曇りなき眼で見定めブログ

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ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ八・第3章(復習編)反射的表象体としてのVTuber動画配信(?)

 VTuberについて私は詳しくないのでいろいろ話を聞いた。

 予習編で書いたが、門外漢の私からすると、VTuberの特徴は、それ自体がそこにいる感じ、そこに映っている絵についてそれがそのキャラクターであるかのように想像すること(想像活動のオブジェクト)、であると思っていた。しかしいろいろ教わってわかったのだが、VTuberの動画や配信にもいろいろな形態があり、そのつどちょっと違った「ごっこ遊び」が行われているようだ。

 

 例えばゲーム配信では、普通の人間のように配信が成立しているということのほうが凄い。一般にゲーム配信では動画全体がゲーム画面で端っこに配信者の顔が映っているということがある。以下のエルフのえるさんのAPEXプレイ動画配信は形式的にはそれと同じである。

www.youtube.com

これは、画面全体を想像活動のオブジェクトとし、あたかもこれが普通の人間のゲーム配信の画面であるかのようにしている反射的表象体なのではないかと思う。自己言及的ではないが。どうでしょう? VTuberのゲーム配信と生身の人間のゲーム配信との違いは、その絵のキャラクターがゲームをプレイしているように見せているという点である。そして画面を一般的なゲーム配信のそれと同じにすることでそのような虚構を命じ、しかもその画面自体もオブジェクトとなっている、というのが私の考察である。

 また、ゲームの世界も虚構世界であるから話がややこしい。虚構の度合い、あるいは現実世界からの遠さの度合い(デイヴィッド・ルイスみたいだが)があるとして、APEXの世界のほうがVTuberの世界よりも遠いのかもしれない。これも興味深いテーマで、予習編の『コジコジ』の例もこれであろう。

 

 さて、以下のようなものは(切り抜きで申し訳ないが)、こういう世界が存在していてそれを映像として撮っているように感じられる。

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こうなってくると普通にバラエティ番組に似ている。これはそういうバラエティのように現実の人間のやりとりを映したものであるかのように想像させる反射的想像体とも考えられるのかもしれないが、そこまででもないかもしれない。

 

 私が考えていた典型的なVTuberの動画は以下の夕陽リリさんの配信ようなものである。配信というのも大きい。

www.youtube.com

この部屋が細部まで作り込まれていないのが良いと思う。向う側に世界があってそれをカメラを通して配信しているようにも思えるのだが、同時に、またそれ以上に、この画面こそがVTuberの世界であるかのように想像されるのである。先程の卓球の動画はまさに映像のようであったが、こちらは演劇に近いかもしれない。想像活動のオブジェクトが目の前にあるからである。しかし演劇が想像を命ずる類の虚構とは違って、いわゆる二次元文化は、絵について、それが絵によってしか存在しえない何者かであるかのように命ずる。ちょっと形而上学とか存在依存の理論も援用して考えてみるべきかもしれない。

 なぜ私がここにこだわるのかというと、アニメなど二次元文化とシームレスなものとしてあったからこそVTuberは成立しているのかもしれないという、もっと一般的な二次元文化論への道が見えているからである。もしも絵についてそれがキャラクターであるかのように想像する(絵が想像のオブジェクトとなる)という文化がなければ(マンガやアニメはそういうものであると私は思っているのだが)、VTuberは映像にしか見えないか、人間が動く絵のアバターを使っているだけにしか見えなかったかもしれないのである。後者についてはそういう使い方をする人もいるだろうが、本格的なVTuberは人間がアバターを使っているというのとは違った想像、それ自体がそのキャラクターであるかのような想像に基いて成立しているようの思われる。