曇りなき眼で見定めブログ

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【東京オリンピック中止にならなかった記念】『AKIRA』の作画を検証する(データ、歴史、アニメーターたちの証言)

 ※まだちゃんとまとまってない感じの記事です。

 \ラッセーラーラッセーラー/ \ラッセーラーラッセーラー/ \ラッセーラッセーラッセーラー/

 2020年東京オリンピック中止を予言(?)していたとか開会式の演出で登場するはずだったとかで謎のリバイバルが起きている『AKIRA』である。まあしかし作中の時代設定に追いついたのだから見返されるのも当然であろうか。正確には2019年のお話だけれど、いま見るべきものの気がしちゃいますな。

 本記事はアニメ映画版の『AKIRA』を作画の面から冷静に再評価する試みである。現代日本のアニメの作画は、進化した面と退化した面があると思っていて、『AKIRA』はそうした作画の現状を考えるうえで触れざるをえない古典である。『AKIRA』以前と以後でアニメの歴史は間違いなく変った。日本のアニメが海外に輸出されて世界中のマニアやクリエイターから高く評価されるようになった、その象徴のような作品である。では作画という観点からはどうか!?

 なお、以下すべて敬称略である*1

 結論を先に述べておくと、以下の4点に集約される。(本記事はめちゃくちゃ長いのでここだけ読めばOK!)

  • アニメ映画『AKIRA』は大友克洋原作・監督作品であるが、各アニメーターの個性も色濃く出ている。
  • 作画に関して思想が統一されておらず、各々のアニメーターが模索しあるいは技術を盗み合いながら完成した。
  • リップシンクロや芝居の作画には内部からは否定的な評価が多い。
  • しかしそのようにして若き才能が衝突し切磋琢磨したことで、独特のエネルギーに満ちた歴史的傑作となった。

AKIRA』とは?

 大友克洋のマンガ(1982〜1990)が原作である。原作もマンガの歴史を一変させた大傑作だが、本記事ではアニメ映画版の『AKIRA』を扱う。アニメ映画版の監督も大友克洋みずからが務めている。しかしまずはマンガの話から。

ショート・ピース (アクション・コミックス―大友克洋傑作集)  童夢 (アクションコミックス)  AKIRA(1) (KCデラックス)

 大友は1973年にデビュー。シュールでシニカルな短編作品で注目を集めた(ソースはリアルタイムで読んでいた私の父)。中編SFマンガ『童夢』(1980〜1981)がヒットし、星雲賞を受賞する。特筆すべきはその画力である。単に絵が上手いというだけでなく独自の画風を確立している。それまでのマンガのような記号的なデフォルメのない徹底してリアルな画風で、なおかつ劇画のような濃厚さはなく乾いている。(少年誌のほうで同時期に現れた鳥山明とともに)マンガというものの在り方を根底から覆したといってよい。この時期の青年マンガの絵はだいたいどれも大友風である(浦沢直樹とかダイレクトにそうである)し、現在でも影響力は大きい(石黒正数は似すぎてて編集者に指摘されたらしい)。また『童夢』で現れた「念動力で身体を壁に押し付け、そのまま壁が球面状にヘコむ」という表現はよくパロディされている(あるいはパロディと認識されないほど一般的になっている)。『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦は、この不可視のエネルギーの塊みたいなのを可視化したいというところからスタンドの着想を得たらしい。

 さて、そんな大友が満を辞して連載開始した初の長編が『AKIRA』である。『AKIRA』の特徴はいろいろあるのだが、台詞回し、ァッションセンス、街並みやバイクのデザイン、ストーリーは優れているだけでなくひとつのカルチャーを形成している。そのアニメ映画は傑作であるがさらに海外輸出され「ジャパニメーション」と呼ばれるムーブメントを生むこととなった。日本アニメが海外で評価され世界中にオタクを生む発端となった作品なのである。世界のサブカルチャーの巨大な源泉なのである。

データと歴史編

 まずは『AKIRA』に参加したアニメーターと担当パート、そしてアニメーターたちの『AKIRA』前後のキャリアを確認しておく。多くのアニメーターにとって『AKIRA』はターニングポイントになっている。

スタッフのデータ

作画スタッフ

 作画wikiより引用

 

作画監督なかむらたかし

 

作画監督補:森本晃司

 

原画:福島敦子 井上俊之 大久保富彦 木上益治 沖浦啓之
坂巻貞彦 平山智 牟田清司 うつのみやさとる 竹内一義
江村豊秋 須藤昌朋 鈴木信一 植田均 富田邦 知吹愛弓


佐藤千春 瀬尾康弘 時矢義則 二村秀樹 川崎博嗣
鍋島修 多田雅治 橋本浩一 岡野秀彦 堀内博之
長岡康史 仲盛文 大平晋也 北久保弘之 漆原智志


山内英子 梅津泰臣 高橋明信 寺沢伸介 本谷利明
柳野龍男 増尾昭一 小原秀一 金田伊功 河口俊夫
遠藤正明 松原京子 大塚伸治 田中達之 柳沼和良
金井次郎 高木広行 二木真希子 橋本晋治 高坂希太郎

テレコム・アニメーションフィルム
丸山晃一 道旗義宣 小野昌則 八崎健二 野口寛明
増田敏彦 矢野雄一郎 楠本裕子 青山浩行
滝口禎一 末永宏一 鷲田敏弥 富沢恵子

 

また、大友自身も原画を描いている。

 このうち大友、なかむらたかし森本晃司福島敦子井上俊之沖浦啓之、北久保弘之のインタビューをいかに引用している。彼らは『AKIRA』の作画を考えるうえで重要人物なので名前を憶えておいていただきたい。

アニメーターごとの担当パート

 これについても作画wikiを参照。たぶん正確だと思うが、情報の抜けもある。大友はキヨコの予知夢のシーンの原画もやっている。他にもあるかもしれない。そのうち確認します。

 また、原画には修正が入るもので、原画マンと修正する作監作監補と誰の個性が強く出ているかはなかなか決定し難いものがある。

AKIRA』前後の作画史と関連作品

『Gライタン』(1981~1982, テレビシーズ)、第41話「大魔神の涙」

 『G(ゴールド)ライタン』は、ライターみたいなロボットが戦うユニークなテレビアニメである。制作はタツノコプロ。第41話はなかむらたかしによるひとり原画である。この回の作画は多くのアニメーターにインスピレーションを与え、リアル系作画の出発点となった(といえるのではないかと)。ちなみにこの第41話の制作進行を担当したのはのちのプロダクションIG社長・石川光久である。

未来警察ウラシマン』(1983, テレビシリーズ)、第26話「ネオトキオ発地獄行き」

 タツノコプロ制作のオリジナルテレビアニメ。キャラクターデザインはなかむらで、かなり大友風のデザインである。なかむらへの大友の影響もあるだろうし、当時の大友のマンガ・アニメ界全般への影響力の大きさもうかがえる。

 また第26話はなかむらとともに森本と福島が原画を務めており、コミカルなアクション作画で有名な回である。彼らの動きのセンスがわかる。

迷宮物語』(1987, 劇場作品)「工事中止命令」

 『迷宮物語』は短編オムニバス映画で、そのうちの一編「工事中止命令」が大友の初監督アニメ作品である。アニメーターにはなかむらと森本が参加し、大友自らも原画を描いている。このときのこの3人組がその流れで『AKIRA』のメインスタッフになった。

 「工事中止命令」以外の二本「ラビリンス・ラビリントス」(福島が参加)と「走る男」も作画史上の重要作品である。

『ロボットカーニバル』(1987, OVA)

 超一流アニメーターが監督となり様々な実験を行った短編オムニバスである。

 オープニングとエンディングは監督が大友で原画を福島が担当している。他にも森本監督の「フランケンの歯車」や梅津泰臣(「デコ助野郎のシーンの原画を担当」)監督「プレゼンス」、北久保監督の「明治からくり文明奇譚〜紅毛人襲来之巻〜」などもあるが、重要なのはなかむら監督の「ニワトリ男と赤い首」である。

 「Gライタン」とは違ったもうひとつのなかむらの作風が現れているのが「ニワトリ男と赤い首」である。メカの描写の緻密さは『AKIRA』に通じるリアリズムだが(これは森本の「フランケンの歯車」もそう)、デザインはかなりポップである。またアクションや人間の表情の作画にはカートゥーン的な誇張がある。実はこうしたなかむらのポップ路線も『AKIRA』の重要な要素になっているということがこれからわかってくる。

となりのトトロ』『火垂るの墓』(1988, 劇場作品)、『魔女の宅急便』(1989, 劇場作品)

 言わずと知れたスタジオジブリ作品である。『トトロ』と『火垂るの墓』は『AKIRA』より少し早く公開していて、終ったジブリスタッフが『AKIRA』に応援で駆けつけたらしい。そのお返しとして『AKIRA』のスタッフの幾人かが『魔女の宅急便』に参加している。森本は『魔女の宅急便』に参加した縁でジブリのプロデューサーだった田中栄子とともにSTUDIO 4℃を設立した。

老人Z(1991, 劇場作品)

 オリジナルアニメだが原作は大友である。大友らしいシュールでシニカルなSFでコメディともディストピアともとれる。機械化した肉体の暴走というモチーフは『AKIRA』と共通する。監督は『AKIRA』に原画で参加した北久保。

MEMORIES(1995, 劇場作品)

 こちらも三本の短編オムニバスである。すべての原作は大友で、三本目の「大砲の街」では自ら監督を務めている。一本目「彼女の想い出」は監督が森本で井上が作画監督。二本目は「最臭兵器」。

 『AKIRA』と共通するスタッフも多く、『AKIRA』以降の作画の到達点のような作品である。

総説

 まず今後参照する文献を紹介しておく。

 もっとも情報が豊富なのが『アキラ・アーカイヴ』である。設定資料や原画、アニメーターへのインタビューが収録されている。AAと略記する。

なおインタビューはすべて2002年。

 もうひとつ重要な情報源がWebアニメスタイルのアニメーターインタビュー企画である。ASと略記する。『AKIRA』に参加したアニメーターのインタビューも多い。なお森本へのインタビューで吐露しているが、インタビュアーの小黒祐一郎は『AKIRA』という作品にはやや否定的なようである。なのでインタビュアーのバイアスも少し考慮すべきかも知れない、といちおう述べておく。インタビューは沖浦以外は『アキラ・アーカイヴ』より少し前である。

 また「月刊ニュータイプ」2021年1月号で『AKIRA』の特集があった。こちらも参考になる。NTと略記する。

AKIRA』の作画、総説

 『アキラ・アーカイヴ』のインタビュアー・執筆に参加しているアニメ研究家の氷川竜介が「ニュータイプ」のインタビューを受けている。氷川のインタビューはここで取り上げておく(スタッフの証言ではないので)。氷川の『AKIRA』はたいへん興味深く、参考になる。

 大友は『白蛇伝』『西遊記』『少年猿飛佐助』といった東映長編アニメが原体験にあるということが語られている。これは『アキラ・アーカイヴ』の大友インタビューでも書かれている。それに加えて以下のような情報が氷川によって述べられている。

 ディズニー作品に関しても、いわゆるクラシックよりは「王様の剣」「コルドロン」などにシンパシーがあり、同社から分かれたドン・ブルースプロダクションの「ニムの秘密」や「アメリカ物語」など80年代の長編もよく「AKIRA」の制作現場で話題になっていたとスタッフ取材で聞きました。「AKIRA」で話題の「リップシンク」(口の開閉を声と同期させる手法)や全体の演技がボディランゲージ的な理由も、実は本家・本流の「フルアニメーション好き」が背景にあったのです。

そして80年代後半に『AKIRA』が欧米で広まっていったのは「動き中心の表現」だったために受け入れられやすかったのではないか、と氷川は考えている。欧米のスタンダードなアニメーションにはなかったテーマやモチーフを日本の『AKIRA』が持っていたのは確かだが、それが非常にスタンダードなアニメーションによって表現されているのが『AKIRA』の特徴なのではないか、と。そして氷川は、大友のリアリズムにはもともとフルアニメーション的な精神があると述べる。それは日本的な省略や誇張に基く記号的な表現の否定という大友作品を論じる際によく使われる言葉にも現れている。

 以下の証言編で明らかにするが、参加した若かりし一流アニメーターたちはこのリップシンクリップシンクロ)やボディランゲージ的な芝居に不満を抱いている者が多かったようである。この辺りに作画思想の不統一性があるように思われる。特に大友の思想と作画監督なかむらたかしの内的な葛藤がその原因で、それらの間でアニメーターたちはやや混乱していたようだ。これらは以下の証言で明らかになる。例えばディズニーの影響が大友やなかむらにはあったようだが、それが井上のようなリアル志向(になりつつあった時期)のアニメーターにまで共有さていたのかが疑問である。井上は特に『Gライタン』の頃のなかむらからの影響を述べているので、そうではない面のなかむらとマンガでのリアル志向とは違った一面を見せる大友の作風は意外だったのかもしれない。

証言編

 ここからはアニメーターのインタビューを引用して考察する。特にリップシンクロや動きのリアリティの考え方に関する点を多く引用した。

大友克洋

 まずは原作・監督・脚本の大友である。インタビューでは次のように語っている。

 自分でアニメーションを作り始めたのは、本当におもしろいという非常に根源的な理由からなんです。何枚かの絵と絵を連続してパラパラとめくると動いて見える、それがアニメーションの原理です。最初はそうやっても全然動いて見えないことがありました。それを少しずらしてやると、「あ、動いた!」って瞬間にぶつかります。そういった驚きや、まして自分の絵が動くというのはやっぱり非常におもしろい。(AA)

大友はそもそもアニメーションというものの原理的な部分に昔から興味があったというのは重要である。映画好きか高じてとかマンガに飽きたからとかではなく(それもあるかもしれないが)、純粋にアニメが好きだから『AKIRA』を作ったという面が大きかろう。

 マンガの絵とアニメの作画は大友はまったくの別物だというのはアニメが好きな人には常識だろうが、大友はアニメの作画も上手かったらしい。他のアニメーターの証言で何度も語られている。特に井上と北久保は「工事中止命令」の大友担当パートである朝食のシーンを絶賛している。

なかむらたかし

リップシンクロについて 

「あれは、大友さんが言い始めたんです(笑)。僕らは"なにそれ、大変じゃんそんなの"って。プレスコシート作らなきゃいけないし……でも、試みとしては面白いとスタートして、感情の入ってる声だけ先に録りましたね。原画マンが各自テープを用意して聞きながら描いて……でも、芝居の間がありますよね。だから、厳密に考えられてはいなかったと思うんですよ。どこまでそれをやったかなあ……。最初はずっとやってたんだけど……やってないよね、後半なんか特に。なんせ物量でめげてましたからね(笑)」(AA)

AKIRA』の効能

-『AKIRA』の作画監督だって言うと、待遇変わったりしませんか?

「いやー、それはあんまり(笑)。でも、ウチの子供の友達でロックバンド組んでる子が『AKIRA』のTシャツ着てたりして、ホントに好きなんですよね、そういう人達って……やっぱり、なんか人を惹きつけるものがあるんですねえ」(AA)

私は日本のアニメーターのこういうところがクールだと思う。超人的な技術によって人知れずカルチャーを支えているのである。(もうちょっとアニメーターの凄さが知られてもいいようにも思うが……。)

なかむらにとっての『AKIRA

-なかむらさんにとって、『AKIRA』はどういう位置づけにある作品ですか?

「うーん、僕はね……複雑ですよ……。まず、大友さんという一人の作家の世界にずっと惹かれる物を持っていて、大友さんという人とずっとやりたかった気持ちがあります。もう一つ自分の中ではアニメーターとしての道があって、タツノコ出身なんですが、好みのアニメーションは東映の大塚さんや宮崎さんなんです。その片方では大友さんみたいな、リアルだけど整理されていて、ぎりぎりアニメーションにして動かすことに耐えうるキャラクターを、リアルに動かしてみたいという欲求もずっとあったんです。僕にしてみると、そんな大友さんという作家の作品と、自分のアニメーションの仕事が重なって、一緒になってできたのが『AKIRA』なんですね。ずっと目指していたものが達成できたことで、自分のアニメ歴の中で、オーバーに言えばターニングポイントみたいなところに位置しますね。

 自分の中では『AKIRA』のラインがアニメをするスタイルとして、ぎりぎりのところだったんです。だから、もうこれ以上リアルな方向には自分はいかないと思って、それ以降はリアル方向から離れていくような気分がありましたから。(AA)

 続いてアニメスタイルから。

WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

小黒 振り返って見ると「動き」に関して、違ったテイストを狙った『ロボットカーニバル』は当然として、『AKIRA』の時にすでに、ガチガチのリアルだけじゃないテイストがチラリと見えていますよね。
なかむら 見えているとすれば、すでに『AKIRA』においても、そういう動かし方は作品の方向とは異質な感じだったかもしれない。
小黒 ちょっと柔らかい感じの動きとか。
なかむら ああいうのは好きなんだよね。今、大友さんが『スチームボーイ』という作品を作っているじゃない。作品世界そのものや、アニメートのムードみたいなのが、非常によさそうだなって思うよ。(AS)

森本晃司

 森本のインタビューからは、大友のセンスや画力を尊敬してはいるものの『AKIRA』の制作方針にはかなり疑問があったことがうかがえる。

リップシンクロとボディランゲージについて

「全然興味がなかったんで、"えー、やるんですか、そんなこと"って感じです(笑)」

-やっぱり手間が増えるからですか?

「めんどくさいこともありますが、それを原画マンがもらって面白いかというと、自由にやらせて貰えない感があるんじゃないかと……。でも、結果的にはそれ以上に描いてるのが面白かった部分があるんで、みんなそんな苦じゃないのかなあ、とは思ったんですけどね」

-原画を見ていくと、口の形にまめに指定が入っていますよね。

「大友さんだけがこだわってるんですよ(笑)。うちら日本人って、こんなふうにわりとモソモソっと喋って、そんなに大口を開けてしゃべらないですよね。大友さん、どっちかというとディズニーやりたかったんじゃないのかな。なかむらさんにもちょっとディズニー志向が入ってるし」

-ボディーランゲージっぽい動きですか?

「そうそう。最初にパイロットが上がったときに、鉄雄がバイクで26号にぶつかって、金田が駆け寄るシーンがあるんですけど、オーバーアクション気味で、ディズニーっぽい動きなんですよね。"え? こっちの方向でいくんだ"って話をしましたね。そのころは自分の中にテクニックも何パターンもなくて一杯一杯だったんで、"うーん、これは出来ないからどうしようかな"って自分の中で思ってましたね」(AA)

 アニメスタイルのインタビューでも同様のことが語られている。

WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

森本 たかしさんが、最初に3カットぐらいサンプルの原画を描いたんだよ。それを見て迷ったんだよね。それがあまりにもディズニーっぽかったんで。「ええっ、この作品はこっちに行くの!?」ってね。
小黒 ディズニー調というのは、つまり、伸び縮みが入っていたって事ですか。
森本 そうそう。オーバーアクション気味のリアクションもあって。それは、本編でも1、2カット使われているんだけど--鉄雄が24号とぶつかって倒れて、向こうの方で炎が上がって、金田達がやってきて、バイクを降りて駆け寄る、という場面。あそこが、たかしさんが最初に提示した『AKIRA』の方向性だったんだ。方向性と言うか……「こっちへ行くのか」と戸惑った。で、戸惑ったまま、分からないで終わったという感じ。

小黒 オーバーアクションもなかむらさんから提示されたものなんですか。
森本 そうだね。オーバーアクションと言うより、ディズニー的な方向かな。
小黒 それは動きに関しても、芝居に関しても。
森本 うん。多分、リップシンクロというものが最初にあったから、余計にそれを意識したんじゃないのかな。
小黒 でも、日本人の口って、唇を尖らせたりしながら喋らないじゃないですか。
森本 そこでまず戸惑ったんだよね。ただ、リップシンクロにしたいというのは、大友さんの願いだったし、だから、口の表情は、たかしさんも、大友さんの描き方になっている。そうなると、今、小黒君が言ったようになるんで、「日本人なのに。いいのかな」という思いはありましたね。
小黒 それに、日本人はあまり身振り手振りをつけて喋らないですよね。
森本 しないよね。だから、演技が分からない。そういう意味では、最近のアニメーションの、人物を掘り下げていくような作画ではなかったのは確かだよね。無国籍と言うか、日本人でいて日本人でないから、原画マン達も戸惑った、というのはあるだろうね。

(……)

森本 あの作品の中で、何人か掴んだ人はいると思うんですよ。「この方向性じゃ駄目だ」みたいな事をね。『AKIRA』の中にも色々な方向性があったわけだから。そういう意味ではバラバラとも言えるわけだけど。

(……)

森本 だから、あれをやって、何を間違いと考えたかっていう事だろうね。たかしさんは、たかしさんで、あっちの方向へ行ったし(笑)。
小黒 確かに、なむからさんは『AKIRA』で方向性が変わりますよね。
森本 俺からすると、たかしさんは、日本から離れて行っているようにも見えるんだけど(笑)。日本と言うか、日本人の気持ちから。それはでも、本人にとっては、余計なお世話かもしれない。(AS)

 ここで重要なのはなかむらの作風の変化に対する森本の考察である。

今の森本

 現在の森本は『AKIRA』をどう思っているのだろうか。

-今の森本さんにとって「AKIRA」とはどんなものになっていますか?

森本 20代のころの仕事だからなあ。自分としては、30歳からは自分の作品をつくりたいって思いがあって、20代のうちに自分が気になる監督の現場を見ておきたいって気持ちがあって。それで最後に宮さん(宮崎)のところにいったというのもあるんだけど、そういう道のりのなかのひとつの大きな作品、という感じなんじゃないかな。当時は衝撃だったけどね、あれから三十何年たってるわけだから。だから今それに匹敵する作品は……って考えて、どういうものが出てきたら同じぐらい驚くんだろう?っていうふうに見てますね。だから、その時代その時代の若者から生み出されるものを見たいし、それぞれの「AKIRA」を探してほしいです。(NT)

森本もベテランとなっており、監督作品が多くあるだけでなく演劇などにも進出している。そのような森本にとって若かりし頃に『AKIRA』を作ったことがどのように糧となったのか、そして現代の若いアニメ制作者やクリエイターへの想い、これらが読み取れるインタビューとなっている。

福島敦子

 福島の証言は現場の混乱した様子を伝えている。

WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

小黒 ははあ。福島さん御自身は、『AKIRA』はどうでした?
福島 あ、「大勉強」です。
小黒 ははは(笑)。担当されたのは、冒頭のところですよね。ジュークボックスなんかが出てくるところ。
福島 うん。冒頭だったので、思いっ切りいじられましたけどね。もう、みんな迷っているんで、どうしたらいいか分かんなくて(笑)。だから、色々いじってもらってよかったな、と思ってます。
小黒 直したのはどなたなんですか?
福島 たかしさんがやってくださったと思います。わたしは、あんまり何も考えずに描いていたと思うんですけど。ただ「描けない、描けない」って思っていたぐらいで。
小黒 冒頭の担当部分は、鉄雄がバイクをいじっているあたりまでですよね?
福島 ええ。その後は、ちょこちょこと細切れで何かしらやってますね。最後には作監が足りなくて手伝ったりもしましたね。
小黒 えっ、それはどなたかがさらに見ているんですか。
福島 いえ、それはもう目をつぶって……。(AS)

井上俊之

 井上はアニメーターとして超一流であるだけでなく、他のアニメーターの仕事や作画技術の歴史に詳しい。作画論も超一流なのである。

 作画の緻密化について。『AKIRA』がきっかけではないかという質問に対し

「きっかけになったのは間違いないと思うんですけども……。ただ自分の中では、日本のアニメーションの技術的な分岐点は、『迷宮物語(工事中止命令)』や『ロボットカーニバル』の方になると思いますね」

-そこではっきり変わったという意味ですか。

「はっきり変わったと思います。それまではちゃんとしたものというと、昔の東映長編、宮崎(駿)さんたちの作品、あるいはテレコムの作品でしたよね。それとは違う新たな道がマッドハウスから始まり、森本さん、なかむらさんの仕事という点では、『AKIRA』よりも『工事中止命令』が、はっきり分岐点になったと思います。あの当時としては膨大に時間をかけて、商業アニメじゃないとまで言われてたわけですから。結局、今のみんなが目ざしているアニメーション技術の原点は、明らかに『工事中止命令』にあると思うんですよ」(AA)

なかむらについて

作画監督の、なかむらさんに対する井上さんの想いをうかがいたいんですが。

「そうですね……僕にとってはなかむらさんは、本当にエポックな人です。従来のマンガで子供が見るものとしてのアニメ、そういう一線を超えた人として、僕にとっては最初の人です。絵を一枚だけ見ても、格好いいと思えるようなものを描き出した最初の人です。

-ただ『AKIRA』の中では、なかむらさんっぽい動きは限られてますよね。

「うーん……。『AKIRA』には、正直言って僕はなかむらさんの良さはでてないと思うんですよ。『工事中止命令』を経て『ロボットカーニバル』が、アニメーションの作画のスタイルの上で、なかむらさんの転機だったんじゃないでしょうか。大友さんの影響から抜けて、自分のオリジナリティに目覚めた感じがしますんで。だから、この時点で『AKIRA』をやることは、なかむらさんにとってはすごくつらいことだったかもしれないんですよ。しかも、原画ではなく修正の方をやらざるを得なかった……代われる人も、当時だといなかったと思いますしね。(AA)

この発言を見るに、井上はリアル路線のなかむらは評価するものの、「ニワトリ男と赤い首」のポップ路線のなかむらには微妙な想いを抱いているようである。『Gライタン』を発展させたような作画で『AKIRA』ができていたら良かったというふうに思っているのかもしれない。

 「ニュータイプ」の『AKIRA』特集と同じ号に載っている「井上俊之の作画遊蕩」第1回「沖浦啓之と「AKIRA」の時代」[前編](井上と沖浦の対談企画)では以下のように語っている(なかむらのリアルな作画と『Gライタン』の話題の流れで)。

井上 僕は専門学校時代でしたけど、なかむらさんひとり原画の「大魔神の涙」(第41話) なんて本当に衝撃的だった。今にして思えば、(エゴン・)シーレや(グスタフ・)クリムトのフォルムや描線をアニメの絵にうまく取り込んだところにひかれたんでしょうね。その出会い以降、東映動画系や虫プロ系にはなかった、なかむらさん的なリアルな絵が僕らのめざす理想の作画になっていった。(NT)

なかむらの作画は動きだけでなく絵のフォルムが重要であるという。しかしこれは「ニワトリ男と赤い首」の絵柄とは違う。また井上は最近以下のようなツイートもしている。

なので今ではポップ路線のなかむらもそれはそれとして高く評価しているようだ。

リップシンクロや演技について

-全体プレスコで、2コマ作画で常に動いているような雰囲気は、どうでしたか。

「それも僕は違和感を持っていました。プレスコは大友さんのこだわりで。是非こうあるべきだとおっしゃって、それは一理あるんですが……。それを受けて描いたなかむらさんのテスト作画が、すごくティズニー的だったんですね」

-どの辺に違和感があったんですか?

「こんなことを言うと、なかむらさんは怒るかもしれませんが……。演技過剰な感じで……。僕はもっと本当の人間がするように、さりげない演技をするべきなんじゃないかと思ってましたから。金田って、もっとかったるようで、けだるそうで、めんどくさそうなヤツだと思うんですよ。そういう意味ではリップシンクロも、もっと自然体っていうか……いや、当時の僕には描けないんですよ(笑)。僕自身が描ければね、"こう描けばいいじゃん"って言えるんですけどね……」(AA)

手応え

 しかし井上は『AKIRA』に参加したことで手応えも大いに感じていたようである。

-結局、1年間の間に井上さんが『AKIRA』という作品を通じて得たものは、かなり大きいということでしょうか。

「はい。僕自身はすごく手応えがありました。これほど1年間集中してやる仕事は、それ以前にはありませんでしたし、TVをやっても、もう自分のやれることに飽きてきて、ある意味では限界を感じていた頃ですから」

……

「(……)『AKIRA』をやって、自分の才能に向いている仕事が見つかった気がして、はっきりなにかが変わりましたね。長編アニメーションで、ある程度人物の動きをじっくり描く、芝居をさせることに向いているんじゃないかと。言葉で他人に説明したりはしなかったですけど、振り返ってみるとそういう感じで、すごく幸運だなと思います。その後の仕事も、そういうことを活かせる長編の仕事が増えたので、本当にはっきりと転機になりましたし、やって良かったなと思える仕事でした」(AA)

近年の井上の『AKIRA』評価

 「ニュータイプ」では以下のようにも述べている。

-では改めて、現在から振り返り、「AKIRA」の作画表現状の意義とは何だったと思われますか?

井上 一番は、作画におけるリアリティの水準を上げたことじゃないでしょうか。画面の空間的な生合成や立体感の表現をそれ以前のアニメより一段高めた……というか、「AKIRA」という作品がそうすることを求めた。それを実現するために重要になるのが「レイアウト」という工程。「AKIRA」が現在のレイアウトチェックのシステムが生まれる、ひとつの重要な転換点になった。(NT)

そしてこれに沖浦も同意している。ただし、工事中止命令やロボットカーニバルでこのシステムがすでに使われていたかどうかはちょっとわからない。

ついでに。羅小黒戦記との比較

 ラジオ「アフター6ジャンクション」の2020年11月の『羅小黒戦記』特集のインタビューでも『AKIRA』について触れている。

open.spotify.com

『羅小黒戦記』は若いスタッフばかりで作っていてその状況が『AKIRA』に似ているのでは、という指摘に対し井上は、『AKIRA』は荒削りであったが『羅小黒戦記』には若さゆえの荒さがないと述べている。私はこの評は良作の魅力をよく表現していると思う。なのでここに付け加えることにした。

沖浦

 沖浦は緻密路線のアニメーター・監督の筆頭のような人で、特にアングルやレンズの効果など、カメラの存在を意識したレイアウトについてよく考えているようである。『AKIRA』についてもそのような観点から評価している。

-カメラアングルという考え方も、『AKIRA』以後に主流になったものですよね。

「大友さんはローアングルなんですよ。押井(守)さんの好きなローアングルとは、またちょっと意味が違うのかもしれないけど……。そもそもこの作品以前では、こういうカメラ位置の絵づくりで……という話すらあまりなかった気もしますし」

-望遠、広角などレンズの意識を持つという発想も、『AKIRA』以後に一般化したのではないでしょうか。望遠だと手前に走ってきてもなかなか大きくならないとか、そういう考え方をベースにして作画をしていく感覚は、それまでのアニメーションではありませんでしたね。(……)(AA)

ただし、レンズの概念は『AKIRA』が最初に導入したわけではないようだ。

WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

沖浦 (……)レイアウトに関しても、簡単に言うと、望遠と広角で違ってくるという事を、あまり考えた事がなかったんです。そうしたら、江村さんが本を一冊をくれたんですよ。それは写真の本で、同じように撮ってもレンズによってこれだけ違うんだ、というのが分かるんです。その本で江村さんは勉強したというんですよ。さらに、パースのとり方も教えてくれて……。それがその後、仕事に反映する部分では大きいかな、と。
小黒 それは主に江村さんのノウハウであって、『AKIRA』全体のノウハウじゃないんですね。
沖浦 ええ。『AKIRA』のノウハウっていうのは、要するに大友さんやたかしさん、森本(晃司)さんの、ある意味天才的な巧さじゃないですか。もちろん、理論もあるんだろうけど、大友さんって、引いた1本の線に味があって、それが格好いい人だから。パースをちゃんととってなかったとしても、サマになってるというか。それは真似できるものではないですからね。江村さんが教えてくれたのは、理屈で画面を構築していく事だったんです。辿り着くところは同じようなものかもしれないけど、アプローチとしては違うんです。
小黒 『AKIRA』でアニメーションに、レンズの感覚が持ち込まれたというわけではないんですね。
沖浦 それはないです。

(以下、パトレイバーやヤマトのレンズについて)(AS)

つまりまず『AKIRA』は個人技の集積のようなアニメなのであって、『AKIRA』の統一された方向性としてレンズの意識があったわけではないようだ。そしてレンズの導入に関してはよくいわれるように押井守と「パトレイバー」シリーズの存在が大きい。

北久保弘之

 北久保はのちに大友と組んで『老人Z』を監督しているが、監督としての大友には疑念があったらしい。

工事中止命令とロボットカーニバル 

「あの……あくまで自分の個人的な見解ですけれど、『AKIRA』よりも『工事中止命令』とか『ロボットカーニバル』の方が、大友克洋風味というか色合いが強かったと思うんです。『AKIRA』はなんといっても大作ですから、その分だけ味が薄くなったようなのが、残念だったですね。それは、大友さんは映画化にあたって、なかむらさんの作画監督という役職に権限を委ねて、なかむらさんのニュアンスで作業されたんだと思うんですね。大友さんもなかむらさんも、そこは仕事としてきちんと筋を通して要るなと思いました。(AA)

監督としての大友

「ただ、これはちょっと大胆な発言になっちゃうかもしれませんが……自分も監督やって演出やってる人間なんで、自分なりのアニメーションに対する"監督とか演出とはかくあるべし"というスタンスがあって、やはりそれは大友さんとはちょっと違ったものなんです(……)」

-そういった違和感は、どの辺にあったのでしょうか。

「たとえば『AKIRA』の特徴のひとつに、プレスコリップシンクロって言う、日本のアニメでは東映長編の初期しかやってないことがありますよね。でも、これが制作をひどく困難にしていたんですよ。要するにそれだけ手間がかかるわけです。それである日"大友さん、なんでリップシンクロにしたんですか"って聞いたら、"だってゴージャスじゃん"って言われたんですよ(笑)。これにはショックを受けましたね。(AA)

しかし北久保はむしろリップシンクロが完璧に成立するように全力を注いだようである。しかし北久保以外にそこまでリップシンクロ作画を徹底している原画マンはおらず、その辺りでもアニメーターごとの意識の差があったようだ。

*1:「さん」をつけろよデコ助野郎!