まったく期待していなかったけど意外とおもしろかった!
良かった点とソーナンス
いろいろと不満もあるけれどまあこんなものでしょうというおもしろさだった。『鬼滅の刃』(以下:キメヤイ)の映画よりはぜんぜんおもしろかった。私はヒロアカはマンガはほぼ知らなくてテレビアニメをちらちら見ている程度である。そんななんの思い入れのない私でもそれなりにおもしろかったのでそれなりに良い作品だと思う。
特に良かったのは吉沢亮氏演ずるロディの個性である。あのトゲピーみたいなやつ。声はトゲピーはやってないけど多くのポケモンを演じている林原めぐみさんだった。あの個性で泣かせる演出がうまい。そして吉沢氏のような超絶イケメンが声だけでも演技が上手くてすごい(とかいったら失礼だろうが)。てか「個性」ってなんやねん。というのはヒロアカ開始当初からずっと思っているが、それについては後ほど。
敵のボスの肌が青いのは何故だろう。何か裏設定があるのかもしれない。デスラーぐらい青い。デスラーのオマージュだろうか? と思っていたらソーナンスのような個性を持っているとわかって、これはソーナンスのオマージュなのか!? と思った。
あんまりな点
ヒューマライズというのは「思想団体」とされているがカルト教団に近い。思想というのが警察も動かすほどの力を持つようには思えない。Qアノンのような陰謀論を振りまく人々の集まりのようでもあるが、長がいて組織化されているからオウムや赤軍のようでもある。ちょっとなんというか設定に知性を感じない感じがするのだが子ども向けならこんなものだろうか。しかし午前中に行ったものの子どもの客はまったくいなかった。若いお姉ちゃんがオタク友だち同士で来ている感じの客が多かった。この点については後述。
最初の市街地の追いかけっこは、あんまり良くないがまあこんなものだろうか。『サイダーのように言葉が湧き上がる』の最初の追いかけっこシーンのほうが良かった。つまり人が大勢いて民家や商店があってというシチュエーションがあんまり映像のおもしろさに活かされていないような。『GHOST IN THE SHELL』でそういうシーンがあったが、ああいうふうに民間人の中で戦うわずらわしさみたいなのが欲しい。洗濯物を干す紐や窓を使ったアイデアはあったけど、もう一歩映像的なおもしろさに結びついていない感じ。どうもキャラクターを真ん中に同じようなサイズで描きすぎなような気がする。でもこれはできている作品のほうが少ないからこんなものだろう。
黒鞭のアクションはなかなか良いのだけどあれはもはやスパイダーマンなので「個性」ではない。
現代アニメによくある欠陥
ボンズ(ズンボ)作画班は相変らずすごい。背景動画を使いまくったバトルシーンはなかなかの迫力である。ただし私は最近『迷宮物語』『ロボットカーニバル』『AKIRA』という80年代の超絶作画アニメを見て研究していたところなのでどうしても物足りなさを感じた。何が違うのか考えてみた。そもそもの作画の技術がこれらの作品のアニメーターのほうが上なのかもしれないが、それだけでなく、どうも作画以外の要素が多すぎるように思った。作画をじっくりと堪能させてくれないのである。これは私が作画好きだから感じるわけではないと思う。『AKIRA』の映像のすごさは誰だって感じるだろうから。つまり画面内というかカメラが映している世界で何が起きているのかをもうちょっとじっくりしっかり見せてくれても良いのではないかと思う。カメラを目まぐるしく動かす演出なんかもあるけれど、そういうのはメリハリだと思う。
細かい点だが予告を見て気になった点がある。
爆轟が「なんで買い出ししなきゃなんねーんだよ」と言ってその声の風圧でデクの髪がめくれるという演出がある。これはマンガの手法である。マンガは動きがないので一コマの中である程度の時間を表現することになる。しかしアニメでは動きがあるので、こういう一枚の静止画のような絵の表現はおかしい。あと音がないので音の大きさを絵で表現する。でもアニメでは音はちゃんと聴えている。こうやってマンガの感覚をそのままアニメにしてしまったら変な感じがしちゃうのである。しかしこういうのはよくある*1。
あと声優である。最近の傾向なのかわからないが、声優というのはどうも発話の際に余計な音が多い。「このぉ!」でいいところを「くぅぉぬぅおう!」と言ったりとか。これは気になりだすとずっと気になる。吉沢亮さんは声優感が薄い分よかった。あと爆轟はずっと喋り方が変だと私は思っている。世の人びとは気にならないのだろうか。なってるだろうか。
シチュエーションが活かされていないというのを書いたが、もっというと世界の在り方にリアリティがない。これはキメヤイを観たときにもものすごく感じた。「ワールド ヒーローズ ミッション」というわりに世界中でヒーローが戦っている感じがしないのである。なんか変だった。
ジャンプ作品共通の病理
なんかみんなうるさいのである。あきらめないのはけっこうだから粛々とやっていただくわけにはいかないだろうか。子ども向けに単純なメッセージを連呼する教育的な作りになっているのだろうか。しかしもはやジャンプ作品なんて子ども向けなのかどうかわからない。けっこう流血するし。キメヤイのようにPG-12で子どもにも大ヒットした作品が珍しいのでは。まあつまりもうちょっと冷めたヒーローがいてもいいのではないかと。あと私は知らないのだがヒーローって民間なのだろうか。国際的に協力しているのはわかったが。ティーンに重要な任務をまかせて案の定暴走しちゃったりとかガバナンスはどうなっとる!
あと何故みんなそんな能力を持っているのかいまいちわからない。だから個性を否定する人たちのその世界における意義とかもあんまりわからない感じである。ジャンプのバトル作品は『ジョジョ』あたりから「スタンド」みたいな名前の付いた超常的能力が出てくるのが当り前になっているが、そもそもそんな能力は当り前ではない。ヒロアカでも何故「個性」なるものが発生したのか一応の説明はあるが、なんかとりあえずそう設定したという感じが否めない。で「個性」というネーミングはなんなのか。もはや個性という設定に個性がない。しかも「個性」という言葉を使うことでなにかメッセージが生ずるのかとおもったがどうもそうでもないようだった。
羅小黒戦記の宣伝
私は日本の現代のオタク向けアニメやジャンプアニメにけっこう懐疑的である。ここで挙げた欠点は中国アニメ『羅小黒戦記』では完全にクリアされている。というかこの作品を観て感銘を受けたから私の感覚が細やかになったのかもしれない。Blu-rayも出たので是非。
まとめ
なんか批判が多くなってしまったが、ふつうにそれなりに面白かったです。今年は(『100ワニ』)を除いて傑作・佳作アニメ映画がたくさん公開されてたくさん観たので、それで物足りなかった感じはある。
*1:時間感覚に関しては、いま放送中の『小林さんちのメイドラゴンS』第3話で良いのがあった。見た人にしか伝わらないだろうが、小林さんのためのメイド服のデザインをみんなで考えるというくだりである。ジョージーさんが手を挙げ、デザイン絵をトールと小林さんのところに持ってくる。その間にトールが心の中でジョージーさんについての評価を述べる。トールの心の声の間はトールがアップで映るが、それが終るとちょうど歩いてきたところのジョージーさんが映る。つまりトールの心の声の間もちゃんと世界の時間が流れていたことがわかるのである。