先日『キネマ旬報』のランキングを見た。
私が推していた『THE FIRST SLAM DUNK』に11点しか入っておらず、私が軽く批判した『犬王』が11位に入っていて、まあ個人的には納得できない結果だった。あとめちゃくちゃ面白かった『RRR』の順位も低かった。
それはさておき、キネ旬に書くような評論家というのは、映像としての面白さとか斬新さとか出来の良さなんかよりも、現代社会を良き方向へと導くかどうかで映画を評価しているフシがあるなあと思った。「マイノリティの権利」みたいなものに言及している選評がやたらと多かったのである。マイノリティの地位向上というのは良い事だと思し、そういうテーマが感動を読んで良い作品になる事もあると思うが、映画一般がそれに一役買わねばならないとは思えない。誰か理由を教えてください。
対して、スラムダンクの11点のうち9点を入れていた小野寺系先生という人はなかなか見上げたもんであるなあと思った。で、普段どんな事を書いているのかとトゥイッターを見てみたら、なんかポリコレっぽい人であった。更に調べてみると、『BLUE GIANT』の批評も書いていた。
見てみたら、マイノリティ云々と書いていて笑ってしまった。映像の評価もそれなりに書かれているが、なんだか抽象的で、マイノリティほどは興味なさそうである(どのシーンのどういう表現がどう良かったのか、もう少し詳しく伺いたい。ネタバレ配慮だろうか?)。マイノリティについての記述を引用する。
だが宮本たちが、日本で生まれ育ち、母国で人種的マイノリティであることを経験してこなかったことや、人種についての歴史的な重圧や責任を背負っていないという状況から、その上でジャズの本質に迫り、アイデンティティをどうやって得ていくかについては、少なくとも本作までの内容では描かれていない。その意味で、“なぜジャズをやるのか”という問いに対し、“感情表現”や“熱さがある”という答えでは不十分ではないかという疑問がある。
何が不十分なのかが判らない。小野寺先生はジャズにもアニメ映画にも「マイノリティのため」という大義を期待しすぎだと思う。ジャズの本質ってモードとかインプロビゼーションとかそういうの以外になんかあるのだろうか? ジャズ文化を作ってきた黒人やその他の人たちは「マイノリティの反逆」みたいなものをジャズの本質だと思っていたのだろうか? 本当に? というか小野寺先生は本当にそう思っているのか?
評論家というのは、マイノリティとか政治とかが好きなのであって、映像とか音とかは嫌いで嫌いで仕方なく、上映中なんとか目をつぶったり耳を塞いだりして、アメリカとかの政治ニュースの収集だけしているのではないかな、と少し本気で思っているおいらです(ひろゆき風)。マイノリティや政治について配慮していないと「正しく良い」作品じゃない、という強迫観念みたいなものに取り憑かれていないだろうか。まあしかし小野寺先生は映像や音についても触れているので別にそこまでではないだろうが。スラムダンクを高評価していた訳だし。でもそう感じる人はけっこういるのである。
私の『BLUE GIANT』評はこちら。
cut-elimination.hatenablog.com
追記:デビット・ライス氏が本記事をトゥイッターでシェアして、杉田俊介氏にもここで述べた小野寺氏みたいな傾向があるというようなことを述べていた。実は私も杉田先生を念頭に置いて本記事を書いていた。小野寺先生の元記事はけっこう映像についても触れられていて、それほどマイノリティうんぬんばかり書いているわけではないのにこういう取り上げ方をしたのは暗に杉田先生を批判するためだったりする。
前に書いた杉田批判はこちら↓。今回書いたこととはちょっと方向性が違うけど。
cut-elimination.hatenablog.com
犬王も見よう。
↓おすすめ本。
↓トゥイッターもやってるから見てね。
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— 盲点(The Blind Spot)(線形論理) (@cut_elimination) 2023年3月21日