曇りなき眼で見定めブログ

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Mrs. GREEN APPLE 擁護派は私しかいないのか!?

 まあ当人たちはもう蒸し返してほしくないかもしれないけど────

 ちなみに私はミセスは特に好きではない。今風なキンキン煩い音楽だと思う。ボーカルの大森さんが作ったAdoちゃん(ウタ)の「私は最強」はけっこう好き。

 記録のために書いておくと、2024年6月13日、コカ・コーラとのタイアップでバンドMrs. GREEN APPLEが「コロンブス」という曲を発表、その曲というよりMVが非難され炎上した。

 当該MVはもう消されていて、私はざっとしか見ていない。しかしそれほど問題を感じなかった。言われてみればマズイかなあ、という程度。それよりも、たかだかJ-POPのMVを深く「解釈」して政治的な匂いを嗅ぎとる人たちの多さが意外だった。私がいかにJ-POPの歌詞とかMVをちゃんと見てないか、どうでもいいと思ってるか、という話だが、世の中の人はどうもそうではないらしい。J-POPだろうがなんだろうが、悪く受け取られるような表現をしちゃダメってことになっているようだ。これも成田悠輔先生のと同じで、広告だからというのが大きいのかもしれないが。

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 で、トゥイッターやその他インターネッツを見ていても、ミセスのMVの何がいけないのか、まだ決定的な説明に出会えていない。「いやこれはダメでしょう!」みたいなことを書いている人は多いが、何がどうダメなのか説明している人は少ないのである。誰か説明してほしい。

唐木元さんて人のトゥイート

 例えばこんなトゥイートを見てみよう。この人はちゃんと説明してくれているが、私には同意できない。何回かに分割して引用する。

Mrs. GREEN APPLEコロンブス」のMVを見ました。曲の良さと裏腹にとても問題の多い映像だと感じました。なお公表されているMVのストーリーは「時代の異なる偉人たちが一緒に旅をしたらという想像の物語」「道中で500万年以上もの時を越えて出くわした類人猿たちとのホーム・パーティー」というものなので、以下に書くことはすべて「制作者の意図と異なりこう見えてしまう」という話になります。主に3つのトピックについて触れていきます。

1;植民地主義奴隷制の肯定

冒頭、コロンブスエジソンとナポレオンは南海の島で(0:01)暮らしている類人猿を「発見」します(0:16)。史実上コロンブスが発見したのは西インド諸島なので、そこで暮らしていた先住民が類人猿として描かれている印象を与えます。発見後、スペイン人は先住民を人間より下位な猿に近い存在と位置付け、彼らを大量に殺戮しました。また疫病を持ち込み大量死させ、労働力として使役しました(エンコミエンダ制)。人力車を類人猿に引かせている(0:30)さまは、使役される先住民の姿を強く連想させます。またナポレオンが類人猿に軍隊的敬礼を教えるシーンがあります(1:45)。これは南北アメリカ大陸において奴隷が労働力としてのみならず兵力として使役された史実を想起させます。

 「制作者の意図と異なり」って制作者が意図してないとわかるならいいじゃない、と思ってしまうのは私が素朴な意図主義者だからか。意図主義については↓の本の第7章を参照。

まあこれは私の感じ方が特殊と認めるとする。しかし、「印象を与えます」とか「連想させます」とか「想起させます」とか、あなたが勝手にそういう印象を受けたり連想したり想起したりしたんでは? とは思う。そもそも、「植民地主義奴隷制の肯定」と書いているが、さすがにミセスのメンバーが肯定しているわけではないということは考慮してやってほしい。「以下に書くことはすべて「制作者の意図と異なりこう見えてしまう」という話になります」と書いてはあるが、実際の唐木さんの非難のトーンは思想に対するものである。「そんな思想は持っていないのに自分にはそう受け取れてしまうぐらい表現が下手だ」と「批判」をすればよかったのになあと思う。

 私は単純にこう考えている。「昔の西欧人がアメリカ大陸先住民に酷いことをした」と「ミセスのMVで西欧人が類人猿を指導する様を描いた」から「ミセスは植民地主義奴隷制を肯定している」は、論理的には出てこない。もっと端的に言うと、悪い奴を描くことが悪いわけではない。この点について説明してほしいのに、誰もしてくれないのである。

 唐木さんの続き。

2:ヨーロッパ中心主義の肯定

PV中で、ベートーベンが類人猿に西洋音楽を教え(0:33)、ナポレオンが類人猿に乗馬を教え(1:20)、またコロンブスが類人猿に文字、天文、航海術を教えるシーンが登場します(2:17)。これらの描写はヨーロッパ文明がそれ以外の遅れた世界に対して絶対的優位性を有していると考える西欧中心主義を補強しており、どの文化もそれぞれに尊重されてしかるべきと考える文化相対主義の見地からは批判されるものです。0:54にはヨーロッパ人と類人猿たちとの写真撮影シーンがあります。植民地においては現地人や奴隷を従えたヨーロッパ人の記念写真や肖像画が多く残っており、また写真は進んだ西欧文明の象徴でもありました。

「西欧中心主義を補強」の「補強」は意味がわからない。なんでこんなJ-POPのMVに思想を強めるような力があると考えているのだろう。「暗黙に同意」とかならわかるが。唐木さんはそれでは非難の言葉として弱いと思い、それ以上に後押しするようなニュアンスのある「補強」を選んだのかもしれない。結果として意味が曖昧になったが。それと「文化相対主義」だが、自分から「私は文化相対主義者です」って言う人も珍しいなあと思った。文化相対主義者ではない私は批判する必要ないってことでいいのか。また写真云々は、さすがにこれは強引な解釈だろう。ここまで重箱の隅を突ついてる人は、非難している人のなかにもそうはおるまい。

3:日本人による白人コスプレ

1、2は「こらアカン」という感じですが、これは良し悪しの話ではなく気味悪さの話ですが、私たち日本人はいまだに白人の差別主義者からイエローモンキーと名指されることのある民族であり、ジパングを目指したコロンブスからすると征服の対象です。それが白人の偉人のコスプレをして類人猿とパーティをするというのは、どうにも倒錯的というか、グロテスクに感じます。何か大きな勘違いがあるのではないでしょうか。

倒錯的とかグロテスクとか、そういうのは別に倫理的な問題ではないので、まあこれはいいでしょう。これもあくまで唐木さんの解釈と評価。

4:よくわからないこと

偉人たちと類人猿たちは一緒に「MONKEY ATTACK」という架空の映画を観ます(2:00)。このタイトルがMARS ATTACKのもじりなのかSHARK ATTACKのもじりなのかは私にはわかりませんが、劇中の類人猿が槍を背負っている(2:03)ことから、映像は猿の惑星を元ネタにしていることがわかります。コロンブスは映画に感動して涙を流します(2:15)。親睦シーンなのでしょうけれど、ちょっと意図がよくわからないですね。そしてMVのおしまいに、これは明確に猿の惑星のオマージュとして、島にかつては文明があったことが示唆されています(3:52)。これも意図が判断しかねるところです。またコロンブスが曲のタイトルなので、けっこうな時間を割いてコロンブスの卵のエピソードが挟まれます(2:58)。画期的な発見もひとたび発見されてしまうとそんなことかと陳腐に見られるという有名な挿話ですが、類人猿に卵を割って見せることの意味はちょっと汲みかねます。

最後に少しだけ歌詞に触れますが、「文明の進化も/歴代の大逆転も/地底の果てで聞こえる/コロンブスの高揚」というフレーズが登場します(1:36)。彼の高揚とは何を指しているのでしょうか。新大陸の発見?  それが地底の果てから聞こえてくる? よくわかりませんでした。なので歌詞については一切の判断を保留したいと思います。サウンドについては好感を持ちました。このツイートをするために何度も見返しましたが、まったく嫌ではなかったので。

意味がわからない映像や歌詞なんてJ-POPでは当たり前なので、なんの問題もなし。唐木さんの3と4に関しては、なんでこんな感想をぶら下げてしまったんだという感じ。

藤井セイラさんて人のトゥイート

 こんな意見もあった。

コロンブスMV、どこまでがコカ・コーラ社の意思?「炭酸の創造/乾いた心に注がれるような」歌詞は完全にタイアップ書下し。『猿の攻撃』と書かれたビデオの、死にゆく誰かを抱きかかえた猿の映像を、安全なリビングでコーラを飲みつつ涙ぐんで鑑賞する。虐殺が起きている今ふさわしい内容でしょうか? pic.twitter.com/NWLDkgsXxA

— 藤井セイラ (@cobta) 2024年6月13日

過激なことを書くようだが、こういうなんでもイスラエルのガザ虐殺に結びつける人こそ、頭が欧米に支配されちゃってると思う。

 唐木さんも藤井さんも、自分がどう解釈しどういう印象を受けたかの話ばかりで、ミセスの何がどう悪いかという論理的な議論はしていない。

何故このようなMVが作られたのか

 何故こんなに叩かれるようなMVが作られてしまったのか不思議がっている人が多い。しかし私は、「なんか炎上してるらしい」と聴いて見てみてもたいした問題を感じなかった。後からいろんな人の意見を見てなるほどねと思った程度である。なので、↑のような人らの意見をいろいろ見たうえでMVを見ると問題に感じるだけで、まっさらな目で見たらたいして問題のないMVなんじゃなかろうか。

人文科学なんて碌なもんじゃない

 私が人文学専攻院生として危惧するのは、こうした人たちの「私は「人文科学」をよく勉強した。だから平均的ジャップ土人より「上」の「人権意識」を持っている。だから表現についてジャッジできる」みたいな感じである。

 いったい歴史やクリストバル・コロン*1の最近の評価を知らないことの何がそんなに悪いのだろう。そういうのって結局は欧米の基準なんじゃなかろうか。

 アメリカ先住民やガザ市民は配慮しなきゃダメで、(欧米基準で)歴史や教養のないジャップ猿はSNSで寄ってたかって叩いていい、とかそういうことなのだろうか。それならそうとそう言えばいいのに、自分たちのやっていることは最先端の人文教養に基づいた正しい行いだと思っているのが気に食わん。

 また、昨日今日ちょっと勉強したくらいの人ほど「実はコロンブスって酷い人で〜」みたいな知識のひけらかしをしたがる。唐木さんのトゥイートにはそうしたひけらかしを感じる。私が思うに、そういうひけらかしのネタになってしまったのがミセスの不運だと思う。

 コカ・コーラ社はこうなることを予期すべきだったと思うが、まあそれも経営上の問題で、倫理的な問題ではない。株主が怒ればいいだけの話だ。

反応したら負け

 唐木さんも藤井さんもWebメディアの人らしい。こういうことを書いたらバズるとわかって書いたのだろう。反応してしまった私の負けである。

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まとめ

 私の言い分をまとめると、

  1. ミセスは差別主義者ではないのに、差別主義者であるかのように言うな。
  2. あくまでMVの解釈によって差別思想があるかのように見えるというだけの話で、自分たちの解釈を絶対視しすぎだろう。
  3. 非難してる自分たちこそ白人至上主義者ではないか。
  4. J-POPのMVにいちいち教養がどうのという人こそ自分の勉強の経験を偉そうに振り翳している。

となる。以上。

 

追記:続きはこちら

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*1:クリストファー・コロンブス」というのは英語読みに基づいたもので、英語帝国主義に抗うポリコレの徒の私はスペイン語読みの「クリストバル・コロン」を採用する