曇りなき眼で見定めブログ

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アニメ好きの三分類を提唱したい

 アニメ好きの三分類を提唱したい。すなわちマニア、オタク、サブカルの三つである。それぞれの定義はないのだがおおまかな特徴を箇条書きした。私自身はこのうちマニアに分類されるのだが、だからといって私の書き方がマニアに甘くなってしまってはよくない。頑張ってバランスが取れるように頑張った。ゆるしてちょんまげ。

 なんでこんなことを提唱するのかというと、最近アニメ好きの多様化を感じるとともに、ズレを感じることも多いからである。アニメ好きに向けたコンテンツなのに「あれ? なんか違うな」と感じたり。そういうのはアニメ好きを分類するとターゲットが自分に当てはまっていないのだ。こういうところの相互理解を促したい。ズレに対してギスギスするのではなくわかりあうのだ。また、若きアニメ好きに、アニメの楽しみ方にはいろいろな道があるということも示したいのよ。

 と聴こえの良いことを書いてきたが、以下に書いてあることはすべて偏見である。ウィキペディアに書いたら独自研究とか要出典とかいわれるやつだ。でもまあ、ね。

 

 

マニア

・アニメ至上主義

・アニメーションとしてのクオリティを重視する。技術論が好き。

・何故その作品がおもしろいと感じられるのか? を追求したい。

・アニメーターや演出家に詳しい。

・情報源はアニメスタイル

・その他、本やネットで調べ、歴史を遡って名作を見る。

・アニメーターMADを見る。

高畑勲富野由悠季出崎統押井守庵野秀明今敏が好き。

細田守新海誠がそこそこ好き。

ジブリ、TRIGGER、京アニ、BONSE、IG、4℃が好き。

宮崎駿が大好き。

湯浅政明を過度に神格化。

・好きな作品の原画に井上俊之本田雄がいがち。

・アニメ業界人が多い。

・オタクを見下しがち。東映動画虫プロについて偉そうに語りがち。

 

 

オタク(現代的な)

ライトノベル、マンガ、ゲーム、アニソン、二次創作、コスプレ、2.5次元など、複合的なオタク文化においてアニメを見る。

・キャラのかっこよさ/かわいさ、絵の綺麗さ、話のおもしろさや声優の演技を重視する。

・アニメを、映像作品というよりは、キャラクターを描くひとつのメディアとして見ている。作品として鑑賞するというよりは様々なメディア展開をイベントとして楽しむ。

・声優や絵師に詳しい。

・情報源はアニメージュなど。

・クールごとに新作を大量にチェックする。

細田守新海誠がけっこう好き。

ジブリ、シャフト、ufotable京アニMAPPAが好き。

宮崎駿が好き。

湯浅政明にちょっと引く。

・グッズを買う。

・好きなキャラを「推し」という。

・若い。

・「作画が良い/悪い」を誤用しがち。「作画崩壊」という言葉を使ってマニアを怒らせがち。

・ムーブメントをつくるのはオタクである。けっこう現代の文化や経済のカギを握る存在。

 

 

サブカル(古のオタク)

現代思想が好き、あるいは極度に嫌い。政治や社会問題に関心がある。

・解釈のしがいがあるかどうかを重視する。

・作品が持つ社会的・文化的意義を考察する。

・監督や脚本家に詳しい。実写映画もよく見てる。文学も読む。いろんなジャンルの漫画をよく読んでいる。

・情報源はユリイカ

富野由悠季押井守庵野秀明幾原邦彦新房昭之虚淵玄が好き。

細田守新海誠についてやたらと語りたがる。

・ループものが好き。

ジブリ京アニ、シャフトが好き。

宮崎駿が大好きなのに素直になれない。

湯浅政明の扱いに困る。

・おじさん。あるいは良い大学の学生。

・note書きがち。

オタク文化論みたいなものが好きだが、そこで論じられるオタク像はすでに古い。

 

 

 例えば映画や文学なんかとは違って「たくさん見ているライト層」のようなものがとにかく大きいのがアニメ好きの特徴と感じる。「ライト層」などという言い方は失礼かもしれないが、アニメに特化したファンではないということを言いたい。それがここでいうオタクである。

 90年代頃までは三者はもうちょっと一体となっていたんじゃなかろうか。世代じゃないのでよくはわからないが。インターネットの普及によって勢力図に変化があったりしたのだろうか。エヴァのヒットと深夜アニメのスタートも影響がありそうだ。

 数としてはオタク>>>>>>>>>>サブカル>マニアで、カネを落とすのもオタクがいちばん多い。必然的にオタク向けの作品が増えていく。しかし、歴史に残る作品はマニアにウケる作品であったりする。歴史的傑作と比較して遜色ない作品であると判断できるのは歴史を遡って見る人間だけだからだ。ただし実写映画や文学と比較できるサブカルの存在も重要である。つまり歴史的傑作や分野を超越した傑作は生まれにくくなるのではなかろうかとちょっと危惧している。アニメが刹那的にというか祭り的に消費されるばかりになってしまっては残念だ。

 大ヒットする作品というのは特にアニメ好きでもない層にヒットするものだが、それとオタク層の境界が無くなってきているようだ。オタクの人口は着実に増えている。ジャンプや名探偵コナンのような大手が子供向けだけではなくて明確にオタクにも向けてきている(そういう層を育成してきたジョジョとか西尾維新はかなり偉大だと思う)。おかげでマイルドにオタク向けな作品のヒットの規模は年々大きくなっている。しかし宮崎アニメのようなマニアもオタクもサブカルも唸らせて一般にもウケるようなものは現れにくくなるんじゃなかろうか。オタクと一般が一体化しつつあるのだから、ヒット作の性質も変ってきているのだ。

 オタク的な楽しみ方というか、アニメを語るということはすなわちキャラクターの心情を掘り下げたり二次創作的な想像をしたりというのが主流になってきている。これもいいのだがこれだけだと寂しいのである。もっと技術論的なのが増えてもいいかなあと思う。