曇りなき眼で見定めブログ

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『ネット炎上の研究』読書メモ

 田中辰雄・山口真一『ネット炎上の研究』(勁草書房)という本を読んだので感想をメモする。2016年の本である。インターネットの世界は刻々と変化するので2016年に出た本であるという点は重要。

用語

 繰り返し出てくる用語がある。

サイバーカスケード集団極性化

 サイバーカスケードとは、(賢明な)インターネットユーザーならば必ず感じているであろう、意見が両極端になってそれらの間の対話が行われなくなってしまう現象のことである。これはインターネット上の現象のことだが、より一般に集団内の意見がどんどん極端になってしまう現象を集団極性化という。炎上はサイバーカスケード集団極性化の原因と考えられる。炎上によって中庸な意見を発信することが萎縮してしまうからである。

デイリーミー

 自分専用の新聞という意味。インターネット上には膨大な情報があるため、自分用にカスタマイズ/フィルタリングされた情報だけ見るようになる。Twitterのタイムラインをイメージするとわかりやすい。これは自分に心地よい意見だけを取り入れるようになってどんどん自分の意見が強化されていったり(エコーチェンバー)、サイバーカスケード/集団極性化の原因となったりすることが考えられる。ただし、デイリーミーは炎上の原因ではないと本書では述べられている。

炎上

 本書の炎上の定義は「ある人物や企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアに批判的なコメントが殺到する現象」としている(5ページ)。この定義でアンケート調査を行なっている。ソーシャルメディアというのは発信者が運営するブログやSNSアカウントだけでなく2ちゃんねるも含んでいる。

統計的な研究

 私は統計もそこそこ勉強しているつもりなのにさっぱりわからなかった。ロジットモデルというのがわからない。なのでここの研究をちゃんと評価できない。多分すごい研究なのだと思う。

 結果的にいわれているのが、

  • だいたい1年間で炎上に参加する人はインターネットユーザーの0.5%程度。
  • 1件あたりでは0.00X%のオーダー。
  • そのほとんどがTwitterなどで一言コメントをする程度で複数回コメントをする人はそのうち数%。
  • 当事者へ直接攻撃する人は数人から数十人。

という感じらしい。

炎上の真実

 本書の最大のメッセージは、炎上の主犯格はほんの数人くらいしかいないということである(と思う)。執拗に誹謗中傷を行なって攻撃する(これは荒らしとも呼ばれる)人はその程度である。しかもそうした人は倫理観などでかなり特殊であると考えられる。ごく少数の異常な人のために屈してはいけない。(屈するとインターネット上は異常にタフな人ばかりになってサイバーカスケードを引き起こす。)

本書の炎上観と炎上私観

 本書の炎上観は私のとかなり違っている。私が思うに炎上の打撃というのは誹謗中傷とはまた別のところにもある。本書ではスマイリーキクチの誹謗中傷を挙げてごく少数の人が必要にデマ拡散や誹謗中傷を繰り返す例としている。確かにこれも深刻な問題だが、これは本書の前半で出てくる炎上とはかなり違っているので対策の手本とはならないように思う。

 深刻な炎上というのは匿名のごく少数による粘着だけではない。かなり有名な実名アカウントや匿名だが影響力のあるインフルエンサーが問題に言及し不特定多数がそれについて一言コメントをする。こういったケースは本書ではあまり重く扱われていないが、これがけっこう深刻だと思う。特にサイバーカスケード/集団極性化の原因はこうした無自覚な一言コメントの集積にもあるように思う。私が注目している炎上はやはり萌え絵ポスターの問題である。これは本書でも例として出てくるが、少数者の誹謗中傷が問題ではない。専門家っぽい人の短絡的なツイートやそれに先導された人がわらわらと集まること、(そしてカウンターとしていわゆる表現の自由戦士なる人たちが集まってくること、)そうしてひとつのポスターに過剰に注目が集まって表現が萎縮する、こういう炎上もある。これは誹謗中傷でないだけに対策が難しいように思う。個々の人は誰も悪くないからである。しかし異様に議論が盛り上がってしまうことも、作者に誹謗中傷がいくこととともに問題であろうと私は思う。

新しいSNSの提案

 サロン型のSNSというのが炎上対策として提案されている。2016年の本だが、ちょっと前からオンラインサロンというのは注目されている。オンラインサロンといったら集団極性化の温床とも思えるが、本書ではそこにも気をつけている。書き込みは会員限定だが閲覧は誰にでもできるようにするという。これはテレビなど旧来のメディアではふつうのことである(発信者と受信者の分離)、という。これはなるほどと思った。私に力があったらこれを開発して運営してみたいと思った。