曇りなき眼で見定めブログ

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ワンピースの映画の感想(諸星大二郎、ロバート・ノージック)、あと最近のミュージカル調アニメ映画への所感(犬王など)

ワン・ピース映画の感想 

ONE PIECE FILM RED」を観てきた。そこそこ面白かった。

 私はAdoちゃんが結構好きなので歌を堪能できて良かった。特に半ばあたりの矢鱈と早口なラップみたいな歌が良かった。中田ヤスタカもまあ悪くない。

 夢という設定については節を改めて後述。しかし夢の世界の様子は演出としてはけっこう無茶苦茶だった。谷口悟朗監督と言ったら名のある人だが、なんというか、あまり時間がなかったのだろうか。思いついた絵を並べただけのような感じで、まあ絶えず刺激はあったのだけれど、根底の部分で退屈であった。心の底から驚愕するような仕掛けは特になかった。ああ夢なのね、、、みたいな程度だった。ちょうど昨日テレヴィジョンで「千年女優」をやっていたので見たのだが、こちらは夢と現実の混濁とそれによる映像的な興奮みたいなのを完璧なまでに作画と演出と音楽で実現している。

 作画について物申したい。私は最近のバトル・アニメによくある「グググッッッドーーーン!」みたいな作画があまり好きではない。こういうのはキメヤイで顕著であったがワンピースでもありがち。あと「進撃の巨人」の立体起動装置のアクションで顕著なのだが、矢鱈とカメラや人物がグルグルするやつもあまり良いと思えない。どちらもしっかりとした人間の動きそのもので面白いものが作れないからやっているのだと私は感じる。「羅小黒戦記」を見習うべきである。

 ワンピースの昔からの難点なのだけれどバカな奴と無礼な奴が多過ぎる。ルフィはもうちょい落着け。あとウソップとチョッパーのリアクションは愉快なようでなんか作者の操り人形みたいに感じる。こういうのを楽しいと感じて好きな人もいるのかもしれないが、実はワンピースを支えるファンてそういうところを面白がっている訳でもないのだと思う。私もそうだけどやっぱ謎解きの面白さが一番であろう。

 あと新時代新時代と作品のキャッチ・フレーズを台詞で連呼するのはやめましょう。

 ウタは結局海賊を憎んでいたのだろうか。そうでもないのだろうか。最初はネットで真実を知ってしまった系かと思ったが実はシャンクスを恨んでいたようで、しかし実はそうでもなく、みたいな二転三転して有耶無耶だった感じ。私は話を理解する能力が低いのでそのせいかも。

 カタクリって物凄い人気なのでしょうな。メイン・キャラでもないのにあんなに見せ場を与えられて。声優も一流の人だし。

 しかしトット・ムジカって一体何だったのだろう。よく分らんのである。まあ考察勢に任せましょう。

 シャンクスや赤髪海賊団のことはなんだかんだであんまり明確にならなかったなあ。能力者はいないのだろうか。一人能力者っぽいのがいたけど特典の設定集を見てもよく分らなかった。

 あと五老星って天竜人だったと思うのだけどチャルロス聖とどういう関係なのだろう。五老星のポジションが未だに謎である。

諸星大二郎とロバート・ノージック

 ウタの能力でみんな眠って夢を見ていたわけだが、諸星大二郎先生の有名な短編に似たような話がある。「夢みる機械」というやつである。

理想的な夢だけ見て過ごせる装置へ人々が接続してコールド・スリープについていき、ロボットと入れ替わっていくという話である。主人公の少年は自分以外の人が実はみんなロボットであったことに気付いてしまう。当の本人たちは機械の中で眠っていたのだ。

 哲学者が思考実験として似たような話を提案してもいる。ロバート・ノージックの「経験機械」という話。私はこれを伊勢田哲治先生の『動物からの倫理学入門』で学んだ。

これも快楽だけの夢を見せてくれる機械に接続するという思考実験である。ここでの味噌は、接続している間「自分は機械に接続して夢を見ている」ということすら忘れさせてくれる、という点である。さて、貴方はこの機械に接続することを望むだろうか? ノージックはそんなことはないだろうと考えた。多くの人は機械で得られるまやかしの快楽漬け人生よりも現実の苦しいこともある人生を選ぶのではないか、と。機械に接続している間は機械に接続していることを忘れられるとしても、である。

 伊勢田先生はゲームにハマる人を引き合いに出し、実際のところ多くの人が選ぶかどうかは微妙だと書いていた。上述の本は2008年に出ているのでVR技術は今ではもっと進化している。私自身もちょっと考えてしまう。どうなんだろう。ゲームみたいに徐々に日常からハマっていけば抗えないかもしれないが、最初からそうなると分っていれば拒否するだろうか。しかし「夢みる機械」の方では多くの人が機械に接続することを選んだ、という訳だ。「夢みる機械」は、そうした選択を描くのではなく、既に多くの人が秘密裡に選択を終えていたという不気味さを提示するから面白い。哲学の思考法と漫画の作劇とそれぞれの醍醐味が両者にはある。

 さてワンピースの本作はどうか。ウタがウタウタの実で作るウタワールドは、そこが夢の世界であるということを忘れさせることができない。初めはみんな気付かないのだけれど後でバレる。というか日常に戻りたいという意思を消すことができていない。ウタはそれは楽しいことが足りないからだと解釈して暴走するのだが、経験機械のようにそこが夢であるということを忘れさせる方が良かっただろう。そこまで万能な能力ではなかったっぽい。ノージックの思考実験は機械に接続する前に全て忘れるかどうかを選択させるからこそ切実になった。ワンピースの本作はそういう話ではなかったのでまあそうなるわなという感じ。かと言って諸星ワールドのような味わいがある訳でもない。ちょっと狂気が薄いのである。

 まあそもそも私は歌を聴くことがそこまで楽しいとは思えないんだけどね。

 そういえば話としては「鬼滅の刃 無限列車編」もそんな感じだった。あれは「夢みる機械」や経験機械のようなところがあったが、人間というものをもっと短絡的に描いていた。快楽の奴隷のように描き、また「夢みる機械」が大胆に捨てたところを描いている。

最近のミュージカル調アニメ映画への所感

 ハリウッドのミュージカル映画がよくヒットしたりしていたが、日本のアニメ映画では歌姫みたいなのが出てくるのが多い。昨年からアニメ映画をできるだけリアル・タイムで観るようにしている私としてはもうお腹いっぱいである。

 昨年では「竜とそばかすの姫」と「アイの歌声を聴かせて」があった。感想もここに書いたはず。検索して探してみてね。「竜そば」の中村佳穂さんは現代日本で最高クラスに歌が上手いと思う。それと比べると「アイ〜」の土屋太鳳ちゃんは可哀想であった。

 最近では「犬王」もミュージカルであった。これの感想はまだ書いていなかったので書いておく。作画はまあ良いのだが、音楽が全然ダメだった。この作品は湯浅監督とか松本大洋先生とかアニメ好き垂涎の布陣だったのだけれど音楽の大友良英氏は平凡も平凡だった。劇伴をやりすぎて鈍ってしまっているのでは。アヴちゃんが優れたヴォーカリストであることは認めるが、やっていることがマイケル・ジャクソンのパロディであったりただの和楽器によるロック・ミュージックであったり実につまらない。そもそも私はロックというのは西洋音楽の伝統の域を出るものではないと思っている。企画上の布陣は豪華だが、音楽に関しては、高畑勲先生が久石譲を発掘したような、或いは大友克洋先生が芸能山城組を発掘したような、そういう執念というか嗅覚が足りなかったのではないか。

 それと比べるとワンピースのAdoちゃんは中村佳穂さん程ではないかもしれないが歌は上手いし曲もまあ良かった。少なくとも犬王よりは奔放で遊び心があって良かった。ミュージカル演出部分の映像は細田監督の方が良かったが。

 そういえば「フラ・フラガール」の感想も書いていなかったけどまあいいか。