曇りなき眼で見定めブログ

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ジラール主義者が読む『現代思想 〈計算〉の世界』その2 河西棟馬、木原貴行、渕野昌

 ↓これのつづき。

cut-elimination.hatenablog.com

 ↓これの記事を順番に読んでいくシリーズ

 今回の3つの論考はどれも大変おもしろかった! 私の興味のど真ん中の計算機の歴史と数理論理学の話である。

河西棟馬「「計算」概念の多元性 コンピュータ・サイエンス形成期を中心に」

 技術史が専門の河西先生の論考。コンピュータ科学の初期の学者が計算の概念をどう捉えていたかが論じられている。

 工学的な考え方をする人と論理学・人工知能研究畑の人とで計算やコンピュータの理解は微妙に違ったらしい。前者はハードウェアとしての側面を重視し、後者はソフトウェアとか理論の面を重視した。歴史的にはコンピュータはハードでしかなかったが、プログラミングが複雑化するとともにソフトウェア科学の需要が高まったという点も指摘されている。

 それとなるほどと思ったのが、初期のコンピュータ研究においてチューリングの理論はそれほど影響力を持たなかったとのこと。万能チューリングマシンのアイデアがプログラム内蔵方式のコンピュータのもとになったともいわれるが、当時のコンピュータ研究者はフォン・ノイマンを除いてチューリングの論文を読んでいなかっただろう、とあった。一つ前の渡辺先生の論考にもうっすらとチューリングが影響を与えたというようなことが書いてあったが、やや不正確ということになる。

木原貴行「数学における《計算可能性》の厳密化、抽象化、そして発展」

 木原先生は数理論理学者で、若いのに博学な人というイメージがある。講義資料をたくさんアップしていて助かってます。

 本論考は難しかった。計算可能性数学のいろいろな研究が物凄いスピードでまとめられていく。数式を使わないようにしているようだけど、私には逆に難しかった。定義なんかも端折られている。

 しかし20世紀のいろいろな計算可能性についての研究がトポスによって統一的に扱えるんでないかという話、および構想はおもしろかった。トポスの威力というのはまだまだ未知数である。私はよく知らぬが哲学的にも興味深いんじゃなかろうか。

 ジラール先生の名前も登場した。1972年のシステムFの研究についてだった。これはフランス語の論文なので私は読んでいない。自然数上の部分同値関係の圏でシステムF意味論を作ったとあるがこれは知らなんだ。部分同値関係ってなんだろう。反射性と対称性のことだろうか。だとしたら部分同値関係の圏てのは整合空間のことだろうか。ちょっとよくわからなかったので詳しい文献情報が知りたいところ。

渕野昌「計算、証明、有限、無限」

 渕野先生は数学者だが哲学にも関心を持っておられる印象。歴史にも造詣が深い。

 本論考は渕野先生のホームページに完全版があってそちらを読んだ。

https://fuchino.ddo.jp/misc/computation-2023-x.pdf

 数式の分量も難易度も私にはちょうどよい論考であった。計算について公理的集合論の観点から論じている。

 この場合、物理学的現実を見ているときに有効な桁数の小ささと、物理学やその背後にある数学での理想化された無限桁小数表示としての実数の関係を、どう考えるべきなのか、数学での連続体は方便に過ぎないのか、それとも物理的実存の背後に、ある種の極限として控えている何らかの実体と考えるべきなのか、後者だとしたら、その実存は古典的な数学で既に必要なものはすべて捉えきれているのか、それとも集合論的数学で初めて見ることができるようになる数学的現象が、実は、物理的な現象にまで影を落している可能性もあるのか? など、このことは、少なくとも、数学、数理哲学、科学哲学の視点から見て、非常にエキサイティングで、重要にも思える問題たちに、連なっているようにも思える。

おっしゃる通りである。

 ちょっと違うかもしれないが、グロタンディーク宇宙というのが最近の数学、特に圏論ではよく出てきて、これをちゃんと議論するには到達不能基数の存在公理が必要になるらしい。圏論というのはもとはめちゃ抽象的な数学だが最近は実用性が出てきている。集合論的数学のレベルの議論が圏論みたいな実用的数学に必要になるというのは哲学的におもしろいかもしれない(グロタンディーク宇宙がどれくらい実用的かは知らないが)。

 もう一つ、雑誌では削除されてしまったスピードアップ定理の話も、前からおもしろいと思っていた。つまり公理の追加は証明できる命題を増やすだけでなく、もとから証明できる命題の証明を計算的な意味で簡単にするかもしれないのである。これが持つ哲学的な意味とは何か、興味深い問題である。先にスピードアップした簡単な証明が見つかることでもとの体系でのちょっと遅い証明が初めて見つかることもあるらしい。おもしろいなあ。

 公理的集合論とか巨大基数公理とかね〜興味あるんスよ。難しそうだから勉強できていないが、ちゃんとやりたい。哲学的論理学者たちは証明論とか非古典論理に興味を持ちがちなのだが(特に日本では)、集合論こそ無限とか独立性とか哲学的問題の宝庫だと思う。

 ↓渕野先生による公理的集合論の入門解説あり。

今回のまとめ

 どれもおもしろかった!