『アニメ的人間』という本をパラパラと見ていたら、セルゲイ・エイゼンシテインの「原形質性」なる概念を使って『ハイジ』を論じた論文があった。細馬宏通先生の。
この原形質性なるものに興味を抱いて調べている。エイゼンシテインがディズニーを論じた論文"Дисней"で提唱した概念である。細馬先生は英語版("Дисней"をそのまま訳したのでなく他のエイゼンシテインのディズニー論と併せた英訳らしい)を参照しているが、図書館に"Метод"という原典を収録した本があったのでコピーして読んでいる。
『アニメーションの映画学』という本では今井隆介先生という人がやはり英訳を参照して論じている。
しかし土居伸彰先生はロシヤ語原点を引用していた。土居先生はロシヤ語ができるっぽい。↓これはまだ見ていない。
で、ロシヤ語では原形質性は"плазматичность"だった。"плазма"は「プラズマ」である。"плазматичность"は語の感じから言ってплазматичныйというплазмаの形容詞形を「〜性」みたいに名詞化したものであろう。
で、なんで「プラズマ」なのか、それがなんで「原形質性」と訳されたのかである。研究社『露和辞典』を見ると"плазма"は"протоплазма"の誤称とある。протоплазмаとは「プロトプラズマ」で、これが本来の原形質を意味する語である。という事は「プラズマ性」と書きつつエイゼンシテインの念頭には「原形質性」があったのであろう。だから「原形質性」は"плазматичность"の訳語として正しいみたい。
なお、研究社『露和辞典』には"плазматичный"は載っていなくて"плазматический"が「原形質の」という意味で載っていた。語尾の"ный"と"еский"はだいたい同じだと思うが、細かな違いは私には判らない。
大石雅彦先生の『エイゼンシテイン・メソッド』でも「原形質性」と訳されていた。
私が「エイゼンシュテイン」でなく「エイゼンシテイン」と書くのは、授業で大石先生が「エイゼンシュテインでなくエイゼンシテインだ」と仰っていたからである。