曇りなき眼で見定めブログ

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【成田悠輔-○-□-批判 その7】『22世紀の民主主義』という(たいして面白くない)本を(我慢して)読む その4(最終回)

 ↓これの続き!

cut-elimination.hatenablog.com

成田悠輔『22世紀の民主主義』SB新書。

最終第4章につっこみを入れていきます。

 どうも前2章は乗り越えられるべきものであまり意味がなかったようだ。批判して損した。というかやはり本書はもっと構成を考えるべきではなかったか。もっと深く論じるべきトピックがたくさんあるのに紙の無駄みたいな部分が多い。

アルゴリズムってなんやねん

 4章ではアルゴリズムという言葉が何度も何度も出てくるのだが、アルゴリズムという語の意味は序章で「編集注」として説明されているのみだった。それで良いのか、と思った。語の明示的な定義がない。途中で出てくる目的関数という語はまったく説明がない(私は大学院でディープラーニングの演習をやったことがあるのでちょっとわかる)。本書の読者のレベルならそれくらい解ると思ったのか。

 そのアルゴリズムなのだが、人びとの無意識をデータとして集めてそこから最適な政策を決定するらしい。そんなアルゴリズムをどう作るのか、まったくわからない。アルゴリズムの内実が説明されないのである。未来にはそんなアルゴリズムが開発されるのかもしれないが、ここは成田先生の専門なので、成田先生の頭の中には萌芽的なアイデアがすでにあるのかと思った。ないのだろうか。説明しても無駄だと思っているのか。本書の読者のレベルじゃ説明しても解らない、と。

 兎に角アルゴリズムアルゴリズムと連呼する割にどんなアルゴリズムか全く見えてこないので議論を真剣に追えない。取り敢えず機械学習とか画像のラベル付けの話は出てくるので、そういうのの延長でできると思っておけばよいのか。わからん。

 ちなみに私は論理学が専門で、アルゴリズムという言葉の定義にはうるさい。

データをどう集めるのか、課題をどう発見するのか

 一体その無意識のデータというのをどうやって集めるのか。監視カメラのデータを使うとかテレビの上に器具を取り付けるとか書かれているのだが、いやいや、そんなの嫌でしょう。自分の無意識なんて他人に知られたくないのだが。しかも政府(?なんてものがあるのか分らないが)になんてもっての他。

 大事な話や決定的な態度は監視されていない所で披露するはずである。そして監視されてもよい人だけがデータ集めに参加してしまってデータが偏る。つまり質の良いデータを集めることなんて出来ないように思われる。これもアルゴリズムとやらが解決するのだろうか?

 そしてそこからどうやって偏りなく課題を発見するのだろう。ここは読んだ感じではアルゴリズム頼りのようでもそうではないようでもある。

 また、無意識と意識で求めるものが違ったらどうするのだろう。そもそも「無意識」という言葉も当り前のようでいてよく分らないものである。

 (統一地方選の投票に行ってきたので追記)「本当はこの人の政策が合っているかもしれないけど意思表示として別の人に投票する」みたいな事はけっこうあるんじゃないかと思う。無意識データで自動化するとこれができなくなるが悪影響はないのだろうか。

信頼とセキュリティの問題

 成田先生の議論の眼目は、無意識データに基くことで民意の収集が細やかになるのに加え、政策決定のプロセスを自動化できるという点にあるようだ。だったらアルゴリズムとか言わず「コンピュータによる政治の自動化」とか言って押し出せば良さそうであるが。アルゴリズムとか難しい言葉を使えば読者がコロッと騙されると思ったのか!

 で、この自動化によって流動的な政治ができるのが良いのだろうが、どうもそれだけだと浅い気がする。今の民主主義で政治家に投票するのは、その政治家を信頼して委ねるという側面もあるので。要するに、そのアルゴリズムを誰が作って誰が選択するのかという問題が依然として残るのである。勿論いまの選挙でも誰が選挙を管理するのかという問題はあるが、それをマスメディアとかが監視していて、多分だれかが監視しているだろうと薄らみんな思っていて、という信頼の連鎖がある。アルゴリズムの制作と管理、極々個人的なデータの使用というより複雑なシステムではどうなるか。これについては明らかに議論が欠けていた。

 アルゴリズムを公開すると書かれているが、公開されたからって結局SNSの熱狂に左右されたアルゴリズムが選択されてしまったら意味ないし。また公開されているアルゴリズムが実際に使われているかという点も信頼による。

 アルゴリズムの制作・選択プロセスで、結局は2章や3章で問題にされたシルバー民主主義や足の引っ張り合い民主主義の介入を排除できないんじゃなかろうか。

 セキュリティの問題もある。先述の無意識データが漏洩したら大変だし、アルゴリズムが改竄されたら大変だ。ちょっとだけブロックチェーンで管理すると書かれていたが、ブロックチェーンを魔法かなんかだと勘違いしていないだろうか。ブロックチェーンこそある程度の数を握ればハックされてしまうシステムである。適切なインセンティブを設定する必要があるが、マイニング(かどうかわからんが)参加者によって歪められた政治になってしまうかもしれない。

 成田先生には是非ゼロトラスト全自動民主主義のシステムを考えていただきたい。

 というかそもそも、そこまで大量のデータを渡してまで民主主義を「最適化」して欲しいと人民が思っているかどうか、という話はある。飽くまで最適化を望んでいる人向けの民主主義であって、万人のための民主主義ではないのか、とか言ったら民主主義じゃなくなるが。

政治家がネコになる

 政治家がネコになるという副題にもなっている話はもっと訳が分らなかった。政治家というのは所詮はアイドルとかサンドバッグだし意思決定は自動化されるのだから、政治家は政策のシンボルとしてネコでもゴキブリでもよいという話らしい。

 アルゴリズムの内実が分らないので、政治家の役割として何を想定しているのかがまず分らない。政治家が叩かれるのは立法に関わるからであって、アルゴリズムとなんの関係もない動物がなんでサンドバッグとして叩かれなきゃならんのか、とか。

 政治家はキャラでよいというのなら人間こそもっともキャラが濃いのだが、なんで成田先生は執拗に動物にこだわるのか、とか(ウケると思ってるのだろうが)。まあしかし動物が政治家になったってよいということを強調するためにあえて拘って見せているのだろう。

 種差別っぽい議論を出して動物も政治家になっておかしくないと述べているが、動物は別に政治家になんかなりたくないだろう、とか。

 実際に選挙に出てかなりの票を集めた動物の例がいくつか挙がっているが、その後の政治の実践で成田先生が言うような役割を果したのかどうか何も書かれていない、とか。

 なんというか、地道な議論の結果として突飛な結論に至ったら知的刺激があるが、突飛な話の連続で突飛な結論に至っても「ま、なるわな」としかならず面白くない。

結論

 成田先生が現代日本の何を問題視しているかはよく解った。しかし解決策が浅い感じがした。

 成田先生の発言を問題視して始めたこの批判シリーズ。本当はマトモな学者なのにパフォーマンスとして変な事を言っているのかと思ったら、学者としての能力も疑問符が付く内容の本だった。それくらい論理とかデータとかエビデンスといったものを軽視して議論が構成されている。実際は経済学や人工知能の一流学術誌に論文が掲載されるような偉い学者らしいのだが、本書のような飛躍は専門の研究では起きていないのだろうか。

 まあ新書、それもSB新書なんてこんなもんなんでしょう。

 この「学者なのに論文の外ではめちゃくちゃ言ったり書いたりする現象」こそ興味深いテーマである。

付録

 この本は読めたものではないので買ってはいけません!(富野由悠季風)

 代りに当シリーズの記事をトゥイッターでシェアしてくださったデビット・ライスことベンジャミン・クリッツァー先生の本をオススメしておきます。

 私はまだ読んでいないけど近いうちに読んで感想を書きます。