曇りなき眼で見定めブログ

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【品田遊】反出生主義啓蒙小説『ただしい人類滅亡計画』がとても良い本だった【ダ・ヴィンチ・恐山】

 ↓この本の感想を書きます。

 最近オモコロのYouTubeをよく見ている。川柳を作って応募するシリーズが好きである。なかでもダ・ヴィンチ・恐山先生の川柳のセンスはなかなかのもの。

 恐山先生は哲学にも造詣が深いらしい。アイコンをウィトゲンシュタインにしてるあたりなんか哲学好きが滲み出ている。大学なんかでどれくらい専門的な訓練を積んだのかはわからないが、以下のnoteに書かれている反出生主義シンポジウムのメモなんかを見ると頭が切れる人という印象を受ける。まあでなきゃあれほどの川柳は詠めないでしょうな。

note.com

 シンポジウムに行くくらいだから反出生主義に関心があったのだろう。そんな恐山先生が満を辞して反出生主義をテーマに小説を書いたのが本書『ただしい人類滅亡計画』である。恐山先生は品田遊という名義で作家活動もしている。知らなかった。最近は反出生主義プロパガンダ・メディアと化している当ブログで取り上げないわけにはいくまい。軽く感想やメモを書いておく。

この本の特徴

 魔王が人類を滅亡させようとするのだが、その前に人間に滅亡させるかどうか議論させてその結論を聴いてから考えるという話である。ブラックという人間が反出生主義者で滅亡を支持して話がややこしくなっていく。

 反出生主義の入門書と言えるかどうかは難しいところである。現在哲学の世界で盛んに議論されている論点がそのまま紹介されている訳ではない。巻末に参考文献が載っているが、本書からスムーズにそれらに入っていけるようには思えない。反出生主義と言えばまずデイヴィッド・ベネターだが、本書はベネター先生の哲学説を解説したものにとどまっていない。最初そういうもんだろうと思って読み出したがそういうわけではなかった。割と恐山先生のオリジナルな議論になっていると思う(私が不勉強で知らないだけかもしれないが)。

何故良い本なのか

 この本はとても良い本である。

 哲学についてなんの知識もなくても議論を追っていけば読めるようになっている*1。読み物としては理想的である。とはいえちゃんと頭を使わないと分らなくなる。殆ど常識的な前提から人類滅亡という結論を引出すのだから当然である。

 千葉雅也先生の『現代思想入門』という新書が売れている。ちょっと立ち読みしたのだが(ちょっと立ち読みした程度で批評して申し訳ないのだが)、あんまり良い本とは思えなかった。偉い哲学者の思想を紹介して日常生活にはこう当てはまりますね、というのを繰り返す構成になっている。そんなので哲学と言えるのか? と思った。本書の方が遥に知的興奮というものを具えている。扱っている問題も切実なものである。私は恐山先生の方が哲学というものをちゃんと実践していると思う。

 やや専門的には、そもそも道徳とは? なんでそんなものが必要なの? といったメタ倫理的な論点に議論の多くを割いているのが良い。倫理学について素朴に考えるとこういう問題は大きく立ち塞がる。私は反出生主義という応用倫理的な話題ばかり考えてしまっていてメタ倫理的観点を疎かにしていたなあと気付かされた。また倫理学を知らない人にとって気になるのはそこだということにも気付かされる。

 当ブログで雑誌「現代思想」の反出生主義特集に頑張ってコメントを書いていったが(カテゴリ「反出生主義」から探してみてね)、本書を読むとなんかあんまり良い特集でなかったような気がしてきた。哲学の能力に疑問がある人や第一線の哲学者でも反出生主義に大して興味が無さそうな人ばかりだったなあ、と。恐山先生の方が大半の執筆者より哲学を分っているし反出生主義と向合っている。川柳も上手い。「現代思想」に恐山先生が寄稿しても良かったなあ。

批判的コメントをいくつか

 本書の大きな問題として、反出生主義と人類滅亡というテーマが微妙にズレているのではないか、というのがある。この点に関しては以下の記事でも指摘されている↓。

note.com

子供を産まないことと人類を滅亡させることはイコールではない。

 また、本書の設定上の問題なのだが、魔王の介入というのは現実にはあり得ないことで、これを考えると現実の議論とはけっこう違ってくるはずだと思った。人類滅亡には同意だが魔王の力で達成されることには反対、とかいう意見も考えられるので。

 議論の中身についても述べる。道徳と法が混同されているように見える箇所があるのが気になった。道徳と法と何が違うのかというのは素人の私には上手く説明できないのだが、本書には罰や償いの話が出てきたりして、それは倫理学の議論では必ずしも前提としないのではないかと思った次第。

 反出生主義者ブラックの議論の核心には、幸福を生み出すことよりも苦痛や不幸の回避の方が優先される、というのがあるように思われる。これの根拠として慣習や直観のようなものを持出しているが、まだ十分でないと思う。ベネター先生の本を一所懸命読んだ私だから指摘できるのであるが、例えば、生れる子供の苦痛の量がごく小さいと予想されたら、回避すべき不幸なんて無視できるのではないか、という反論をブラックは退けられないように思う。ベネター先生の非対称性の議論ならば退けられるが*2。また、功利主義者ならば根拠となっている慣習や直観を否定しにかかるのではないかとも思う。

 まあこんな風にしていろいろ議論の土台になるという点で結局は良い本なのである。間違っているとしてもどこが間違いか探すことで有益な議論に繋がるから良い。

どうでもいい感想

 恐山先生がどれくらい哲学の専門的訓練を積んだか分らないと書いた。しかし

シルバー:「あなたはあなたのために生きよ」という命題と同時に「他者の内にも『あなた』を見い出せ」という命題も発している。

とあるところでは「命題」という語を誤用している。論理学や言語哲学を勉強していたらこういう誤用はしないんじゃないかと思うので、恐山先生はそれらで卒論とかを書いてはいないだろうなあと思った。

*1:哲学の知識が少々ある私の見解なので微妙ですが…

*2:途中のQ&Aのところで「幸福を増やすことは少なくとも絶対にやらなければならない義務ではない一方で、不幸を増やす行為は「行うべきではない」という道徳的義務がある。」とあるのはベネター的であるよ。