曇りなき眼で見定めブログ

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安倍晋三銃撃事件から見る日本のマンガやアニメ、そして北野映画(あまり真面目な記事ではないです)

 安倍晋三が銃撃された際の映像を見ると、明らかに警備がミスっている。その原因は色々考えられるだろうが、まあ日本では銃を使った襲撃は珍しいのできちんと想定されていなかったのだろう。そんな中、5ちゃんねるで以下のような証言がよく拡散されていた。

要人警護に詳しい警察関係者 
「あそこまで接近されているのは一つ厳しいところ、止められなくても誰かがとめにいっていてもよかった。銃で撃たれる想定の訓練はもちろんしている。 
ただ、今回のようにいきなり銃を取り出して撃つのは今までない。多くの訓練は思想をもった人間などが『安倍!』などと叫んで撃つといった想定が多い。 
今まで日本にいなかったタイプの襲い方だろうし、やはり、いきなりこういう形は厳しい」 

ソースはテレビ朝日のニュース記事のようだが、リンクが消えていた。しかしその後の訓練映像なんかを見ていても、どうも武器を持っているのに声で威嚇してくる犯人を想定しているケースが多いようだ。

 さて、日本のバトル・マンガなんかでは、叫びながら技を繰り出すシーンが多い。「うおおおおおお!」と言いながら剣を振りまくったり、技の名前を叫んだり。私はそういうのは緊張感やリアリティがないので良くないと思っている。マンガならばまだ文字なのでまあまだ良いが、映像化すると変に悠長になる。日本のテロ対策もこういう類の緊張感の無さがあったのではないかと思う。

 で、この種のことをブログで書くとついでに述べるのが中国アニメ「羅小黒戦記」の素晴しさである*1。このアニメでは「うおおおおおお!」や技名叫びがない。バトル・シーンは緻密に演出・作画され緊張感がある。

 押井守監督が『押井守の映画50年50本』という本で北野武監督の「その男、凶暴につき」について語っていたのだが、押井氏曰くたけしは既存の映画に対する疑問をそのまま映画にしているという。普段映画を観ていて「あそこはなんでこうしないんだ」と思うようなことを積み重ねた作品だというのだ。北野映画は銃撃する前に大袈裟な威嚇などしない。そんな事をする暇があったらもう撃っている。北野映画の独特の緊張感の源泉の一つはこれであろう。そして羅小黒戦記のMTJJ監督も、たけしと似たような疑問を日本のマンガやアニメに対して持っていたのではないか。

 今度『チェンソーマン』のアニメをやるが、同作は技の名前がほぼない。大袈裟なバトル演出もあまりないように思う。作者の藤本タツキ先生は北野映画のファンらしいから影響があるのかもしれない*2。リアリティのある映像化ができそうで期待してるます。

*1:今度テレビでやるよ!

*2:チェンソーマン』でただの民間人がヒットマンだったりする展開があってあれは「ソナチネ」っぽさを感じた。