曇りなき眼で見定めブログ

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ジラール先生の謎の論文「マスタード・ウォッチ」について(読解編)

 ↓これの続き。

cut-elimination.hatenablog.com

ランガールことジラール先生の「マスタード・ウォッチ」本編を読んだ。4ページだし英語なのですぐに(ある程度)読めるが、ちょっと私の知らないロジックの難しい話題も出てきた。まあそれはジラール先生が批判しているロジック研究手法であって私はジラール先生の研究ばかり追いかけているので知らないのも無理はない(ダメだけど)。

 大変おもしろく、そして読みようによっては辛辣な文章である。

 マスタード・ウォッチとは、内部の隙間にマスタードを貯えた懐中時計である。

 前回訳した文章からも伺えたが、この風刺文はクリプキ意味論を使う様相論理と可述性のような論理のメタ的な制限を考える研究をターゲットとしている。

 様相論理は次のように批判される。時計というのは論理を象徴していて、普通の時計を古典時計と呼ぶ事で古典論理を示唆する。そして内部にマスタードを入れる事でマスタード壺としても使えるマスタード時計は、オペレータを追加する事で表現力を増強するタイプの非古典論理を茶化したものだろう。マスタード時計はマスタードを入れなければ普通の古典時計としても使えるとか当り前な事を保存拡大とかを使って仰々しく示す事で風刺している。

 もう一つ、時計の指す時間を知るのに別のメタな時計が必要だ、という当り前の事を述べて論理の階層を調べる研究を茶化している。その際に可述的な階層と非可述的な階層が出てくる。この辺の話は私には解らない。

 恐らくジラール先生は、論理学は時計を調べる学問なのに、時計にマスタードを入れる事とかメタな時計とかに拘るのは無意味だと言いたいのではなかろうか。線形論理は論理を分解する論理だと言う。時計を分解して調べる研究こそが論理学なのだろう。

 参考文献が実在するのかどうかが分らなかった。