すごく微妙だった! なんだろう、この気持ち。
話の話
なんというか、すごく変な映画だった。細田さんてこんな感じだったけか。『未来のミライ』は金曜ロードショーで一度見ただけだったからあまり憶えていないのだけど、あれもそうだったかもしれない。とにかくものすごく散漫なのよ。話が。
スズが歌えなくなった経緯がよくわからなかった。お母さんが亡くなったときとカラオケで歌わされそうになったときでは何年も離れているはずである。おそらく歌えなくなった原因はお母さんが亡くなったことにあるはずだが、そのときの描写がなかった(と思う)。なぜ高校生になってからのことが象徴的に出てきたのだろう? そもそもお母さんの死と歌がどのように結びついているのかがわからない。合唱サークルのババアたちが出てくる。スズはお母さんと一緒に参加していたようである。なんかそのあたりだろうか。すずはあのサークルが嫌になっているわけではないのでトラウマがあるわけでもなさそうだが。
そして(!)歌えるようになったことがスズにとってどういう意味を持つのか? あとメガネの子のスペックとかあの子がいかにプロデュースしたのかとかも謎である。けっこうメガネの子とのやりとりもおもしろかったが、あまりなかったなあ。
あとそもそもあの合唱のババアたちが必要だったのかという問題もある。電話をしたりクルマを飛ばしたりというどこのババアでもできる活躍しかしていない。そのキャラの薄さを埋めるためかババアのひとりが「オハイオで〜」という昔の恋話をしだす。オハイオとかいらんねん、と思った。
サックスの子とカヌーの子の告白のくだりとかも、なんでこんなサイドの話にたっぷりとるんじゃ、となった。あとクラス内のLINEイジメみたいなやつもなんだったのだろう? あとババアとシノブくんはなぜスズがBelleだと気づいたのだろう? よくわからない。
とにかくエピソードや描写のバランスが変なのである。けっこうポカンとしちゃう瞬間が多かった。「ワシはいま何を見せられているのだ?」みたいな。これは話とかキャラクター以外にもいろいろある。後述。
テレビシリーズとかOVAシリーズのほうが良さそうなストーリー構想だと思う。でもやっぱりレイアウトの雄大さは映画向きだったり。
というこの作りはもしかしたら意図的かもしれない。「小説を読んで補完してください」みたいな。ワシゃ読まんぞ!
ビジュアルと音楽
最初にUのチュートリアルみたいなシーケンスがあるが、ここがいちばん良かった。すごくワクワクした。クジラに乗ったBelleに。また最初の曲もとても良かった。millennium paradeだと思う。
Uは3次元モデルを作っているのだろうが、それがあればよいというものではない。実写映画でロケーションのなかでどう撮るかというのと同じで、レイアウトが重要である。細田作品の最大の長所はああいう未来的な世界観のデザインとレイアウトのセンスだと思う(細田さんが直々に描いているわけではなかろうけど)。画面の半分くらいを、巨大構造物みたいなのの外から見た側面が占めていてあとは空、みたいなレイアウトがキービジュアルにもなっていたと思うが、あれは本当に美しい。CGで緻密に作っているのに書割みたいな雲が出ているのもオシャレである(誰の発案かは存ぜぬが)。
で歌なのだが、中村佳穂さんは、こういう「歌が感動をもたらす」「歌で世界を救う」系の映画*1の歌い手史上最も上手いと思う。マジで。曲も良い。ただし、わたくし的にはクライマックスの歌より前半に出てきた二曲のほうが良かったのが残念だった。けどクライマックスの、画面やや右にスズが背を向けて浮んで粒みたいになったアバターと構造物が背景を埋めている、このレイアウトなんかも素晴しいと思う。
キャラクターデザインはBelleに関してはすごく良かった。ディズニーの人がやっているらしく*2、けっこう『美女と野獣』のパロディ的である。
全体的に
細田さんは『おおかみこどもの雨と雪』のようなファンタジー的で家族を描くのが最近の作風だが、『サマーウォーズ』みたいなインターネットを題材にしたSFもある。けどこれもまあ家族の話である。もっと純粋にインターネットの仮想空間の話だとさらに遡って「デジモン」の劇場版2『ぼくらのウォーゲーム』がある。
これらはタイトルも話も似ているのだが、今回の『竜とそばかすの姫』もなんだかんだで似ている。大きく違うのは、現実のコンピュータやインターネットがどんどん進化しているという点であろう。この三作はそれぞれちょっとずつ近未来のサイバースペースを描いていると思う。私はこのたび初めてリアルタイムで実感しながら細田ワールドを観たことになる。
『サマーウォーズ』の頃はまだトゥイッターがまだ全くと言っていいほど普及していなかったはずで、掲示板とかテレビが主要メディアだったはず。今作ではけっこう「つぶやき」スタイルの言葉の洪水みたいなイメージが重要である。しかしあのつぶやきに声を乗せるのはちょっと違和感があった。SNSのイメージを描こうとしているのだろうが、トゥイッターを見ていても声は聴えてこない。しかしこの違和感以上のもっと大きな違和感があって、これは「根源的な問題点」として後述。
『ウォーゲーム』や『サマーウォーズ』ではサイバースペース上の悪事が現実世界にも悪影響を与えるのだが、今作ではそれがどうもなさそうだった。これはあとで気づいたのだけれどけっこう重要なポイントのように思う。そしてまたよくわからない点でもある。竜がやっていたことというのは実はオープンワールドのチート程度のことだったのではなかろうか。「チート程度」と書いたがプレイヤーたちからしたら大問題である。それであのヒロアカみたいな自治厨が暴走したのだろう。このあたりも後述するとして、じゃあケイくんはなんで竜なんてやっていたのだろう。それができたのだろう。またも謎である。
あとで考えたら、チートというよりはクソコテに近いような気がした。竜は誰彼かまわずレスバを仕掛ける荒らしのようなものなのではなかろうか。で、古参住人や自治厨が特定して晒す、という流れに似ている。
最終的に虐待を扱うことにしたのは細田さんの発案だろうか。最後にリアルに対面するところなんかは『君の名は。』とか『天気の子』のラストみたいだった(私はこれけっこう好き)。これは川村元気さんの発案だろうか???
根源的な問題点
結局のところUってなんなのだろうか? これがわからないのである。神経か何かを接続して感覚も仮想世界の中にいるように感じられている、ということでいいのだと思うが、その間リアルの身体はどうしているのだろう? 話に関して「何を見せられているのだ?」と書いたが、もっと根源的に「いま我々が見ているものは何なのだろう?」というのがわからないのである。登場人物が真に見ている光景なのか、それを抽象化したイメージなのか。というのは『サマーウォーズ』でもそうだったかもしれないが、あちらはたぶんちゃんとディスプレイ越しということになっていたと思う。キャラクターがサイバースペースにいるように描かれているのはそういうイメージかと。今敏監督の『パプリカ』の夢の世界とかもちゃんと分離されていたような。
例えばunveilされたスズはどう見えているのだろう? CGのはずだが、それはunveilといえるのか? でもこれはさすがに「愚かな問い」かも。これが作品の質を損ねているとかではなさそうだ。
私がこうした点で気になってしまうのはこんな感じでケンダル・ウォルトンの虚構論、特に描出体の議論に慣れてしまったからだろうか。また最近は「羅小黒戦記」で"衆生の門"なるVRゲームの話をやっていて、これがものすごく設定が緻密にできている。ログインとログアウトの仕組みを明確に作中で描いている。ログイン中に現実で空き巣(?)が入ったというのがゲーム内で警告されてたりとかおもしろい。このような徹底っぷりが本作にはなく、そこを観客に補完させているのが物足りなさに繋がった。
羅小黒戦記についてついでに述べておくと、この作品はSNSとかネットゲームとかにどっぷりと漬かった人たちが作っているのがよくわかるのである。細田さんがSNSとかオープンワールドのゲームとか歌い手とかVTuberとかボカロとかMADとかいうものにそれほどハマっているような感じはしない。SNS上のつながりみたいなのに肯定的でも否定的でもなさそうではある。お母さんが亡くなったときのは不特定多数の声の恐ろしさみたいなのはあった。
まとめ
というわけで良い作品とも悪い作品とも言い難いのだが、良くも悪くもない作品というわけではなく、良いところはとことん良いので、こういう作品は大事である。ただ、数年に一度の細田守作品がそういう評価でいいのかな〜というのはある。