曇りなき眼で見定めブログ

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ジラール主義者が読む『現代思想 〈計算〉の世界』その3 ユク・ホイ、丸山善宏、近藤和敬

 ↓これの続き。

cut-elimination.hatenablog.com

 ↓これの論考を一つずつ読んでいくシリーズ。

ユク・ホイ「計算不可能なものと計り知れないもの」原島大輔訳

 ユク・ホイ先生は計算機科学から哲学に転じた人らしい。本の邦訳も出ている。

 ところどころで「線形の論理」という言葉が出てきてドキリとした。意味はわからなかったが線形論理とは関係ないだろう。

 この論考は「計算不可能(incomputable)」という数学的な概念とは違う「計り知れない(incalculable)」という言葉を思いついた時点で満足してしまって、それらの違いとか何が計り知れないのかという議論・論証ができていないと思った。訳者解説も同じ調子だった。

 というかぶっちゃけ、ブンケイの人に向けて理系っぽい言葉を出してドーダとやる、あるいは「理系科学にはわからない世の中の深みがあるんやで」とやってブンケイを安心させてあげる、もしくはベルクソンとかハイデガーとか理系の人があまり知らない昔の偉い人の名前を出してドーダとやる、みたいな感じがした。

 あとハイデガー的な人工知能はないとか言っているが、コイファー&チェメロ『現象学入門』でまさにそういうのが活発に研究されているという話はあった。

 ユク・ホイ先生がおかしいのか翻訳に問題があるのか、怪しい記述がいくつかある。例えばこんなの↓

再帰的に数え上げ可能であることはまた、計算可能であるということをも意味します。計算可能であるというのはすなわち、その値を有限回のステップで生成するアルゴリズムをみつけだすことができるということです。ある値が再帰的に数え上げ可能でないなら、それは計算可能ではない、あるいは決定可能でないということです。たとえばダフィット・ヒルベルトが一九二八年に決定問題と呼んだもの、すなわちある公理と数学的な命題が与えられたとき、その命題を公理から証明できるかどうかを決定するアルゴリズムは存在するのかという問題を、クルト・ゲーデルは否定的に証明しました。(86−87ページ)

 まず前半なのだが、「再帰的に数え上げ可能」は原語はもとの講演の動画を探して見たら"recursively enumerable"だった。これは普通は集合に対する言葉だと思うが、値に対して使われているのはどういうことだろう。値のすべての桁の数を並べると再帰的に数え上げ可能な集合にするということか。あるいは再帰的に数え上げ可能な集合に入る値ということか。いずれにせよ再帰的に数え上げ可能というのは計算可能とか決定可能より弱い表現なのでアカン。再帰的に数え上げ可能だが計算可能=決定可能でない集合がある、という発見が計算可能性理論の出発点なのだから。数学的にちょっと正確性に欠ける気がした。

 後半。ヒルベルトのいう決定問題というのは一階述語論理の決定可能性なんじゃなかろうか。第一不完全性定理は算術を含む理論についての決定不能性である。また第一不完全性定理が示した決定不能命題の「決定不能」とは「証明も反証もできない」ということで、「証明できるかどうかわからない」ではない。これらはちょっと違う。ロビンソン算術などの算術では後者の意味の決定不能性も前者の決定不能性と同じような証明で示せるはずなのでよいが。鹿島先生の『数理論理学』では後者の決定不能性を使って前者の決定不能性を導いている。

それと一階述語論理の決定不能性もそこから言える。というのを調べた。

山善宏「万物の計算理論と情報論的世界像」

 丸山先生はちょくちょく『現代思想』に登場して難解なことを書いている。哲学と数学、特に圏論的論理学の二刀流的な人らしい。見習いたいものである。『圏論の歩き方』の記事は数学的に難しかった。

 で、本論考はPancomputationalism(汎計算論)とか情報論的世界観というのを提示している。汎計算論というのは宇宙の活動はすべて計算であるという話である。これは捉え方の問題だと思うが、しかし数学的な意味での計算になっているというより強い主張もできる。これは「物理的チャーチ=チューリングのテーゼ」というらしい。おもしろい。情報論的世界観というのは、諸学問がどんどん情報を中心に据えるようになってきている状況を表している。

 他にもプロセスとしての計算とかアルゴリズムの定義とか、おもしろい話題がたくさん。

 本特集の中で最もわたし的に興味のあるテーマだったが、短いので萌芽的なものでしかなく残念である。もっと数式を使って丸山先生の全思考を知りたいところ。と思っていたら青土社から丸山先生の本が出るらしい。『現代思想』の記事をまとめたものかもしれないが、数式を使った本格的なものかもしれない。楽しみである。

www.seidosha.co.jp

近藤和敬「計算と相互行為 特異性、共通部分、条件的なもの」

 やばい! ぜんぜんわからなかった!

 主にフランスの数学の哲学の話である。フランスの論理学者を研究する者として知っておくべきなのだが、わからん。まあジラール先生はフランス・エピステモロジーは眼中にないのかまったく言及していないのでとりあえず大丈夫だが。

 言葉の定義とか議論の具体例がないのでわかりづらい。予備知識も過度に要求されている感じである。無知なこっちが悪いのだろうか。もうちょっと噛み砕いて書いてくれてもいいんじゃないか。

今回のまとめ

 哲学が強めだった。