曇りなき眼で見定めブログ

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【成田悠輔-○-□-批判 その2】メタファーとかレイヤーとか

 ↓こんなのを書いたが、その前後からTwitterなんかでネチネチと成田先生批判を書いている私である。

cut-elimination.hatenablog.com

この記事はいくつかの動画を見て書いたのだけれど、もうちょっと纏った文章を読んだのでそれを受けてまた書く。こちら

https://www.minnanokaigo.com/news/special/yusukenarita/?page=1

なんか介護のウェブ記事のインタビューらしい。なんでこんな所にまで出ているのだろう。成田先生、時間が有り余っているのだろうか。私の指導教員の先生なんかを見ていると、とてもそんな暇があるように思えないから不思議である(まあ私のような愚学生に手を焼いているからというのもあるだろうが)。

 こんな事が書いてある。

みんなの介護 成田さんと言えば、『葉隠』の「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一節を持ち出して、「人は適切な時期に”切腹”すべし」という発言が物議を醸しています。発言の真意をあらためて教えてください。
成田 あれは「言ってはいけない」ことでした。しかし、古い格言にあるように「言ってはいけないとされていることはだいたい正しい」とも思っています。

私の経験では「言ってはいけないとされていることはだいたい正しい」なんて法則があるようには思えないのだがまあこれは良い。

みんなの介護 ”切腹”や”自決”とはどのような姿をイメージしての発言だったのでしょうか?
成田 ”切腹”や”自決”は議論のためのメタファーで、肉体的なものだけでなく、社会的・文化的なものも含めた色々な形があり得ます。具体像にはグラデーションがあり、大きくわけて3つのレイヤーがあり得ると思っています。
一番過激でラディカルなものは、三島由紀夫がやったような文字通りの切腹です。三島由紀夫の最期の選び方はシンボルとして半世紀経った今でも生き続けています。そのこと自体が人の生き方の本質を問いかけていることを示しています。三島が自決したのが45歳だったことを思い出すと、これは高齢者だけでなくあらゆる世代に突きつけられた問いかけです。
もうちょっとラディカルさを抑えたレイヤーでは、例えば尊厳死の解禁や一定以上の延命措置への保険適用を見直すことなどが考えられます。
多くの国で、自力で食べ物を飲み込むことができなくなるなど、移動・排泄・食事・更衣・洗面・入浴などの日常生活動作が一定以下になった場合は公的医療保険の適用を弱め、公的介護保険に徐々に移行する仕組みになってきています。これが公的負担を抑える役割を果たしています。もちろん実際は医療→介護という単線的な移行ではありませんが。
自費で延命することはできます。しかし、子どもや未来への投資を削ってまで一定以上の延命を公的に促すのは慎重になろうということなのでしょう。健康・介護保険への公的支出が膨らんでいる日本(OECD 2020)ではこういった議論が特に重要なんだと思います【参考文献 OECD (2020), Long-term Care and Health Care Insurance in OECD and Other Countries】。
そして一番穏健なレイヤーは世代交代です。次の世代にちゃんと活躍の場所を譲っていく仕組みをつくる。例えば一定以上の年齢になったら選挙権や被選挙権を返上する。カナダには75歳未満の人しか国会議員(上院)になれない制度があります。ブータン・イラン・ソマリアなども似た仕組みを持っています。
選挙権の年齢制限は実現していないと思いますが、アプリ投票の導入とか、現役世代の投票を義務にするとかいった方法で実質的に似た効果を持たせている国はあります。ブラジルでは70歳未満は義務投票、70歳以上は義務ではない任意投票になっています。
あるいは、残りの平均寿命に応じて票や影響力を重み付ける仕組みにする。そんな方法があり得るのではないでしょうか。
今でも免許返納の流れがありますし、定年制度がある。それと同じことが選挙権や被選挙権に起きても不思議ではありません。それは制度の問題であると同時に、価値観の問題だと思っています。
三島由紀夫的な切腹から制度・価値観の世代交代まで、レイヤーがある

みんなの介護 あの過激な発言もそのようにレイヤーを分けていただくと納得できます。「価値観の問題」についてもう少し教えていただけますか。

「メタファーではない」と言っている動画もあったので、成田先生の中で議論のブレはあるようである。取敢ず今回はこの記事の内容に即して書く。

 この3つのレイヤーなるものが一つの話の別側面のように全く思えない。つまり、全然違う3つの主張を一つのメタファーなるもので表現してしまっていて、それが先述のブレに繋がっているように思われる。

 で、いちばんラディカルなレイヤーはメタファーではなくストレートな表現に思える。このレイヤーで理解するのならば「メタファー」という言い訳じみたものは通用しまいよ。

 そして選挙制度の改革とか世代交代とかとかっていうのは自決とか切腹と全く関係ない制度の話であって、メタファーとして失敗している。

 なんか「レイヤー」とか言われると賢い事を言っているように思えるが、「切腹とはなんだけしからん」と言われたら「いやそうは言っていなくて」という逃げを用意しているようにも思えるのだが。で、まんまとインタビュアーの人も「あの過激な発言もそのようにレイヤーを分けていただくと納得できます」と言ってしまっている。「全く別の話を一つの表現に込めました」という告白のどこに「納得できる」要素があるというのか。ラディカルなレイヤーを信じるのならばそれはメタファーではないからインタビュアーは納得するべきではないし、穏健なレイヤーならば「なんで切腹とかいう表現にしたんだろう?」とますます疑問を募らせるべきである。

 やっぱり成田先生はそれほど考えて発言している訳ではない、ましてや研究成果として老人は集団自決すべきと言った訳ではないのだなあ、とますます判明してしまった。

 この後のインタビュー記事は、情報商材みたいなつまらない意識高い系の話が続くのでこのへんで。成田先生は経済評論家の池戸万作先生に「情弱ビジネス」と言っていたが、ご自身も情弱ビジネスに利用されているという事に、まさか気付いていない筈はあるまいのでおかしかった。

 

 ↓次はこの本を読んで書きます。ちょっと読んでみて、最先端の研究者ほどすぐに成果が出る研究ばかりやっていて視野狭窄になってないか、と感じた。

 ↓なんじゃこの本。