曇りなき眼で見定めブログ

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フェミニストと闘うための理論武装講座その1 大原則編

 甲「理論武装で攻め勝ったと思うな バカタレ!」

 

 皆さんも日々多く目にしていることだろうが、インターネッツ上でフェミニストと思われる人たちのご活躍が著しい。そしてだんだんとフェミニストというのはマンガやアニメなどいわゆる二次元の表現やポスターやお笑い芸人にいちゃもんをつける人たち、なんかいつも怒っているわけのわからない人たち、みたいに見られるようになってきていると思う*1

 これでは健全な議論ができない。トゥイッターなんかはメディアの特性上、言ったら言いっぱなし、自分の味方に向けてのみ演説する、といったことができてしまい、議論にならなかったりする。フェミニストもアンチフェミニストも内輪で敵への皮肉を言って終了、みたいなことはよくある。そういうのは歯痒い*2

 というわけで、フェミニストに対してしっかりと言論で対抗する方途を考えましょうや。適当に罵って嘲って(あるいは署名して(これはありか))終りではなく、最近流行りの「論破」で対抗するのである。そのために私はいろいろ勉強してきていて、そうして得た武器を皆さんに授けたい。

 今回は大原則編なのであんまり細かいところには立ち入らない。目次にあるような5つの原則のみです。その2、その3と続いていく予定なので徐々にやっていきます。

原則1・女性差別は歴史的に存在する(がしかし)

 女性差別は確かにある(あった、あってきた)というのは大大大原則である。ただし、いろいろと細かい問題はある。

 まず、何をもって「差別」というかは難しい。哲学的な難しい議論に陥ってしまうかもしれない。とりあえず歴史的に男女の権利や機会の不平等は確かにあった(ある、あってきた)ということは確認しておきたい。

 参政権を例にとってみる。日本で普通選挙が実現したのは1925年のことである。「普通選挙」というのは誰でも投票できる選挙ということだろうが(正確な定義は知らない)、しかし選挙権が与えられたのは男だけであった。女性の参政権(投票も立候補も)が一般に認められたのは(例外は以前からあったようだが)戦後になってからである(日本国憲法で認められているが、日本国憲法施行のちょっと前かららしい。Wikipedia情報)。この20年のギャップは女性に対する差別であろう。

 さて問題は、現在もこうした差別あるいは不平等があるのかどうかである。確かに参政権は平等になった。しかし日本の女性議員の数はいまだに少ない。この原因はもちろんもっと大きく漠然とした社会構造のほうにあることになる。選挙の仕組み上は誰でも議員になれるので。(現代の)フェミニストの多くが問題にしているのは、この漠然とした社会構造なのである。

 もう一つ、2018年、東京医科大学やその他の大学医学部で入試の得点が男女で調整されていたのが明らかになるという事件があった。女子は一律に減点されて男子が合格しやすくなっていたのである。これも差別あるいは不平等である。こんなことが現代でもあるのだなあという衝撃もあろう。

 さて、参政権が男にしか認められなかったのは、当時としてはそれなりの合理性もあったのではないかと思われる。男は働いて闘って、女はそれを支えるもの、という価値観があり、なので*3男に大きめの権利が与えられていたのであろう。しかし先述のとおり問題はこの「合理性」が生れてしまう背景である。医大の入試の件も、女は結婚したら職を辞してしまうことが多いので医師養成機関としては男子を優遇するという理屈があるらしい*4。やはりここでも、女性のキャリア形成に難があるという社会構造も問題とすべきである。筆者は某超一流大学の哲学の院生なのだが、女子の院生は非常に少ない。もちろん入試の不正などない(はずである)。機会は平等でも価値観やキャリア形成の問題として「女が学問に打ち込むなんて」みたいなのがあってはいかんのである。

 原則1で私が言いたいのは、フェミニストは社会制度だけでなくそうした制度の背景や制度で救いきれない社会の根本の価値観を問題にしていてしばしばその議論が抽象的になりすぎる、ということである。例えば「女性議員を増やせ」と言ったところで、女性にも平等に参政権が与えられているわけだから立候補して投票すればいいだけ、となってしまう。なってしまうがそうではなくて、という部分でフェミニストは家父長性だとかマルクス主義だとか難しい議論を出してきてしまい、なんだか現実から乖離した感じが出てしまう。ここを丁寧に理解して反論するのが建設的であろう。

原則2・現代フェミニズムはかなり複雑である

 そうした結果、現代のフェミニズムは話がどんどん複雑になってきている。

 ミニスカートはフェミニストが広めた、みたいな話を聴いたことがないだろうか。これはたぶん正しい(よくは知らないが、どうもそうらしい)。にもかかわらず現在では萌えキャラの露出過多な衣装デザインに文句を言うフェミニストは多い。これは矛盾しているのではなかろうか。

 実はフェミニズムにも第一派とか第二派とか第三波とか*5いろいろあって、それぞれの中にも細かい分派がある。現在はおそらく第四波である。衣装の問題でも、これらの細かい運動のうち別々のものが顕在化した結果と思うとよいのではなかろうか。この点に関しては本シリーズその2やその他の回でやや詳しく扱う予定。

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 ↑こういうのがあった。確かに表面上はフェミニズムは当初の目的の逆を行っているように見えるかもしれないが、長く複雑な運動の末にそうなったということは理解しておくべきかと思う。それでも逆行してしまっているかもしれないのでそうなったら批判しよう。

原則3・フェミニストといってもピンキリである

 昨今の様々なネット炎上事例*6は、トゥイッター上の影響力のあるフェミニスト、いわゆるツイフェミの人たちによるものが大きい。ただし「ツイフェミ」なる言い方はなんだか侮辱的なのであまり使わないようにする。さて問題はこうしたトゥイッター上のフェミニストにまともなフェミニストはいるのか、という問題である*7

 トゥイッター上で有名な人というのはただ単純に有名なだけである場合も多い。フォロワーを稼ぐためにあえて過激なことを言ったり妙に聴えの良いことを言ったりしているだけで、議論のできる人ではないかもしれない。インターネッツといえども肩書きで人を判断することは私は重要だと思う。博士号を持っているとか、ちゃんとしたメディアで言論活動を行っているとか。ただし博士号を持っていても珍妙なことを言う人はいるし、大手メディアがトゥイッターで有名だというだけで執筆を依頼することもあるのであんまり役に立たない術かもしれないが。

 とにかく、そもそもただ声が大きいだけで一流ではない人というのはどの界隈にもいて、フェミニストにもそういう人はもちろんたくさんいるのである。この見極めをして不毛な議論を避けるべきである。

原則4・知識と冷静さを身につけよう

 先ほど「現実との乖離」ということを述べた。あまりにも抽象的すぎてダメなフェミニストの議論というのは、そもそも現状認識において誤っているものである。例えばマンガやアニメの作品を批判する際に基本的なデータを間違って認識していておかしな解釈をしてしまったり。正しい知識を持つことは何よりも議論の大前提である。

 正しい知識がないならば調べればよい。大事なのは「これって飛躍した解釈では?」というのをよく考えて察知することかと思う。そういう冷静さを持ちましょうや。

原則5・ルールとマナーを守って楽しく議論しよう

 冷静さという点でもう少し。とかくトゥイッターというのは頭に血が上りやすいメディアである。なので私はトゥイッターでは無難なことばかり書いている。こういう熱のこもった文章はブログに書く。ブログだと言葉が尽くせるので。

 まあ「キーッ!」とならずに時間を置いたり時間をかけたりしてよく考えて自分の意見を述べることである。それが議論のルール、マナーである。こんなものは当り前だけれど、何故かフェミニズムの議論になるとこういった態度をとれない人は多い。

 気をつけましょう。

*1:そしてフェミニストには社会学者が多いことから社会学者全般が「社会学者(笑)」と見なされてしまってもいるようだ。

*2:芳賀ゆい

*3:何が「なので」なのかと問われると困るのだが

*4:というのは建前で本音は他にあるのかもしれないが。

*5:コロナウィルスのように

*6:ネット炎上に関してはこちらの記事も参照→『ネット炎上の研究』読書メモ - 曇りなき眼で見定めブログ

*7:ぶっちゃけ私はまともなフェミニストというのはそれほど多くないと思っているのだが、それはさておき。