曇りなき眼で見定めブログ

学生です。勉強したことを書いていく所存です。リンクもコメントも自由です! お手柔らかに。。。更新のお知らせはTwitter@cut_eliminationで

ジラール主義者が読む『現代思想 〈計算〉の世界』その7(最終回) 富山豊、長坂真澄

 最終回!

 ↓これの続き!

cut-elimination.hatenablog.com

 ↓これを読んでいくシリーズ!

 今回はフッサールに関する論考二つ!

富山豊「フッサール数学論における「計算」・「演繹」・「直観」の付置」

 ここへきて本特集で最もおもしろかった! 積読している富山先生の本も読まねば。

 ダメットのいうカノニカルな証明とフッサールの直観の歴史的な繋がりとか、しかもテクニカルにもカリー=ハワード同型で計算の実行・正規化と対応するとか、興味深い。(5^3)^4のような式の計算の実行をフッサールのいう充実化ととらえることができるらしい。ジラール先生なら意味と意義の違いから論じるところだろう。ジラール先生がカット除去にこだわるのも明証性と関係している気がしてきた。

 もっと更にテクニカルな議論に繋げていただきたいところ。

 参考文献にジラール先生の"Proofs and Types"が挙がっていたのも良かった。

長坂真澄「tertium datur━━排除されない第三項と汲み尽くしえない無限 ゲーデルを通過するデリダフッサール読解を手がかりに」

 カヴァイエスデリダフッサール論が登場。ちょっと用語がおっかないが最終的には数学の明証性の話になって富山先生の議論と近いと思った。

 239ページの「余地がある」は「余地がない」じゃなかろうか。

 意味論と証明論がごっちゃになってしまっている点と、ゲンツェンの無矛盾性証明はどう扱うんだという点が気になった。

今回の感想

 フッサールはやはりおもしろい。

全体の感想

 ユク・ホイ氏のやつとか怪しい記事もあったが、全体としてはおもしろかった。「あの人にも書いてほしい」というのはあったがまあまあまあ。