というのはとてもありそうなことだ。(79ページ)

女性がいなくなるべきと言っても、トランス女性はなかなか女性と認められない中で女性でありたい訳なのである。なので階級としての女性はトランス女性にとってなんだか都合が悪い。アイデンティティとしての女性は、トランス女性を包摂する為にはより良い「女性」なのである。よって階級としての女性は、「女性」でなく「女性という階級にある」とか言った方が良いと提案している。

 最後にジェンキンス先生自身の経験が述べられている。興味深い話だが、それよりここでの言葉遣いが参考になった。私も含め多くの人が感じていると思うが、トランスジェンダーを話題にする際、伝統的な言葉が使えないと実感されて困る事がある。ジェンキンズ先生の言葉遣いは思慮深い。普通なら「身体は男で心は女」とか言いそうな所を「女性であるとジェンダーを誤解されることが多いと感じているトランス男性」と書いている。これは勉強になった。

 明快で良い論文でした。