曇りなき眼で見定めブログ

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【反出生主義】ベネター『生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪』を読んだのでまとめと感想

 前提として私は鬱傾向にあり治療中であるということを押さえておかねばならない(そのせいで久しぶりのウェブログ投稿である)。反出生主義に同意するかどうかというのはその人の精神状態がどうしても関わってしまう。私みたいに病んでネガティヴな人間は人生を悲観的に捉えがちでそのために「生れてこなければ良かったな〜」とか考えがちである。というわけでけっこうバイアスがかかったうえでの書評。

はじめに

 読んだのは南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネター先生(以下:ベネター)の『生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪』という本である。"Better Never to Have Been - The Harm of Coming into Existence" というのの邦訳。訳者はギシリア哲学の研究者(小島和男・田村宜義両先生)で現代倫理学は専門外なので注や解説がまったく充実しておらず翻訳で読むメリットは特にない。邦訳で読んだのは私の英語力の不足のせいである。御免。

 本書は分析哲学的な倫理学の本である。その方面の反出生主義の基本文献であると思う。反出生主義というと深遠なテツガクっぽさがあったりフェミニズムなんかと結びついた過激思想という面もあったりするが本書はもっと硬派でシンプルな本である。私は論理学や論理学の哲学が専門だが分析哲学や現代哲学一般の本もそこそこ読んでいるので議論を追うのはそれほど難しくなかった。難しいところもまあまああったが。

ベネターの主張

 ベネターの主張は章ごとに明快であるのでそれを書き出しておく。ただし4章は難しかった。ただ重要なのは2章と3章である。

  • 1章は序論なので置いておいて、
  • 2章の主張は存在してしまうことは常に害悪であるということ、これには非対称性に基く論証というのをしている。
  • 3章は存在してしまうことがどれほど害悪であるかを述べている。存在してしまうことは単に害悪であるだけでなく物凄く悪い。
  • 4章は難しくてよくわからなかったのだが、子どもを作る義務などなくむしろ作らないようにする義務がある、という主張である。
  • 5章は中絶の議論である。子どもができたら(妊娠初期に)中絶すべきだと主張する。この章もまあ難しい。
  • 6章は人口について。人類の理想的な人口はゼロ、すなわち人類は絶滅すべきだという話である。しかもなるべく早いうちに。
  • 7章はまとめで、哲学的というよりもっと常識的な予想される反論に対して再反論している。宗教的見解への反論など。

2章の議論

 2章は非対称性という独特の仕掛けを使った議論が展開される。というのはこんな話

  • 苦痛が存在しているのは悪い A
  • 快楽が存在しているのは良い B

というのはもちろんである。これは対称的だ。しかし苦痛や快楽が存在していないときには次のように非対称になる。

  • 苦痛が存在していないことは良い C
  • 快楽が存在していないことは、奪われる人がいないに場合に限り、悪くない D

このような非対称性があることを正当化するためにベネターは、4つのまた別の非対称性を持ち出して、この非対称性が4つの広く受け入れられている非対称性をよく説明している、という論法を用いる。これについては詳細は避ける。Dが独特な点だがむしろCが怪しいような気もする。「良い」ではなく「悪くない」ではないのか、と。ここが味噌で、我々は例えば飢餓に晒される子どもがいなくなることを結構なことと喜ぶが(C)、幸福な人が生れないことを悲しむことはそれほどない(D)*1。これが非対称性である。本記事の最後に書いた思考実験も参照。

 存在してしまうことが害悪であるというのは、AよりCが良いのは当然として、Bと比べてDが悪いわけではないということによる。苦痛があるケースでも快楽があるケースでも、存在しないことが悪くなるということはない。快楽の総量が苦痛の総量を上まわっていれば生れて良かったとなるのではないかというのが反出生主義に対するよくある反論だが、これは非対称性をよく理解していない。ベネターは、存在してしまうことは常に害悪であるという。苦痛が一切存在しない人生ならばAとCが同じになるが、そんな人生はないだろうということだ。

3章の議論

 2章の議論に同意できないにしても、3章の議論を読めば反出生主義に同意するかもしれない。また2章では存在することは害悪だと述べたが、3章では存在することはとても悪いと述べる。

 ベネターは、心理学の研究成果を援用して、人間はけっこう楽観的だということを述べる。これをポリアンナ原理という。自分の人生は良いものだと述べる人は多いが、実は実際以上に良いものだと思っているだけだという。私は心理学に全く詳しくないので、この議論が正しいのかどうかはよくわからない。進化論的に人生は良いものだと思っていないと子作りに向わないというようなことも書かれていたが(79ページ)、悲観的であったほうが危険に備えることができるようにも思う(というのも原注では触れられているが)。

 しかし、続いてベネターは人生の質に関する哲学的な説それぞれに沿って人生の悪さを論じているのだが、ここはなかなか説得的である。人生の良し悪しの基準として主に快楽説と欲求充足説と客観的リスト説というのがあるのだが、どれも楽観的なバイアスを免れていないのである。欲求充足説というのは欲求が満たされることが人生における良いことだという説だが、欲求が満たされるのは一瞬でまた次の欲求が生じるし、ほとんど常に人は不満であるということだ。これはそう思う。客観的リスト説というのは良いことの客観的リストを(哲学者があれこれ考えたうえで)提示してそれが満たされている人生は良いとする説だが、このリストがそれほど大したことはないのではないかとベネターは述べる。ここで永遠の相のもとでという哲学史上の有名フレーズを持ち出しているのだが、これは宇宙の規模からすると大したことないというクトゥルフ的な話のようだ。哲学の論証としては大味だが、私は面白いと思う。

 反論として、「良いと思っているだけで本当は良くない」というが良いと思っていればそれで良いのではないか、というものが考えられる。これは訳者解説でも触れられていた。しかし、私見だが、これはまだ反論として不十分だと思う。倫理学的に考えるならば良いか悪いかを論じるべきで、「良いと思っていればそれで良い」というには、「良いと思っていることは確かにそれだけで良いのだ」という更なる議論が必要であろう*2

 ベネターは本章の最後で、病気、災害、飢餓、戦争など世界は苦痛に満ちていると述べる。ううむ。

6章の議論

 人類は絶滅したほうが良い。これは反出生主義からしたらまあ当然の結論である。ここでベネターは、それがどのようにして、どれくらいのスピードで果されるべきかということを論じる。(もちろんすぐに全人類が消えるのは難しい。あとベネターは自殺を推奨しているわけではないしもちろん殺人などもってのほかである(中絶は勧めるが)。)

 絶滅は早ければ早いほうが良い。ちょっとこの辺りの議論も難しいところがあったので一部だけ抜粋する。要するに、絶滅が長引けば長引くほど存在する人類の総量は増えて害悪を被る者の数が増えるので良くないのだ。

 また、私が気になっていた点なのだが、現代日本が遭遇しているように、人口の減少は労働人口の減少などの問題を引き起こす。つまり、絶滅の過程の終りのほうに存在する人ほど苦痛が増えるのではないか、この点も触れられている。ベネターは、人類はいずれは絶滅することは決まっていると考えている。ならばそれは早いほうが良いではないか、これがベネターの議論である。なかなかシンプルで面白い。しかし、人類は本当に絶対にいずれは絶滅するのだろうか? 反出生主義が浸透せず、どんな社会問題も環境問題も解決して永続するということはないのか? 私にはこれは時間論とかちょっと形而上学のヤバイ議論に踏み込んでいるように思えた。

7章の死と自殺についての議論

 7章ではベネターの反出生主義に向けられるありがちな批判に反論している。特にここでは「反出生主義は自殺を推奨するのか?」という批判への反論を書いておく。

 ベネターは決して自殺を推奨しているわけではない。死に関する議論として、死は害悪ではないというエピクロス派の議論が取り上げられる。死の瞬間は一瞬で、死ぬ前も死んだ後も死の苦痛というのはない、というのがその主張である。ベネターはいろいろと反論しているが、要するに死は害悪ではない一方で良いものでもない。存在することが良いことだと考えないということは、酷い人生ならば自殺したほうが良いということには同意せざるをえない、とベネターは述べるが、やはり残された家族や友人の苦しみとも比べるべきだという。けっこう常識的な結論である。

おもしろい思考実験

 分析哲学は思考実験を多用する。非対称性を擁護する議論の中で出てきた4つの非対称性の一つとしておもしろい思考実験があったので書いておく。

…苦痛に彩られた人生を生きている異国の住民のことを思うと確かに悲しくなる訳だが、人の住んでいないある島のことを耳にしても、もし存在していたらその島に住んでいたであろう幸福な人々のことを思って同じように悲しくなったりはしない。同様に、火星に住んでいない人のことを思って本当に悲しくなる人は誰もいないし、そのような可能的な存在者が人生を楽しめないことを悲しく感じる人は誰もいない。(44ページ)

 

*1:ここはポジティヴは人は同意しかねるのかもしれないが、非対称であるということは確かであるように思われる。

*2:なんかわかりにくくてすみません。