曇りなき眼で見定めブログ

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アニメ『あしたのジョー』『あしたのジョー2』を見たぞ!

 不朽の名作である。原作は何度も読み返すほど好きだが、アニメをフルで見たのは初めてだった。

 ↓『あしたのジョー』第一話。

 ↓『あしたのジョー2』第一話。

 出崎統監督のアニメをあまり見ていなかったのでちょっとずつ見ていきたい所存。

あしたのジョー

 『あしたのジョー』はたぶん出崎の最初の監督作品である。出崎は二十代だった。まだハーモニーなどの出崎演出と呼ばれる表現は現れない。また後の出崎作品と異なり出崎自ら絵コンテを担当した回が少ない。しかし試合のシーンで極度に抽象的な絵になったりするのはトリッキーでおもしろい。こういうのも出崎テイストであろう。

 作画は私の感覚だと「古い」感じがする。線が太く劇画の影響がある感じ。漫画の歴史において絵は劇画調のリアルから細密なリアリティに進化していくが、アニメもそうだと思う。その変革の前という感じ。

 本作は音楽が良い。特に力石のBGMが印象的だった。また主題歌も有名である。寺山修司と尾藤イサオは偉大である。

あしたのジョー2

 出崎統の進化、作画監督杉野昭夫の進化、アニメの進化を感じる。出崎演出は完成しており、作画も独自の鬼気迫るリアリティを獲得している。

 撮影や美術も光や影を上手く表現している。特にジョーが紀ちゃんに「真っ白な灰になりたい」と打ち明けるシーンなんかが良い。光と影が破滅に向うシリアスな雰囲気を見事に表している。こうした表現力は、デジタル技術と高い画質を獲得した現代のアニメでは逆に低くなっていると感じるものである。

 光と影の表現は、ラストの燃え尽きたジョーの絵が特に有名である。原作では文字通りの真っ白に近いものにしているのだが、本アニメでは黒い空間に縦に光が走ってその中にジョーがいる。この印象の方が強い人も多いと思う。

 原作はこのラストではジョーが死んだことが示唆されるが、死んではいないという解釈も根強い。本アニメではジョーは死んだようでもあるし、試合後に旅に出たのだという風にも読み取れるようになっている。後者は出崎なりのジョー解釈らしい。先ほど「破滅に向う」と書いたが、そうでもないのかもしれない、

 最後に私なりに分析した出崎演出のおもしろさを語っておく。葉子がジョーに「好きなのよ」と告白するシーンがある。葉子の「ホセと闘わないでほしい」という願いを退けてジョーが部屋を出ていき、葉子を残してジョーはドアを閉める。そのとき葉子はドアに向って倒れ込むのだが、ここで俯瞰ショットが入る。画面の四方の端に影がかかっていてカメラは徐々に引いていく。このカットで葉子は動かないのだが、葉子がずっと手に持っていたコートが手から落ち、そのコートがゆっくり落下していく部分にだけ動きがある。葉子の苦しみが想像されるカットであり、それを葉子の表情や動きでなく影や落下するコートに語らせるのがおもしろい。コートは何かの象徴というより、時間がゆっくりと流れているという符牒だろう。葉子の苦しみが時間を遅くしているのである。コートのみが動くことで焦点が定まる。その空間の雰囲気と(押井守が出崎を評してよく言う)主観的な時間の流れが画面内にあり、それが直接的な描写以上に雄弁なのである。

まとめ

 みんな出崎アニメを見よう!

 私は次は『おにいさまへ…』を見る予定。