ちょっとした思い付きです。
ネッカー・キューブというのは誰しも一度は見たことがあるであろう錯視図である。
表示されてるかな?
これは一つの平面図形が二通りの見え方をする、二通りの立方体に見える、という錯視である。一つの感覚入力から二通りのクオリアが生ずるとも言われる。目をちょっとずらさないと違う見え方をしないのでそうではないとも言われるが(鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』に書いてあった
)。重要なのは、
- 二通りの立方体のうち、自由にどちらが見えるようにも出来る。左下に向って出っ張った立方体Aにも、右上に向って出っ張った立方体Bにも、どちらの見え方にも自由に(ちょっと目を動かせば)替えられる。
- 二通りの立方体のどちらもが同時に見えるようには出来ない。
という点である。
これが線形論理の二つの連言&と⊗で表せるのではないかと思った次第。X&Yの素朴な解釈は「XとYを自由に選択できる」である。X⊗Yは「XとYが同時に起こる」である。とすると、「左下に向って出っ張った立方体Aが見える」をA、「右上に向って出っ張った立方体Bが見える」をBと書くと、ネッカー・キューブは「A&Bだが、A⊗Bではない」という状況なのではないかと。古典論理ではこれらの区別はなくA∧Bとしか書かれないが、これは上の箇条書きした二つの条件を上手く表現出来ない訳である。
まあだからなんだという程のものではないですが。しかし。線形論理が日常生活の推論や自然現象の記述に使われることはあまりないが、古典論理も人間のリアルな推論とは異なるということで関連性論理とかいろいろ提案される訳で、線形論理がなんらかの自然現象の記述に使われたって別にいいのではないか、と思う。